第13話 幻の花・ルビーローズ5

 ◇


 庭園の四阿でお茶を飲んだ後、ハリーとクゥはエオノラを正門で見送った。馬車に乗るよう勧めたが断られてしまったので彼女の姿が見えなくなるまで見守ることにした。



 それから庭園の四阿に戻ると、ハリーは椅子に座って残りのお茶を飲み始める。と、先程までエオノラが座っていた椅子に、クゥがひょいっと飛び乗った。

「茶が飲みたいのか?」

 尋ねると、クゥは半眼でじっとハリーを見つめた。

「ハリーは一体何を考えているんです? ここには大事なルビーローズがあるんですよ!」

 クゥは人間の言葉でハリーを非難した。

 通常の人間なら狼が人の言葉を喋ることに驚くが、ハリーは涼しい顔をしてラム酒入りのケーキを頬張っている。


「そう怒るな」

「怒っていません」

「嘘つけ。怒ったり苛ついたりするといつも口調が丁寧になるくせに」

 ハリーがにやりと白い歯を見せると、クゥはぐうっと唸った。

「これでも俺は君のためを思って行動したぞ」

「私のため?」

 クゥは三角の耳をピクリと動かし聞き咎めた。

「そうとも。この屋敷には使用人が一人もいないし、王族以外で交流のある人間もいない。誰かと交流しないと心が病むだろう?」

「……私のためというのなら、彼女を屋敷に上げるべきではなかった。あなたの軽薄な行動のせいでルビーローズが危険に晒されることになる。それ以上の秘密が知られてしまったら一体どうする?」

 ルビーローズ――それはクゥにとって命に代えても守るべき大切なものだ。ただ稀少価値が高いからではない。核心的なものがこの花にはある。



「……ルビーローズがなければ、ラヴァループス侯爵の呪いは解けない。解けなければこの呪いは次の世代へ、確実に受け継がれていく」

 ハリーはバタークッキーに手を伸ばしながらクゥを宥めた。

「心配しなくともエオノラ嬢にはさっき条件をつけた。いつまでも人との交流を拒絶していては仕方がない。彼女はクリスの醜い姿を見ても失神しなかった稀有な存在だ。――まさか、魔力持ちなのか? 魔術師の可能性があるなら法律に則って速やかに保護して魔術院に入れなくてはいけない。が、そうなるとクリスの世話を頼めなくなるな」

 ハリーとしては誰かにクリスの面倒を見てもらいたいところだが、普通の人間は侯爵の醜い姿に失神する上、顔を見たら死んでしまうという噂を真に受けている。そのため、どれだけ給金をつり上げて使用人を募集しても手を挙げる者はいなかった。


 ハリーが懊悩しているとクゥは鼻で笑った。

「失神しなかっただけで魔術師と判断するなんて笑止千万。この世に肝の据わった令嬢が一人いてもおかしくはない」

 そう一蹴したところで、エオノラを庇ったことに気づいたクゥは内心戸惑った。

 どうして自分がエオノラを庇うのだろう。

 別に庇ったところでまた毎日屋敷に来られるだけなのに。嫌ならハリーに同調し、彼女は本当の姿が見える力を持つ魔術師だと言って、魔術院へ連れて行ってもらえば良かったのに。

 クゥが自分の行動に驚いていると、指摘されたハリーが膝を打った。


「それもそうだな。この世にはいろんな人間がいる。万人が万人、クリスの顔を見て失神するとも限らない。もしも魔術師なら鼻が利く魔術院が動き出すだろう」

 魔術師と判断される基準は様々だが、一番は物を浮かせることができるかどうかだ。これは魔術に目覚めた人間に最も多い傾向で、魔力テストにも採用されている。

「貴族令嬢なら間違いなく幼少期に魔力テストを受けているだろうし、今更力が目覚めることはないはずだ」

 ハリーは改めて椅子に座り直すと真っ直ぐクゥを見つめた。


「ルビーローズが花を開けば呪いは解けると言われている。だが歴代侯爵の誰もその答えには辿り着けなかった。それでも、花を咲かせる方法を探し続けるのか?」

 不安げな眼差しを受けてクゥは力強く頷いた。

「もちろん。私は死ぬまで諦めない。こんな想いをするのは私の代までで充分だ。――ところで、そろそろ例の薬を渡してくれないか?」

 クゥの視線の先にはハリーが持ってきた鞄がある。

 ハリーは鞄を開けて薬瓶を一本取ると蓋を開け、縁のある皿にそれを流した。

「十回分を持ってきた。身体への負担も大きいから、間隔を空けて服用してくれ」

「分かっている」

 クゥは皿が目の前に置かれると、それを飲み始めた。

 最後の一滴まで飲み終えた頃には、狼の姿はどこにもなかった。



 月夜を閉じ込めたかのように美しく輝く青みがかった白銀色の髪に、琥珀色の瞳の青年が椅子に座っている。

 ハリーは目を伏せると溜め息を吐いた。

「薬の開発と研究は続けているが、効きづらくなっているな。――申し訳ない、クリス」

「ハリーが謝ることじゃない。これが呪いなのだから仕方ない……」

 狼から人間の姿となった青年――クリスは平淡な声で答えると椅子から立ち上がって庭園の中へと歩いて行く。


 つるバラのアーチを抜けていくと、鳥かごのような大きな鉄柵が見えてきた。

 近づいて手を伸ばせば、ルビーローズの枝に軽く触れた。触れた枝が揺れると、ルビーに似た蕾が陽光によってキラキラと輝く。蕾のまま摘んでしまえば宝石のルビーとして加工できそうなくらいだ。そう思っても決して摘みはしない。

