第29話 波乱の社交界デビュー1



 天井中心の巨大なシャンデリアに灯りがともり、舞踏会場である大広間を照らしている。シャンデリアのガラスは煌めき、ダイヤモンドの様な輝きを放っている。

 その下では大勢の貴族たちが集まって賑わいを見せていた。いよいよ社交シーズン本番を迎えた王都。その中心である宮廷舞踏会ともなれば貴族たちはこぞって参加する。



 エオノラはゼレクと共に会場へと続く貴族の列に並んでいた。

 今夜のエオノラの装いは淡い水色のすっきりしたドレスで、スカートには植物柄の精緻な刺繍が入っていて、揺れる度に銀糸が光に反射して輝いていた。顔には化粧を施し、露出している肌には真珠の粉を含んだパウターを付けているので艶やかだ。

 髪は綺麗に結われ、花飾りとデビュタントの証しであるラペットが付いている。


 デビュタントのドレスデザインは基本的に可愛らしいデザインが多い。しかし、悪い噂が広がって評判が芳しくないエオノラがそれを着ると返って野暮ったくなってしまう。よって、他の社交界デビューする令嬢たちとは違って大人びたドレスを選んでいた。



「今夜の装いはこれまでと雰囲気が違うね。落ち着いているし、何というか気品に溢れているよ」

 隣のゼレクが平生とは違う雰囲気に気づいて褒めてくれたのでエオノラは微笑んだ。

「ありがとうお兄様。今夜は私にとって戦場になるから普段とは違い、凜とした印象を与えたかったの」

「確かに女性にとって化粧や衣装は立派な戦闘服になるね。可愛らしい服装だと幼稚な印象を与えて舐められてしまう。それなら大人びた雰囲気を醸し出した方が策としては良い」


 これは連日相談に乗ってくれたお針子やデザイナーたち、そして髪をセットし化粧を施してくれたイヴのお陰だ。頑張ってくれた皆の努力を無駄にはしない。

 エオノラは呼吸を整えると入り口の先にある会場を見据えていた。


 令嬢の正式な社交界デビューとは王妃にお目に掛かることで初めて完了する。

 エオノラは午後に一度王宮へ赴き、王妃との謁見を済ませていた。彼女の第一印象は年齢不詳の美女だった。

 緊張しながらも、スカートを少し摘まんで挨拶をする。一言、二言の言葉を交わしただけだが、笑う表情はハリーに似ていて、改めてハリーが王族なのだと実感した。

 謁見を終えて無事に正式なデビューは果たした。しかし、周りの令嬢たちのような喜ばしさもこれから飛び込む世界への期待感も、これっぽっちも感じられなかった。


 いよいよ弱肉強食の世界である社交界で戦わなくてはいけない。他の令嬢たちと異なりマイナスからのスタートだ。

 なんとか悪い噂を払拭しなければ。そんな使命感の様なものを抱きながら戦場へと赴いている。列に並ぶ人々は次々と会場内へと吸い込まれていき、いよいよエオノラたちの番になった。

