第23話 消えない記憶2


「全部パトリック様から聞いたの。エオノラが婚約者だったってことも、私の従姉であることを承知で近づいたことも。パトリック様は、私に一目惚れをしてしまって、自分の心を止められなかったって言っていたわ。ごめんなさいエオノラ。私、彼がエオノラの婚約者だって知っていたらアプローチを断っていたわ。……結果的に傷つけてしまって本当にごめんなさい」

「良いの。何も知らなかったんだから。アリアもたくさん傷ついたのよね。巻き込まれて辛かったわよね」

 手が震えているのを気づかれないように、アリアの背中を撫でる。

 従姉として弱いところは見せたくなかった。

 アリアは腕にさらに力を込めてか細い声で言った。


「ええ。でもね、私……。私はね、エオノラ……」

 涙声を聞いてその先の言葉が想像できた。

 アリアがパトリックのことを好きだということを。

 エオノラはきつく唇を噛みしめた。婚約者を取られて悔しくないなんていえば嘘になる。

 しかし、アリアは何も知らなかった。そして二人は両想い。可愛い従妹が幸せになるのならきちんと祝福してあげないといけない。

 それに、もうリックとの婚約は解消されて関係は終わっている。


 最近はクリスとクゥのことばかり考えていたのでリックのことを考える時間は減っていた。気持ちの整理も当初よりはできたように思う。

 とはいえ、完全に立ち直ったかと尋ねられると首を縦に振るのは難しい。まだ胸の奥では、黒い感情が渦巻いているのだから。

 エオノラは深く息を吸い込んでから口を開いた。

「……もう済んだことだから気にしないで」

「本当?」

 すると、アリアはエオノラから離れるとパッと明るい表情でこちらを見上げてきた。


「実は私、パトリック――リックと来月教会で婚約式をするの!」

「え……婚約式?」

 頭を鈍器で殴られたわけでもないのに衝撃が走る。

 いくら両想いとはいえその展開は早すぎではないのだろうか。

「婚約式ってあの婚約式?」

「うん。狼神様の前で永遠の愛を誓うあの婚約式よ」



 婚約式とは初代国王であるアーサー王の時代から続くもので、番を見つけられなかった狼神に変わり、王族や貴族が永遠の愛を育むことを誓う、一種の仕来りのことだ。

 結婚式の半年前から一年前に行われるもので、教会にまつられている狼神の石像の前で男女が生涯相手を愛し続ける誓いを立てる。その誓いは結婚式が済むまで簡単に反故にすることはできず、婚約式となるとどの貴族も慎重になる。


 エオノラが驚いたのは婚約式までの期間が短く、早計であることは然ることながら、二人が制約をきちんと理解しているのかが分からなかったからだ。

 婚約式での誓いを反故にすれば、両家の名が教会の記録書に載ることになり、末代まで続く恥とされている。しかも記録書に載ったが最後、その一族は必ず没落し現存しない。

 ただの偶然と笑い飛ばせばそれまでなのだが、教会に名が刻まれた家が残っていないことを考えるとただの迷信だと一蹴することはできない。


 一部の貴族たちの間では結婚式よりも尊ばれていて、家同士が慎重に何度も話し合ってから執り行う。要するにただの気まぐれや思いつきで容易に行えるものではないのだ。

 呆気に取られつつも、エオノラは震える唇からなんとか言葉を絞り出した。

「……おめでとう。だけどそんなに早く婚約式だなんて。キッフェン伯爵と叔父様は同意してくれたの?」

「お父様は快諾してくださったわ」

「キッフェン伯爵はどうなの?」

「伯爵はお仕事で王都にいらっしゃらないの。だけど伯爵代理のリックが快諾してくれたから問題ないわよ」

「……っ」

 エオノラは話を聞いて気が遠くなるのを感じ、こめかみに手を当てる。


(そういえば、リックは私が悪い女で、アリアという真の愛を見つけたと夜会で言いふらしていたってシュリアが言っていたわね。世間の同情を買っているからこそ、すぐに婚約したって問題ない……ううん、もしかすると婚約式を決行するために行動していたのよ)

 どうして自分の悪い噂をリックが流していたのかこれで合点がいく。彼はアリアと婚約式を堂々と執り行うために先手を打ったのだ。

 そして最後の最後まで貶められていることに気がつく。


(……私が何をしたというの。どうしてここまでされないといけないの?)

 黒い感情は出し切ったはずなのに、また胸の奥であぶくのように吹き出し、胸が締め付けられる。それでもアリアの気持ちを考えてエオノラは笑みを作った。


「ねえ、エオノラ。私とリックとの婚約式には必ず出席して――くれるわよね?」

「……え、ええ」

「良かった! エオノラには一番前の席で祝ってもらうわね。だって私の従姉だもの!」

 感激するアリアは目を細め、喜びからか両手を広げてくるくると回る。その姿はどこまでも無邪気だった。

 足を止めて再びエオノラに向き直るとアリアは満面の笑みを浮かべた。

「リックったらね、私をなかなか離してくれないの。ほら見て。これはリックがこの間私のために贈ってくれたのよ」

 アリアの視線の先を見ると、彼女の胸の辺りにはカメオのブローチがついている。それはエオノラが婚約した時にもらったカメオと全く同じ、ハトの番のデザインだった。

「……っ!」

 エオノラは言葉を失った。


 これはリックからの当てつけなのだろうか。

 おまえはアリアよりも気の利かない男心が分からない女で、このカメオはアリアにこそ相応しいと遠回しに伝えているのだろうか。

 凝視していると、表情を緩ませるアリアが愛おしげにカメオを撫でる。

「実はリックが毎日会いに来るから、なかなかエオノラに会いに行けなかったの。まあ、行ったところで使用人に追い返されるんだけど。でも今日は会えて本当に良かったわ。それで婚約式の日取りなんだけど――」

 エオノラの耳からはアリアの声が遠のいていく。


 空には夜を思わせるような厚い雲が迫っていて、丘の向こうでは稲光が幾筋も走っている。雨は今にも降り出しそうだ。

「……悪いけど雨が降り出しそうだから急ぐわね」

「それなら私の馬車に乗らない? あ、待ってエオノラ!」

 エオノラはアリアの制止を振り切り、無我夢中で走った。

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