 蕾を摘んでしまえば、たちまち普通のバラの姿となってしまうことをクリスは知っている。そして呪いを解く重要な鍵を無駄にすることになる。


 ラヴァループス侯爵の呪いは、他人の目には醜い姿で映ることに加えて、姿が人間から狼になってしまうというものだった。人間から狼になることは簡単なのに、狼から人間になることは難しい。

 初めて呪いが発動して狼になった時は、先代侯爵が亡くなった次の満月だった。

 月日を重ねるごとに満月とは関係なく、人間の姿から狼の姿になる時間の方が長くなっていった。

 呪いが進めば、いつか完全な狼となって人間には戻れなくなってしまう。

 歴代侯爵たちは皆、狼化が進んで戻れなくなって死んでいった。戻れなくなった後はルビーローズの世話をして守ることだけに命を捧げた。


 この呪いを解くためにも、鍵となっているルビーローズの花を咲かせなくてはいけない。花を咲かすことができれば、代々続くラヴァループス侯爵の呪いは完全に解ける。

 クリスが侯爵となって初めてこの屋敷を訪れた時、ルビーローズは枯れてしまいそうな状態だった。

 クリスはバラの研究に没頭し、ルビーローズが蕾をつけるところまで成果を上げた。しかし、それ以降の成長はなく手詰まりになってしまっている。

 国中、時には周辺諸国から取り寄せた様々な書物を読み漁ったが、有力な情報が書かれたものは見つからなかった。

「どこにも文献がないのは、それこそ稀少な品種だから仕方がないのかもしれない。でも一つくらいはあってもいいはずなのに、有力な情報ちっとも見つからない。どうやったら蕾は開くんだ。呪いを解くためにはルビーローズの花が必要不可欠なのに」

 クリスは額に手をつけてから、前髪をくしゃりと掴んだ。

 ふと、同じ場所に立っていたエオノラの姿が頭に浮かんだ。



 ルビーローズの前で悲哀の表情を浮かべる彼女。初めてルビーローズを見たのならば、この宝石のような美しさに見惚れているはずなのに、彼女は違った。

(あの時、エオノラ嬢は何を思っていたんだろう)

 そこまで考えてクリスは微苦笑を浮かべた。

 一介の令嬢が、悪い噂しか絶えない死神屋敷に単身で乗り込んでくるなんて何か事情があるに決まっている。初めて彼女がここに来た日、その顔には涙の痕があった。

 痴情のもつれがあって自暴自棄でこの屋敷に来たのだと思い、狼の姿で牽制した。途中ハリーを乗せた馬車が来たので逃がす手伝いをしてやったが、その時はもうここには来ないだろうと高を括った。

 ところが数日後、彼女は性懲りもなく逃がしたルートから庭園にやって来た。

 どうしてまた死神屋敷と恐れられるこの屋敷に乗り込んできたのか分からなかった。

(先程ルビーローズの前にいた時は盗みに入ったのだと思い、頭に血が上って威嚇してしまったが、エオノラ嬢はすぐに謝ってきたし、盗もうという素振りも見せなかった)

 結局、何の目的で動いているのかいまいち判然としない。


 不思議なのは、彼女がこちらに冷たい態度を取られていると知っていながらも世話を焼いてくるところだ。クリスからしてみれば理解不能だ。

 しかし、ただ一つ確かなことがある。それはエオノラがバラを心から慈しんでいるということ。その姿を見ていて悪い気はしなかった。

 とはいってもそれ以外の思考がまったく読めず、薄気味悪い。だからこそエオノラに世話をしてもらうことは反対だった。

 これまで通り、回数が減ってもハリーが屋敷に来ればいい。

「ハリーはこの国の第二王子で、医学や薬学などの学術的な分野で活躍している。学者からの信頼も厚いし、以前よりも多忙だ。だから俺の世話を任せられる誰かを探していた」

 そんな折、様子を見に来たハリーの従者が軽食を届けに来ていたエオノラの存在に気づいたのだろう。一番初めに紙袋を受け取らなければこんなことにはならなかったと、今更ながら後悔してしまう。


 自分の中で人との交流に飢えていたのは事実だ。だから冷たい態度を露骨に取りながらも、最後まで突き放しきれなかった。

「この選択は間違っている。エオノラ嬢が何を考えているのか分からないし、このままいけば私に待っているのは破滅だけ。万が一彼女が悪事を企てているにしても私の運命が彼女を巻き込み、傷つけるなんてあってはならない」

 エオノラの意図は図りかねるが、これまで通りぞんざいに扱えばいいだけの話だ。

 握っている拳が震えるのを感じたクリスは、さらに力を込めた。

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