第26話 新しい目標に向かって1
クリスにすべてを打ち明けて以降、どんよりと重苦しかった心は軽やかになった。過去に囚われて苦しんでいたエオノラだったが、クリスが励ましてくれたお陰で今は前を向いて歩いて行ける気がしている。
いつまでも悲しんでくよくよしているよりも、自分が進んでいくべき道や、今できることに集中する方が健全だ。
エオノラは自身の部屋に構えている席に着くと、まずはこれから何ができるか整理するために紙に書き出すことにした。
社交界デビューや結婚相手探しは考えなくてはいけないが自分一人の力ではどうにもできないことなので除外する。お茶会も参加したところでまだ腫れ物扱いされるはずなのでそれも除外だ。そうやって整理して絞っていった結果、残った事柄は二つだった。
一つはクリスとクゥを夏終わりまで一生懸命お世話すること。
もう一つはルビーローズについて調べることだ。
クリスとクゥのお世話はできていると思う。定期的にハリーの従者へ報告をしているが特に苦情を言われたことはない。問題はルビーローズの方だ。
意思を持つ貴石や鉱物石と意思疎通を図るには、直接対象物に触れる必要がある。対象物から音が聞こえるとはいえ、真意を測るのは至難の業だ。
現状、ルビーローズに触れたくともハリーと約束しているので勝手な行動はできない。行動を移すとするなら、一番手っ取り早い方法はクリスに直談判することだろう。
(まずはクリス様にこの間のお礼をしないと。後、魔術師の資料のお礼もまだだったわね。……お礼を兼ねて彼好みの茶菓を用意する。それで満足した後、ルビーローズを調べさせてもらえないかお願いする。…………うん、絶対駄目ね)
クリスが首を縦に振ってくれるか想像してみたが難しそうだ。
なにせクゥをあそこまで調教した張本人だ。ルビーローズに対する執着は相当だろう。ご機嫌取りは難しいという結論に至り、別の方法を考えることにした。
(ルビーローズの花を咲かせることができれば、ラヴァループス侯爵の呪いは解ける。いっそのこと、素直に花を咲かせる手伝いがしたいと伝えた方が最善かも?)
それにハリーが先延ばしにしてはいけない理由があると言っていた。呪いが完全なものになるとどうなるのかはまだ教えてもらってはいないが、クリスの身に危険が迫っていることは理解できる。
ならば、その問題を解決する糸口を見つけるためにも力になりたいと申し出た方が最良ではないだろうか。
(昨日は自分の過去を清算することに精一杯で、呪いやルビーローズの話を訊くのをすっかり忘れていたわ。今日会いに行って、クリス様がいたら尋ねてみましょう)
すると丁度、扉を叩く音が聞こえてくる。返事をするとジョンが部屋にやって来た。
「お嬢様、ゼレク様がお戻りになり、お呼びになっています」
「え? お兄様が?」
エオノラは怪訝な顔でジョンに聞き返した。
宰相補佐として働いているゼレクは多忙を極め、週末以外はほとんど屋敷に帰ってこない。今日は平日でまだ時間もお昼前だ。どうして急に屋敷へ帰ってきたのだろうか。
「何があったの?」
「詳細はゼレク様に。一先ず私と来てください」
「分かったわ」
ジョンに案内されてゼレクの書斎に入ると彼は椅子に座っていた。
平生は穏やかなゼレクの表情が今日は暗くどんよりとした顔つきになっている。
「お兄様、顔色が良くないけど何かあったの?」
エオノラが質問するとゼレクは憂いのある表情を浮かべた。
「……結論から先に言うとね、君の社交界デビューを早めようと思うんだ」
エオノラは突然の話に周章狼狽した。
この間のシュリアの助言もあって、先日社交界デビューを遅らせるようお願いの手紙を出して、了承の返事をもらったばかりだった。
どうしてそんな考えに至ったのだろう。社交界に流れているエオノラの悪い噂を考慮すれば、まだ動くには早い。
