第19話 突然の訪問者2


 ハリーの闖入ちんにゅうに驚いたエオノラはその場に立ち竦む。

「驚かせてしまったみたいだな」

 ハリーはゆっくりとした足取りで室内に入ってきた。

 我に返ったエオノラはすぐにスカートの裾を少し摘まんで丁寧に挨拶をする。

「第二王子殿下にフォーサイス家のエオノラがご挨拶致します」

「おいおい、非公式なのだからかしこまらないでハリーと呼んでくれ。ところで、何か食材や用品で足りないものはないか?」

「ハリー様が手配をしてくださったお陰で侯爵様とクゥのお世話は恙なくできています」

「はは。それは良かった」

 ハリーの突然の訪問によって、一旦クゥのご飯は後回しにしてお茶の準備をすることにした。



 ハリーからは「エオノラの手料理を食べてみたかったのに」と不満を言われたが宮廷料理人が振る舞う料理を日頃食べている王子殿下に料理経験の浅い人間の料理を食べさせるわけにはいかない。

 エオノラが丁重に断ると、ハリーは渋々と行った様子で引き下がってくれた。

「今日はエオノラのために差し入れのお菓子を持ってきている。先に四阿へ行っているからお茶の準備ができたら来てくれ。……なんだクゥ、機嫌が悪そうだな」

 クゥを見ると何故か目を吊り上げて怒っている。

 ハリーは去り際にクゥの顔を揉みくちゃにしてから出ていった。

どうやら折角のご飯がお預けになって拗ねているらしい。

「クゥ、ご飯はきちんと用意してから帰るから心配しないでね」

 エオノラがフォローするが、それでもクゥは不機嫌なままだ。機嫌を直してもらうために厚切りベーコンを一枚追加すると提案してもむくれている。

 どうしたものかとおろおろとしていると、クゥは溜め息を吐いてハリーの後を追っていった。ベーコンを一枚追加だけでは足りなかったのだろうか。彼の様子が気がかりではあったが、エオノラはお茶の準備に専念した。



 準備を終えてガーデンハウスから四阿へと向かう。念のため、銀盆の上に載せているカップは三人分だ。

(ハリー様の本当の目的は侯爵様に会うためなんじゃないのかしら? だったら呼びに行った方が良いかも? だけど私は屋敷の中に入るのを禁じられているし、侯爵様だって体調が優れないようだし……)

 体調の悪いクリスをクゥに呼んでくるよう頼むべきか悩んでいると、とうとう四阿に辿り着き、テーブルの上に銀盆を置く。すると、側にはたくさんのフルーツで彩られたフルーツタルトが置かれていた。色のバランスだけでなく、盛り付けまでもが美しく、ナパージュされてつやつやに輝く様は芸術品のようだ。


 流石は宮廷の菓子職人。エオノラは見るからに美味しそうなタルトに目を輝かせた。

「気に入ってくれたみたいで良かった。雇用主としてたまには感謝の意を表さなくてはと思ってな」

 ハリーは既にカットされているフルーツタルトの一ピースを皿に載せてエオノラの前に置いた。

「ありがとうございます。大変光栄です。……ところで侯爵様はお呼びしなくても大丈夫でしょうか?」

 カップにお茶を注ぎながら尋ねると、ハリーが目を瞬かせてから呵々大笑した。

「今日はエオノラが上手くやっているか様子を見に来ただけだからあいつに用はない。なあクゥ?」

 テーブルの上に肘をつき、手のひらに顎を載せるハリーはクゥに話し掛ける。

 クゥは琥珀色の瞳を吊り上げてハリーを睨んでいたので、エオノラはすかさず尋ねた。

「ハリー様、クゥは朝ご飯がお預けになって不機嫌なんです」

「いいや、それは違うな。俺が気安く君のことを『エオノラ』と呼ぶから気に食わないんだろう」

 エオノラはあっと声を上げた。


 そういえば、今日ハリーと会ってから『エオノラ嬢』と呼ばれていない。そのことに今更ながら気づいてクゥへと視線を向けると、何故かクゥも少しだけ驚いたような表情をしていた。

「……つまりクゥはハリー様よりも、侯爵様と早く仲良くなって欲しい、と思っているんですね?」

「恐らくそうだろうな。まったく、飼い主想いの狼だ。というわけで早速今ここでクリスと呼んでみてはどうだろう?」

「ええっ?」

 予期せぬ提案にエオノラは素っ頓狂な声を上げた。



 どうして本人がいないのに彼の名前を呼ばなくてはいけないのだろう。それはそれで気恥ずかしいではないか。

 ハリーは人差し指を立ててくるくると回しながら理由を説明した。

「これまで『侯爵様』呼びをしていたのだから、自然と名前で呼ぶには練習が必要だろう? 本人は屋敷に引き籠もってこの場にいないのだから良いじゃないか」

 確かに今練習しておけば自然と『クリス様』と呼べるようになるだろう。だが突然彼の名前を気安く呼んでも大丈夫だろうか。

 漸く縮みだした彼との距離がまた遠のいてしまうのではないか。

 そんな不安に駆られていると、ハリーがエオノラの表情を見て口を開いた。


「突然クリスを名前で呼んだところで嫌悪感なんて抱きはしない。あいつは狭量な人間じゃないから」

 これはクリスをよく知っているハリーだからこそ、断言できる言葉だった。今はハリーを信じるしかない。

 エオノラはこっくりと頷くと、少しだけ緊張を覚えながらクリスの名前を呼んだ。


「……ク、リス様」

「たどたどしいな。もう一度」

「クリス、様」

「練習だから恥ずかしがる必要ないぞ」

「申し訳ございません」

 それから暫くはハリーに『クリス様』と名前を呼ぶ練習をさせられた。


 最初は気恥ずかしくてなかなか口にしづらかったが、繰り返していくうちに『クリス様』と呼ぶのにも慣れてきた。

「大分、板についたみたいだ。これからはそう呼んであげてくれ。その方がクゥも喜ぶし。ほら、尻尾が揺れているだろう?」

 ハリーがにやにやとしているのでエオノラも彼の方を見る。

 すると、凜とした気品あるオーラを醸し出しながら座っているクゥの尻尾が元気よく左右に揺れていた。

 本人も気づいていなかったようで、ハリーに指摘されて初めて後ろを振り返り、揺れている尻尾を見て慌てて前足で封じている。

「相っ変わらず素直じゃないな」

 ハリーはクゥを揶揄うとカップに口をつける。


 その後、美味しいフルーツタルトに舌つづみを打ちながら、二人は他愛もない話をした。話を聞いているとハリーはクリスよりも三つ年上で物心ついた頃からずっと仲良くしているらしい。

 そこでエオノラは背筋を伸ばすと、気になっていたことを質問した。

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