第30話 波乱の社交界デビュー2


 二人きりになったところでシュリアは周りを見回してから囁いた。

「恐らく、一人になったエオノラを攻撃したい人もいると思うの。一旦、目立たない場所へ移動しましょう」

「分かったわ。シュリアの方が舞踏会には詳しいから案内してくれる?」

「ええ、任せて。私から離れないようにしてね」

 シュリアはエオノラの前に出ると足早に歩き始めた。その後ろをぴったりとくっついてエオノラも移動していく。


 背の高い彼女が先を歩いてくれているのでエオノラは丁度死角になる。

 お陰でスムーズに移動することができた。暫く進んでいると、前方にいた令嬢たちがシュリアに気づいて両脇に立ち、道を作ってくれる。しかし、彼女が通り過ぎた途端にさっと行く手を塞ぎ、エオノラの前に立ちはだかった。念には念を入れているようで、エオノラの代わりに別の令嬢がシュリアの後ろをぴったりと付いて歩いて行く。


(待ってシュリア! 後ろにいるのは私じゃないわ!!)

 エオノラの心の叫びも虚しく、シュリアはそのまま人混みへと消えてしまった。

 改めて目の前の令嬢に視線を移すと、てこでも動かないといった風に立っている。

 一人はラッカム伯爵家の令嬢で、お茶会などで何度か見かけたことがあった。もう一人は名前は分からないが男爵令嬢だった気がする。恐らく彼女の取り巻きだ。

 ラッカム嬢は手に持つ扇をもう片方の手に打ち付けながら、敵意の眼差しを向けてきた。



「ご機嫌よう、ラッカム嬢。申し訳ないのですがそこを通して頂けませんか?」

 エオノラは物怖じせずにいつもの調子で振る舞った。もちろん相手側はこちらに道を譲る気など更々ないだろうが、誠実な対応を示さなければ火に油を注ぐことになるだろう。

 何よりも嫌という程、周りからの視線を感じる。注目されているのは明らかだった。


 ラッカム嬢は勢いよく扇を広げて口元を隠すと、鈴を転がすような声で言った。

「あら。何故わたくしが泥棒猫であるあなたに道を譲らなくてはならないの? それに頼みごとではなく、謝罪を最初にするのが筋ではなくて?」

「私はラッカム嬢に謝罪することなど一つもありません」

 すると、蔑むようにラッカム嬢がエオノラを睨んだ。

「よくもまあぬけぬけと! わたくしの婚約者、デューク・セルデンを真っ昼間に誑かしておいてそんなことが言えますわね?」

 エオノラは一瞬思考が停止して固まった。


(デューク・セルデン……って、誰?)

 デュークがどこの誰なのか分からないし、顔すら浮かばない。誑かした覚えもない。

 完全なる濡れ衣だった。


「ラッカム嬢、私はあなたの婚約者のことなんて知りません。会ったこともありません。きっと人違いです」

 すると取り巻きがエオノラをなじった。

「あなたは婚約者がいてしかも婚約式を終えた男性に言い寄るなんて恥ずかしいことだと思わないの? それにセルデン様が仰っていたわ。あなたに言い寄られて困っていると。彼の証言が何よりも証拠よ!!」

 取り巻きの令嬢は胸を張って得意気に主張する。

(それは証言じゃなくて、ただの言い訳でしょう!?)