「緊張しているかい?」

「ちょっとだけ。だけど、大丈夫」

 ごくりと生唾を飲むと、意を決して足を踏み入れる。



「フォーサイス伯爵家、ゼレク・フォーサイス様とその妹、エオノラ・フォーサイス様」

 入り口に控えていた王室長官にゼレクが招待状を渡すと、彼が名前を読み上げて誰が来場したのか会場内にいる皆に伝わるよう大きな声を出す。

 名前を耳にして数名かがこちらへ奇異の眼差しを向けてくる。すぐに扇を開くと、ひそひそと話を始めた。


「誰が来たのか聞きまして?」

「ええ聞きましたわ。フォーサイス伯爵のご令息とご令嬢でしょう?」

「キッフェン伯爵のご令息と婚約解消したと聞きましたわ。その理由が令嬢の性格に問題があったからだとか……」

「男を誑かしているらしいから自分のパートナーに言い寄られないか注意した方が宜しいですわよ」

 相手は遠巻きにこちらを見て小声で話しているはずなのに、口さがない言葉はエオノラの耳までしっかりと届く。どの人間もフォーサイス家とは敵対する貴族たちだった。


 しかしここで傷ついて俯く素振りは見せられない。

 フォーサイス伯爵家は他の伯爵たちと比べて侯爵にも匹敵するほどの地位を有している。さらには国王からの信頼も厚いため、嫉妬している貴族もいる。

 エオノラは彼らにとって日頃の憂さ晴らしをするための恰好の的なのだ。

 煌びやかに見える社交界は蓋を開ければ足の引っ張り合いで悪辣な場所だ。これ以上付け入れられる隙を見せてしまえば、もっと評判を落としてしまうだろう。


(……毅然とした態度で振る舞うのよ。私は噂通りの人間じゃないもの)

 俯かないように何度も自分に言い聞かせる。

 ゼレクにも周りの声が届いたのか、エスコートしてくれている手に力がこもる。見上げると、表情は柔らかいが瞳には強い光が宿っていた。

 周りの言葉は気にするなと言っているようだったのでエオノラは力強く頷いた。

(今夜はお兄様と一曲目のダンスを踊ればいいだけ。だけど、噂を鵜呑みにしている貴族や敵対する貴族たちが私の粗探しをしているはず。振る舞いには充分注意しないと)

 会場内を進んでいると、シュリアが声を掛けてくれた。


「エオノラ、社交界デビューおめでとう」

「ありがとうシュリア」

 こちらにやって来たシュリアは人懐っこい笑みを浮かべた。ゼレクの婚約者であるシュリアだが、今夜は弟と一緒に参加しているようだ。

「今日はお兄様を借りてしまってごめんなさい。本当は一緒に来たかったでしょう?」

「気にしないで。ゼレク様とは結婚したら嫌でも一緒に参加しないといけないんだもの。今のうちにいろんな男の子と参加しないとね~。まあ、弟は女の子よりも宮廷の贅沢な料理に夢中なんだけど」

 茶目っ気たっぷりに片目を瞑るシュリア。彼女の気遣いにはいつも感謝している。

 じんわりと胸に広がる感動に浸っていると、ゼレクがシャンパンの入ったグラスを渡してくれた。どうやらシュリアと話している間に飲み物を取りに行ってくれていたようだ。


 エオノラは受け取ったシャンパンを一口飲んだ。お酒は誕生日パーティーの時に初めて飲んだが、それほど弱くはないことが分かっている。

 その証拠にゼレクはお酒をどんなに飲んでもいつだって素面だ。彼はシャンパンを飲み干すと新しいグラスに交換している。きっと自分も彼と同じようにどんなにお酒を飲んでも酔わないだろう。とはいえ、ここで飲み過ぎて万が一ダンスに支障がでてしまっては大変なのでおかわりはしないでおく。


「お兄様、今夜は私の晴れ舞台よ。飲み過ぎて千鳥足なんかにならないでね」

「会場の熱気で喉が渇いたんだ。もちろん、エオノラとのダンスがあるからこれで最後にしておくよ……」

「フォーサイス殿」

 すると、不意に後ろから声を掛けられた。ゼレクと同時に振り向くとそこには彼の同僚がいる。エオノラも何回か顔を合わせたことがある人だった。


「お楽しみのところ申し訳ない。例の法案で確認したいことがあるんだ。至急一緒に政務室まで来てくれないだろうか?」

 同僚の発言にゼレクは戸惑いの表情を浮かべた。

「突然そんなこと言われても困る」

「だけど、あれは君が担当している。君じゃないと分からない部分も多いんだ」

「それは知っている。だけどこれから妹の大事な……」

 エオノラはそっと兄の腕を叩くと、大丈夫だというように頷いた。


「お兄様、私のことは気にせずに行ってきてください」

「しかし、そうなったらエオノラは……」

 すると今度はシュリアがゼレクを安心させる言葉を掛ける。

「ゼレク様、私がエオノラを守りますから大丈夫です。一曲目のダンスが始まるまでに戻ってきてください」

「……分かったシュリア。絶対約束するから、エオノラのことを頼むよ」

 シュリアが頷くと、ゼレクは同僚と共に会場を去って行った。

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