それこそ噂を鵜呑みにする貴族たちの針のむしろになるだけだろう。
ゼレクは手で落ち着くように促すとことの次第を話してくれた。
「パトリック・キッフェンが社交界でエオノラの悪口を吹聴していることは知っているね?」
「ええ、シュリアから聞いているわ」
「俺の方でもシュリアや友人を通して内容を把握していたんだけど、いよいよそれが度を超すものになってきたんだ」
ゼレクによると、昨日の夜会でまたもやリックがエオノラの評判を落とす発言をしていたらしい。その内容とは、エオノラが実は尻軽で既婚者や婚約内定者関係なく好みの男に見つけると手当たり次第に言い寄っている。だから家族は社交界デビューを遅らせているというものだ。
自分の保身を図るためとはいえ、最後の最後までこちらの顔に泥を塗るリックにやるせなさと怒りを覚えるが、ここまでくるといっそ清々しい。そして、どうしてあんな男のために好かれようとしていたのか馬鹿らしくなってくる。
呆れて溜め息を吐いていると、ゼレクはさらに続けた。まだ続きがあるらしい。
「一番許せないのはその後の言葉だ。社交界に顔を出せず男に飢えているから、死神屋敷に赴いてラヴァループス侯爵に言い寄ろうと屋敷周辺を彷徨いているって吹聴している。どれだけエオノラを侮辱すれば気が済むんだ!」
「……ええ、本当にそうね」
話を聞いたエオノラは一瞬、頭が真っ白になった。何故、死神屋敷に通っていることが知られているのだろう。
リックと最後に会ったのは誕生日パーティーでそれ以降は一度も会っていない。しかしそこである人物の姿が頭に浮かんだ。
(可能性があるなら……それはアリアだわ。だって昨日アリアと話した後、私は無我夢中で死神屋敷へ走っていったんだもの)
しかし、もう一人の自分が異を唱える。
アリアは他人に何かを言いつけるような子ではない。失敗や秘密を知ってしまっても黙っていてくれるような心優しい子だ。彼女がリックに告げ口するのは見当違いだろう。
(死神屋敷に通っているっていう話はきっとリックの出任せで偶然よ……)
俯いて黙考していると、ゼレクの溜め息が聞こえてきた。
「念のため確認するけど、死神屋敷には行ってないよね?」
「もちろん。お兄様ったら私があんな場所へ行くわけないじゃないの」
即答するも、内心嘘をついて罪悪感を覚えた。正直に話せばゼレクを悲しませることになるので口が裂けても言えない。
胸を張って微笑んでみせると、ゼレクはこちらの様子を見て安堵した。
「そうだね。エオノラはそんな子じゃないのに、疑ってしまって悪かったよ。ごめんね」
ゼレクは謝罪すると、続いて嘆息を漏らす。
「嗚呼、キッフェン伯爵が屋敷を不在にしているせいであの男は好き放題に暴れ回っている。これ以上吹聴され続ければ、彼の主張を信じていない貴族たちまでいよいよ信じることになる。だから、それを払拭するためにもエオノラには、来週開かれる王宮の舞踏会へ出席してもらうよ」
「分かったわ」
エオノラはこっくりと頷いた。
自分とて、このまま指を咥えて眺めるだけでいるのはごめんだ。
「やましいことは何もしていないもの。きちんと社交界デビューして、自分が噂通りの人間じゃないって、時間は掛かるかもしれないけど証明してみせるわ」
「分かった。じゃあ早速出席の手続きをするよ」
以前のエオノラなら絶対気乗りしなかったし、戦おうともしなかっただろう。
現にアリアを理由にこれまでの自分は噂をどうにかしようと行動すら起こさなかった。
後ろ向きだった気持ちが大きく変化したのはクリスが励ましてくれたお陰だ。
(私にはまだたくさんの選択肢がある。一度失敗したくらいで人生が終わるわけじゃないもの)
これまでとは違う自分を自覚すると、来週の舞踏会に向けて計画を立て始めた。
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