第20話 突然の訪問者3


「ハリー様はクリス様と昔からのご友人なんですよね? 昔のクリス様はどんな方だったんですか?」

 エオノラは呪われる前のクリスのことが知りたいと思っていた。生い立ちや、呪われる前までの彼を知れば、クリスとの距離が縮まるヒントを得られるかもしれない。

「昔のクリスは明るくて素直なやつだった。今じゃ呪いのせいで見る影もなく捻くれて……痛いっ!!」

 突然悲鳴を上げたかと思うと、いつの間にかクゥがテーブルの下に潜り込んでハリーの脛に食らいついている。

 飼い主を悪く言われたと思って怒ったのだろう。相変わらず賢い狼だ。

 エオノラが止める間もなく、クゥは悲鳴を上げたハリーから離れた。それからフンッと鼻を鳴らすと気を取り直した様子で地面に腰を下ろす。


 ハリーは足を組んでクゥに噛まれた脛を擦る。やがて、暗い表情になるとエオノラにこう語った。

「呪われてからのクリスは人との関わりを極端に嫌うように、避けるようになった。知っての通りこの屋敷には使用人も従者も、護衛もいない。孤独しかない環境だ。だからこそ、ここに通っている君の話を従者から聞いた時は驚いたし、特別だと思った」

『特別』という言葉にエオノラは目を見張る。


 自分は決してクリスの特別ではない。偶然ルビーローズの悲痛な音を聞いてしまっただけなのと、偶然クリスの本当の姿が見えているだけ。後者はどうして見えているのか未だに分からないし、様々な条件が重なっただけのことだ。

 エオノラが否定しようと口を開き掛けるがその前にハリーが言った。


「今度は俺が質問したい。エオノラから見たクリスはどんな人間だ? やはり捻くれ者か?」

 エオノラは少し考え込む。

「そう、ですね……クリス様は素っ気ない態度を取る方です。言葉遣いも決して優しくはありません。でもそれは呪われていて、他人に迷惑を掛けたくなかったり、傷つけたくなかったりと、いろんな葛藤があってああいう態度になっているんだと思います。本当はとっても優しい人だって、知っていますから」

 本当に優しくなければ、傷の手当てなんてしてくれないし、魔術師が作った宝石箱に関する資料を探してはくれない。

 率直な考えを述べるとハリーは「ほう」と感心したように呟く。

「クリスのことをよく観察していないとそこまではっきり言えない。きっと聞いた本人は嬉しいだろうな」

 ハリーはにんまりと笑ってから改めて真面目な顔つきになった。


「エオノラはクリスを見ても恐れない。そんな人が一人いるだけでもクリスにとっては心強い存在になる。……呪いのせいでクリスはたくさんのものを失い、ルビーローズだけが心の拠り所だからな」

 話に耳を傾けていたエオノラは首を傾げた。

 ルビーローズだけが心の拠り所というのはどういうことだろう。

 確かにルビーローズは世にも珍しい貴重な品種だが、この庭園にはスイートブライヤーやコウシンバラ、ダマスクローズなど多種多様なバラがそこここに植わり、彼の手によって大切に育てられている。

 いうならばこの庭園すべてがクリスにとって心の拠り所ではないのだろうか。


 疑問符を浮かべていると、ハリーが続けた。

「ルビーローズを心の拠り所とする理由――それは、あの花を咲かせることができればラヴァループス侯爵の呪いは解けるとされているからだ。ルビーローズに対して異常な執着と反応を見せるのもそのせいだ」

「花が咲かなければどうなるんですか?」

「花が咲かないといずれ呪いが完全な形となって発動する。その暁には――いだだだだっ!!」

 クゥが遮るようにハリーの脛に噛みついた。

 今度は甘噛み程度は済まなかったようで、ハリーは涙目になっている。

「ハリー様!! クゥ、噛むのをやめて!」

 尋常じゃないほどの悲鳴をハリーが上げたのでエオノラは慌ててクゥにやめるようにお願いする。


 ハリーが話してくれた内容は誰にも知られてはいけない極秘内容。それなのにエオノラに易々と話したので、クゥは危機感を覚えて話を遮ったようだ。やはり賢い狼であることを実感する。