 エオノラは頭痛を覚えてこめかみに手を当て、口を開いた。


「私は無実です。ラッカム嬢、セルデン様の話だけを信じるなんて不公平では? 他に誰か証言のできる人はいらっしゃらないのですか?」

 エオノラが指摘するとラッカム嬢の眉間の皺がさらに険しくなった。

「まだしらを切るつもりでいるだなんて、とんだ恥知らずですわね。あなたみたいな、男なら誰でも誑かすような尻軽女、王宮じゃなくて娼館の方がお似合いですわよ」

 苛烈な発言にエオノラがたじろいでいると、突然後ろから肩を叩かれた。

「こんなところにいたのかい」

 後ろを振り返ったエオノラは視界に入った人物に思わず息を呑んだ。


 一拍置いてから慌てて挨拶をする。

「こんばんは。今宵は素敵な舞踏会に参加できて光栄に思います――ハリー様」

 その人物とは、第二王子のハリーだった。

 彼は「よっ!」となんとも軽い挨拶と共に白い歯を見せてくる。

 ラッカム令嬢と取り巻きも慌ててハリーに挨拶をしたが、彼はそれを無視してエオノラに話し掛ける。

「招待状リストに目を通していたら君の名前があったからね。きちんと顔を出そうと思ってやってきたんだ」

 爽やかな笑みを湛えるハリーは漸くラッカム嬢と取り巻きの方に視線を移すと、エオノラを庇うように二人の前に立ち、腰に手を当てる。


「さて、ラッカム嬢と言ったかな。この場を借りて君の間違いを正させてくれないか?」

「第二王子殿下、間違いとは一体何のことでございましょう?」

 先程まで威勢が良かったのに、ラッカム嬢は借りてきた猫のように大人しい。それでも、その表情には不服そうな色が浮かんでいた。

「エオノラ嬢はここ暫く、それこそパトリック・キッフェンと婚約解消後はずっと俺の下で仕事を手伝ってくれている。だから君が言うように男と密会する暇はないんだ。信じられないなら彼女と交わした契約書の書面を見せようか?」

 その発言に周囲からどよめきが起きる。


 エオノラはハリーが自分を庇ってくれていることに気がついた。

 きっと自分一人の力では今夜だけで噂を払拭することはできなかった。何度も舞踏会に参加して、地道に噂が間違っていると周りに認識させることでしか打つ手がなかった。しかし、ハリーのお陰で一気に風向きが変わり始めた。

 感謝の念を抱いていると、ハリーがこちらに身体を向けてくる。


「エオノラ嬢の社交界デビューが遅れていたのは私のせいだ。この場で謝罪させてくれ。そして社交界デビューおめでとう」

「いいえ、私の方こそ微力ながらハリー様にお力添えできて大変光栄に思っています」

 社交界デビューが遅れていたのは決してハリーのせいではないが、この場を納めるためにエオノラはハリーの主張に合わせる。ドレスのスカートを摘まんで深々と一礼した。

 すると、先程まで感じていた痛々しい視線が軟化していくのを肌で感じた。



 ハリーのお陰で身の潔白は証明された。今夜を皮切りにエオノラの悪い噂が嘘だと広がり、いずれは消えていくだろう。

 エオノラが安堵の息を漏らしていると、それまで黙っていたラッカム嬢が異を唱えた。

「お待ちくださいませ! それなら、デュークの発言はどうなるのです? 彼が私に嘘を吐いているということですか?」

 ラッカム嬢は顔を真っ赤にさせて、身体を震わせている。彼を一心に信じているその姿はどこまでも健気だ。


「婚約者である君に浮気を指摘されて苦し紛れに悪い噂が流れているエオノラ嬢に罪をなすりつけたんじゃないか? そうすれば自分はラッカム嬢に責められず、エオノラが攻撃されるからね。因みにデューク・セルデンだが、さっき休憩室がある廊下で女性を口説いていたぞ」

「……っ!! すぐに確かめて参ります。わたくしはここで失礼します」

 血相を変えたラッカム嬢は身を翻すと急いで休憩室のある廊下へと向かっていく。残された取り巻きも慌てて一礼すると彼女の後を追いかけていった。



 二人がいなくなると、周囲の貴族たちは何事もなかったように再び歓談を始める。興味がなくなった、とうよりは厳かな雰囲気を纏うハリーの存在で今起きた話題を口にできないのが妥当なところだろう。


 一先ず、場所を変えようとハリーから提案されたエオノラはそれに従ってバルコニーへと移動した。人気のないバルコニーで、エオノラは真っ先にお礼を口にした。

「助けていただきありがとうございます。私だけではこんなに早く状況を変えることはできなかったと思います。これもすべてハリー様のお陰です」

「社交界のゴシップに興味はないが、君の話が上がっていたから事情はおおよそ知っていた。日頃君にはお世話になっているからね。あと、補足しておくとゼレク殿にも仕事を手伝ってもらっていることはさっき政務室で会ったから話しておいた」

 ハリー曰く、研究している薬に使用する植物の採取を頼んでいるということになっているらしい。抜かりないハリーにエオノラは頭が下がる思いだ。


「それで、ゼレク殿はまだ戻られないのかい?」

「はい。一曲目のダンスまでには戻ってくると言っていましたが……」

「そうなのか? だが、そのダンスももうすぐ始まると思うぞ」

 ハリーはエオノラから会場内の一番奥にある玉座へと視線を向ける。つられてエオノラも眺めてみると、そこには国王夫妻の姿があった。

 国王が挨拶をすれば舞踏会は開始となり、オーケストラが演奏を始めるだろう。


「どうしましょう。お兄様は間に合わないかもしれない……」

 エオノラは顔を青くした。

 肝心のゼレクが戻ってこなければ一曲目のダンスを誰とも踊れないまま終わることとなり、再びゴシップのネタにされてしまう。考えただけで背筋が寒くなり、ぶるりと身体が震える。エオノラは自身をそっと抱き締めた。

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