第18話 突然の訪問者1


 エオノラは今日もクリスがいる死神屋敷へ向かっていた。

 ジョンやイヴを含む使用人たちには散歩をしていると嘘を吐いて出てきているのであまり長居はできない。滞在時間は二時間程度で、散歩と疑われない時間帯である朝と昼の間に通うことにしている。



 クリスは午前中の新鮮な空気を吸うために庭園の手入れをしていることが多かった。彼が庭園の手入れをしている間にエオノラがガーデンハウスで軽食やお茶の準備をする。料理人のような手の凝った料理はできないが、簡単な家庭料理は教わっていたので出してみた。初めてクリスのために作った料理はかぶと羊肉のシチュー。

 エオノラはクリスがどんな反応をするのかドキドキしていた。


 以前、リックに甘い物が食べたいとせがまれて差し入れにオレンジケーキを焼いて持っていったことがある。数日間屋敷の料理人に教えを請い、納得がいくまでお菓子作りに励んだ。

 そして一番できの良い物を持って行くと、彼はこんなは食えないと食べてもいないのに暖炉の薪代わりにしてしまった。喜んでくれることを期待していたのに、あんなことをされた時は悲しくて泣いてしまいそうになった。

 よって、誰かに料理を食べてもらうことは正真正銘これが初めてだ。またリックの時のような反応をされたらと思うと不安が過る。


 好みの味でなかったらどうしよう。

 調味料を入れすぎて濃い味付けになっていたらどうしよう。

 緊張で手が震える。何とか料理を盛った皿をクリスの前に置くと、自分の席にも同じものを置いて一緒に料理を食べ始めた。

「どうぞ、召し上がってください」

 厳しい感想を言われることを覚悟して固唾を飲んで見守っていると、クリスはスプーンでシチューをすくって一口食べた。一口大に切った羊の肉を咀嚼してごくりと飲み下す。


 ハラハラしながら見守っていると、やがて「美味しい」という言葉が聞こえてきた。

 クリスの手は止まることはなく、あっという間に皿は空になった。

 エオノラは心が温かくなるのを感じた。「美味しい」というたった一言。それだけでこれまでの努力が報われた気がする。



 料理のお陰なのかそれ以降、クリスは少しだけ雰囲気を和らげてくれた。とはいっても近づきすぎると冷たい態度で拒絶されるし、食事以外の時は素っ気ないので進捗としては微々たるものだった。

 相変わらず刺々しい言葉を口にしてくるが琥珀の瞳は以前よりも鋭さが和らいでいる。よって、彼との関係が膠着状態ではないと思うことにした。


 クリスの体調が優れない日は、クゥが代わりに四阿で待ってくれていた。普段クリスがいる時は顔を一切みせないのに、ご主人不在とあれば必ず現れて対応してくれる。よく躾けられた狼だと思う。

 以前クリスが言っていたようにクゥは雑食で生肉を嫌う。生魚も嫌う。火が通っていないと絶対に口にしなかった。さらに言えば、クリスが苦手な芽キャベツも同じように嫌っていて、ソテーしたものを皿に出すと、ツンと澄まして顔を背ける。

 その姿はクリスを彷彿とさせ、飼い主にそっくりだと苦笑いを浮かべてしまった。


 ルビーローズからは相変わらず悲しい音が聞こえてきて気がかりではあったが、一度盗みに入ったのではないかと疑われているので、彼の不信感が消えるまでは近づかないようにしている。また疑われて今度こそ屋敷に入れてもらえなくなったら、二度とルビーローズを助けることはできなくなるから。それだけはどうしても避けたい。

 エオノラはクリスからルビーローズの話が出るまでは何もしないと決めた。






 そうして死神屋敷に通うようになってから数週間ほどが過ぎようとしたある日。

 エオノラが庭園に足を運ぶとその日はクゥが四阿でお座りをして待ってくれていた。

「おはよう、クゥ」

 挨拶するとクゥが尻尾を揺らして返事をしてくれる。

 今日はクリスの体調が優れないのか尋ねると、短く吠えてくれた。

 それからクゥはおもむろに立ち上がって歩き始めた。付いてこい、という風に一度立ち止まってこちらを一瞥する。

 エオノラがクゥに従って付いていくと、到着したのはいつも料理をしているガーデンハウスだった。

 クゥは後ろ足だけで立ち上がり、前足に全体重を掛けて器用にガーデンハウスの扉を開く。一緒に中に入っていくといつも通りの景色が広がっていた。


 中に入って料理台の前まで進み、クゥの様子を窺っていると、彼が奥から何かを咥えて戻ってきた。それをエオノラの足下に落とすと鼻先で足先近くまで運んで来てくれる。

「これを私に?」

 クゥが持ってきたのは書類の束だった。エオノラがそれを拾い上げて内容を確認すると、興奮して声を上げる。

「まあ! これって、魔術師が作った宝石箱に関する資料だわ! 侯爵様が見つけてくださったのね」

 あれ以降もエオノラは宝石箱を開けるため、祖母の鍵になりそうな品を探していた。祖母のことだからきっと大切な品を鍵にしているとエオノラは予想している。


 ジョンに祖母が大切にしていたものはないか尋ねると、祖父からもらったアクアマリンのブローチを生涯大切にしていたという。

 その遺品をジョンに出してもらい、鍵になるか試してみたが、手にしたアクアマリンはエオノラの親指の爪くらい大きく、真上から見ると正方形のように見えるプリンセスカットに整えられていた。どう考えも鍵の形はしていないし、鍵穴に入る大きさではなかった。

 何でも良いから手がかりが欲しかったので、この資料をもらえるのは大変ありがたい。

 エオノラは資料を大切に抱き締めると、一旦調理台の上に置いた。


「今度侯爵様にお礼を言わないと。だけどまずは――あなたのご飯を作りましょうね」

 ご飯の提案をするとクゥが嬉しそうに口を開いて笑顔になる。

 つられたエオノラもにっこりと笑みを浮かべてクゥの頭を一撫ですると、服の袖をまくった。

「そういえば……侯爵様は、クゥはなんでも食べると仰っていたけど、狼って本当になんでも食べられるの? 犬みたいにレーズンや玉ねぎが駄目、とかないのかしら?」

 まな板と包丁を用意したところで、不意に疑問が湧いた。

 これまではクゥのご飯を用意する際はクリスからの指示が必ずあった。内容としてはチーズを載せたパンや玉子のサンドイッチなど。

 改めて考えてみると、狼が食べるには不思議に思う料理ばかりだ。


 頬に手を当てて物思いに耽っているとクゥが一吠えする。

 お腹が空いているのでなんでもいいから早く食べたいようだ。

「分かったわ。すぐ食べられるようオムレツを作りましょうね」

 人差し指を立てて提案するとクゥが尻尾を元気よく左右に振り、きらきらと目を輝かせた。

「ならばベーコンはカリカリに。パンにはチーズを載せて火で炙ってくれないか?」

「分かったわ。リクエストに応えてそうしましょ……え?」

 入り口の方から聞き覚えのある声がして、振り返るとそこにはハリーが立っていた。

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