第27話 新しい目標に向かって2
社交界デビューが決まってからは慌ただしくなった。ドレスや靴、宝飾品の最終打ち合わせに始まり、当日の髪型や化粧の確認をする。
これまでいつデビューするか分からなかったのでドレスや宝飾品の仕上げは流行を考慮して作業を途中で止めてもらっていた。
屋敷には連日針子やデザイナーが訪ねてきてどういう方向性にするかを話し合った。
髪型や化粧はイヴと一緒にどれが一番服装に合って美しく見えるか何度も熟考した。
急ピッチで進めた甲斐もあって舞踏会の二日前には全ての準備が完了したので、エオノラはほっと胸を撫で下ろした。
(先週から昨日まで死神屋敷へ行く暇がなかったから今日こそ顔を出さないと。何も言わずに行かなくなったから心配しているかもしれないわ)
エオノラはイヴに気分転換に散歩してくると伝えて屋敷を出た。最初は優雅に歩いていたが、通りの角を曲がって屋敷が見えなくなった時点で駆け出した。
息を切らしながら死神屋敷の庭園に到着すると、この間まで蕾だった淡くて黄色いモッコウバラが開花していた。
小道を進んだ先にある四阿へ足を運ぶとクリスが読書をしながら寛いでいる。
四阿に続く数段の階段を駆け上がるエオノラは、肩で息をしながらクリスの前に立った。
「ここ数日顔を出せなくてごめんなさい!」
「……構わない。ここに来ることをハリーに頼まれているとはいえ、強制はしていない」
クリスは本に視線を落としたまま、淡々と答えた。
暫く来られなくて怒っているか心配したがそうではなかったので安堵するエオノラ。しかし、彼は一度も顔を上げずに本の頁を捲って読み進めている。
「読書にお茶でもいかがですか?」
「必要ない」
「なら軽食はどうですか?」
「それも必要ない」
クリスは短く答えるだけで、一向に顔を上げてくれない。
エオノラは思案するとやがて首を傾げた。
「さてはクリス様、拗ねていますね?」
「す、拗ねてなどない!」
「……っ!」
漸く顔を上げたクリスと目が合ったエオノラは堪らず声を呑んだ。その表情があまりにも切ないように見えてしまったから。
エオノラからすればたった数日来られなかっただけ。しかしクリスからすれば何の連絡もなしに突然来なくなって、毎日不安にさせられたことだろう。彼は死神屋敷からは出られない。エオノラの身に何かあったとしてもそれを知る術はない。
エオノラは眉尻を下げると謝罪した。
「本当に、何の連絡もせずにいてごめんなさい。実は私の社交界デビューが急遽決まってその準備に追われていたんです」
これまでの経緯を詳らかに説明するとクリスは顎に手を当てて考える素振りを見せる。
「――なるほど。明後日開催されるのは、確か王宮の舞踏会だったか……」
「はい。王宮の舞踏会なので大勢の貴族が参加します。不安ではありますけど、悪い噂を払拭するには一番良い場です。リックにこのまま侮辱され続けるなんて嫌です。だって、私の人生はこれからです。一度失敗したからってすべてが駄目になるわけじゃありまえせん。尻尾を巻いて逃げ続けるわけにはいきませんから!」
この間もらった助言を踏まえつつ、エオノラは挑むように拳を胸の辺りに掲げる。
クリスは呆気にとられたように暫くこちらを見つめていた。やがて本を閉じると椅子から立ち上がり、エオノラの前に跪く。
「えっ? 急にどうされたんですか!?」
突然の行動に吃驚して慌てふためいているとクリスが優雅な所作で手を差し出してきた。
「王宮の舞踏会が明後日なら、ダンスの練習相手になろう。暫く練習していなかったんだろう?」
「そうですけど……良いんですか?」
「それはこちらの台詞だ。エオノラ、私と踊ってくれないか?」
眉目秀麗なことも相俟って、跪くクリスはまるでおとぎ話の王子様の様に素敵だった。
エオノラの心臓の鼓動がとくとくと速くなり、そしてきゅうっと何か、甘くも苦い感情が胸を締め付ける。
(どうしたのかしら……変な感じがする)
エオノラは初めての感情に戸惑った。この気持ちは一体何だろうか。どうしてクリスと目が合った途端、心臓の鼓動が速くなるのだろうか。
(し、しっかりしなくちゃ。クリス様の好意でダンスの練習ができるんだから。集中しないと!)
顔が熱くなっている気がしたエオノラは自分に落ち着くように何度も言い聞かせると、クリスの手の上に自身の手を載せた。
「喜んでお受けします」
「じゃあ、まずは場所を変えよう」
彼に連れられて辿り着いたのは庭園にある、石畳の開けた場所だった。
「まずはワルツから踊ろう」
「は、はい。お願いします!」
ダンスのレッスンは受けていたがいつも女性の家庭教師に男役をしてもらって踊っていた。本来は親族の男性か婚約者が務める役であり、当日までに一緒に練習もする。ゼレクとは数ヶ月前に踊ったきりだった。
前日に練習する時間をゼレクが設けてくれる手はずになっているが、暫く踊っていなかったので不安だった。なのでクリスの提案はとても嬉しい。
しかし、どうしても緊張してしまう理由が一つある。
「私、兄以外の男性と踊るのは初めてで。もしかしたら足を踏んでしまうかもしれません」
「踏まれたとしても別に構わない。当日は悪い噂を流した男たちの足を存分に踏みつけなくてはいけないのだから良い練習になる」
「も、もうっ、クリス様ったら……」
意地悪を言われて気色ばむエオノラだったが、クリスの目は笑っていなかった。
「……クリス様、そんな陰湿な方法では余計に私の評判が下がります」
真剣な表情で答えれば、クリスが吹きだして表情を緩めた。
「それもそうだ。あなたは正々堂々としていればいい」
気を取り直して二人はワルツを踊り始めた。音楽はないのでクリスが知っている曲を口ずさんでくれる。それに合わせてエオノラはリズムを取り軽やかに踊ってみせた。
その後踊ったのは宮廷舞踏会で定番となっているカドリールやポルカだ。
一通り踊って心地良い疲れを感じながら、エオノラはクリスに連れられてベンチに腰を下ろした。
「ダンスが上手だな。これだけ踊れたら充分だろう」
「いいえ、クリス様のリードが良かったんです。こんなに踊りやすい相手は初めてです」
侯爵というだけあって、クリスのダンスは隙がなく完璧だ。それでいてこちらが踊りやすいよう配慮してくれる。エオノラが上手いのではなく、これはクリスのお陰だと言っても過言ではなかった。
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