 クゥはハリーから離れるとバウバウと吠えて抗議した。

「たとえエオノラの屋敷通いが夏終わりまでだとしても、いいように使われるなんて公平じゃない。それにクリスは薬が効きづらくなっている。いつ非常事態になってもおかしくはない」

 ハリーの説明にクゥがぐうの音も出ないといった様子で頭を垂らす。


「ルビーローズの花を咲かせることができれば、クリス様の呪いは解けるんですよね。でも王国中を探しても花を咲かる方法は見つからなかった。そしてクリス様の呪いはまだ経過途中で、完全になると大変なことが起きる――要するにそういうことですね?」

「その通り。呪いが完全となったらどうなるかはクリスに直接話してもらってくれ。これ以上俺は痛い目に遭いたくない」

 そう言ってハリーは盛大に噛まれた方の脛を擦った。

 エオノラは口元に手を当てて考え込んだ。


 内容は自分に危険が及ぶものなのだろうか。ハリーが非常事態と言うからにはその可能性はかなり高い気がする。

 呪いが完全なものとなったらどうなるのか。

 とても気になるところだがこれ以上ハリーの脛を犠牲にするわけにもいかない。後日きちんとクリスから話を訊くことにして、これ以上呪いの話をするのは避けることにした。


 それからエオノラは約束通りクゥのご飯を用意してから屋敷に戻った。あれからクゥは何か悩んでいるようで、こちらが声を掛けても上の空だった。

 何を考えているのか気になったが狼なのでエオノラが彼の考えを理解することは難しい。

 時間も時間だったので魔術師が作った宝石箱に関する資料を小脇に抱えて帰ることにした。






 屋敷に戻ったエオノラは自室に籠もって早速資料に目を通す。

「――なるほど。宝石箱を開ける鍵になるものって極論をいえばなんでもありってことなのね。鍵穴はただのカモフラージュだったんだわ!」

 資料によると、宝石箱に最初に入れた品に魔力が宿り鍵になるようだ。鍵となった品を宝石箱の蓋の上に置くと錠が自動的に解錠される仕組みになっている。


 最初に入れたものであればその辺に落ちている小石だろうと小枝だろうと正直なんでも良い。ただし、生ものは腐るので魔術は掛からないようになっている。

「……となると、お祖母様のブローチを使ってもう一度試してみる必要があるわね」

 エオノラはジョンにお願いしてもう一度アクアマリンのブローチを借りることにした。

 ドキドキしながら、ブローチを握る右手を箱の上まで持って行く。次にそっとブローチを蓋の上に置き、固唾を飲んで成り行きを見守った。だが、蓋が開く気配も解錠する音も聞こえない。ブローチをのけてから蓋に手を掛けてみたがびくともしなかった。


「嘘……ブローチが鍵になるんじゃないの? お祖父様との思い出の品なのに」

 落胆したが、まだ諦めるには早いと自分に言い聞かせた。

(宝石箱をしまっていた箱の中に、きっと鍵になる品があるはずよ)

 絵はがきやハンカチ、宝石箱をしまっていた箱の中にある、ありとあらゆるものを片っ端から試してみた。しかし、すべての品で試しても箱が開くことはなかった。

「宝石箱の鍵は一体どこにあるの……?」

 はあっとエオノラは深い溜め息を吐く。


 こんな時、柘榴石のペンダントがあれば悩みを聞いてくれて、何かアドバイスをくれたかもしれない。そう嘆いていたところで突然あっと声を上げた。

「……柘榴石のペンダント。そうだわ、きっと宝石箱の鍵は柘榴石のペンダントだわ!!」

 よくよく考えるとこの宝石箱を贈ってくれたのはあの祖母だ。

 彼女が鍵だけ渡さずにこの世を去るわけはないし、柘榴石のペンダントは祖母が亡くなる前に「大切にして欲しい」と言ってエオノラに贈ってくれたものだ。

 これなら辻褄が合う。


「だけど柘榴石のペンダントは修理中で手元にはないのよね……」

 漸く答えに辿り着いたのに、今すぐ確認することができなくてがっくりと肩を落とす。

 しかし望みがなくなった訳ではないとエオノラは自身に言い聞かせ、胸に手を当てる。(早く戻ってきますように……)

 逸る気持ちを抑えながら、柘榴石のペンダントが早く戻ってくることをエオノラは祈った。

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