第28話 新しい目標に向かって3


「本当にクリス様には助けてもらってばかりです。宝石箱も無事に開きましたし、今日だってたくさんダンスの練習をしていただいて……ありがとうございます」

「私も、エオノラと踊れて楽しかった」

 優しく微笑むクリスの姿にまた胸が甘くて苦しい何かにきゅうきゅうと締め付けられる。再び顔が熱くなるのを感じたエオノラは頬に手を当てて俯いた。

(もう、どうしてこんなに胸が苦しくなるの。というか、こんなに良くしてもらってばかりで何も返せていないのが申し訳ないわ)

 エオノラは頬から手を離して顔を上げると、真っ直ぐにクリスを見据える。

「……クリス様、ずっと気になっていたんですが、呪いは進行すると一体どうなってしまうんですか?」

 クリスは目を見張ると気まずい様子で視線を泳がせる。しかし、エオノラは逃げないでというようにクリスの手に、自身の手を重ねた。


「ハリー様から話は聞きました。ルビーローズの花が咲けば、クリス様の呪いは解けると。私、少しでもクリス様の力になりたいんです。だからルビーローズを咲かせる手伝いをさせてください」

 真剣な眼差しで訴えると、クリスがゆっくりと立ち上がった。

「……私に付いてきてくれ」

 それだけ言うとクリスはエオノラの手を引いて、場所を移動する。着いたのは絶対に近づいてはいけないと言われていた、ルビーローズがある鳥かごの前だった。



 クリスは左手にいつも付けている黒革の手袋をおもむろに外す。

 その手のひらには、ナイフで切ったような無数の傷痕があった。

「クリス様、これはっ……」

 その痛々しい傷痕にエオノラは口元に手を当てて青ざめる。

 まさか自暴自棄になって自傷行為をしているのだろうか。

 言葉を失っていると、クリスがダイヤル式の錠を解錠し、閂を抜いて鳥かごの中に入っていた。次にルビーローズの陰に隠れていた木箱の中からナイフを取りだしてエオノラに問う。


「狼神の話は知っているか?」

「はい、もちろんです。王国民であれば誰もが知っている物語です」

 エオノラは幼い頃乳母に聞かされた狼神の内容を思い出す。

「狼神が永遠の眠りにつく前に語った言葉があるだろう? あの時語った内容は呪いを解くヒントになると思っている。――我の屍の上に咲く植物をその血を以て守り花を咲かせよ。番を見つけなければこの土地の厄災は永遠に主である王家を蝕むだろう」

 クリスはルビーローズの上に左手を持って行くと、躊躇いもなく手のひらをナイフで傷つけた。拳を作り力強く握れば、指の間から鮮血が滴っていく。


「クリス様! 一体何をなさっているんですか!?」

 突然の行為に驚いたエオノラは慌てて鳥かごの中へ入ると、彼の左手首を掴んだ。

「狼神の言葉の通りだ。その血を以てルビーローズを守れば花は咲く。だからこうやって私の血を与えているんだ」

「でもこれは……」

 正気の沙汰とは思えない。いや、解決策がないクリスにとってできることといえばこれくらいなのかもしれない。傷薬を携帯していたのは、定期的に行っているからだろう。

 エオノラは泣き出しそうになるのを必死に堪えてクリスにしがみついた。


「……お願いです。もう、やめてください。クリス様が傷つく姿は見たくありません」

「ありがとう。エオノラの気持ちは受け取っておく。ハリーに呪いについての話をされたと思うが、これは首を突っ込んで良い内容じゃない。そもそもあなたとの関係は夏終わりまで。それが終わればお互いまた別の世界を生きることになるんだから」

 それはエオノラを拒絶するような物言いだった。もともと期限付きの関係であることは理解しているが、それでもクリスに寄り添えるよう努力してきたつもりだ。しかし、彼自身は期限付きの関係だからと割り切っている。

 とてつもなく切ない気持ちがエオノラの心を埋め尽くしていく。


 エオノラがクリスから離れて俯いていると、彼が優しく肩を叩いてきた。

「だが一つ、あなたにお願いがある」

「お願いですか? 私ができることなら、何でも仰ってください!」

 初めてのクリスからのお願いにエオノラは意気込んだ。彼のために何かできるのなら嬉しいことはない。


「舞踏会が終わってから、暫くこの屋敷には来ないでくれ」

 突然の申し出に、エオノラは一瞬、何を言われたのか分からなかった。

「どうして、ですか?」

「頼む。あなたに別に来られるのが嫌だとかそんなんじゃない。少し一人になりたいんだ……」

 穏やかに微笑むその顔の下で寂寥を抱いている気がして、エオノラはそれ以上クリスを追及することができなかった。

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