第12話 幻の花・ルビーローズ4


 若い頃に右足に怪我を負ってしまったせいで杖が必要ではあったが、それ以外は健康でいつだって溌剌としていた。好奇心旺盛で、誰もがその足では無理だろうと思うことを簡単にやってのけるような人だった。


 そんな行動力のある祖母に病気が見つかった。本人は大丈夫だと言っていが身体は瞬く間に悪化してベッドから起き上がれなくなり、そのまま帰らぬ人となった。

 一緒には暮らしていなかったので、死に目に会えなかったことが未だに心残りだ。


(薬のお陰で症状の進行を抑えられるのは良いけど、侯爵様の両親は心配しているはずだわ。……本人は呪いを気にして会わないようにしているみたいだけど)

 まだクリスとは数回しか会っていないので彼の考えることは分からない。しかし、ハリーの話を聞けば聞くほど、クリスは自分よりも他人を大切にする人だいう印象が強くなっていく。



「冷めないうちに飲むと良い」

 いつの間にか目の前にはお茶の入ったカップが置かれている。

 我に返ったエオノラはお礼を言って椅子に座ると淹れたてのお茶を口にした。

 ハリーは自分のカップにもお茶を注ぐと早速口を付ける。


「……エオノラ嬢、折り入って一つ頼みたいことがある」

「頼み、ですか? それは私にできることでしょうか?」

「これは君にしかできない。正直なところクリスの身体が薬に慣れてきてこのところ効き目が良くないんだ。そのせいで体調の悪い日が多い。そこで、君にクリスやクゥの世話を私の仕事が落ち着く夏頃まで手伝ってもらいたい」

「えっ? どうして私に?」

 目を見開いて聞き返したが、ハリーの意図がなんとなく理解できる。


 エオノラはクリスの姿を見ても失神せずに平然としていられる。そればかりか進んでクリスと交流を図ろうとする人間だ。容易く手放すには惜しいのだろう。その上、ルビーローズの存在を知ってしまった。不審な行動をしないかどうか監視する上で、クリスとクゥの世話を頼めば一石二鳥だ。

 正直なところエオノラにとってもこれは良い提案だった。



 社交界デビューするまでの間、暫く暇になることは覚悟していた。社交界では悪い噂が流れ、シュリア以外の友人たちからは距離を置かれているため現状手持ち無沙汰になっていた。

 それは否応なしにリックとアリアの記憶が蘇ってしまうことを意味し、これでは悪循環になってしまう。

(だけど、侯爵様やクゥのお世話ができるなら気も紛れるし思い出す回数が減るわ)

 エオノラは今までにない興奮を覚えて胸が高鳴った。しかし、そこで一つ疑問が残る。


 ここで自分が快諾しても、クリスはこの件をよしとするだろうか。

 クリスはエオノラが来るのを迷惑だと言っていた。不治の病を煩っているにも拘らず、呪いで他人を遠ざけ両親すら屋敷に寄せ付けないようにしている。

 エオノラとしては自分がきっかけで両親との交流の足がかりになって欲しいと思う。だが、クリスは決して首を縦には振らないだろう。


「その依頼を私はお引き受けしますが、侯爵様に了承を得てからにしてください」

「了承を得るも何も、クリスは快諾するだろうから心配いらない」

 するとハリーの足下で寛いでいたクゥが起き上がって不満そうに吠えた。


 ハリーは肩を竦めると宥めるような声で言う。

「クゥ、俺は魔……仕事でここに来られる余裕がなくなっている。誰かには面倒見てもらわないといけない。彼女はクリスの顔を見ても卒倒しなかった。肝だって充分据わっているし、仮にクリスの病が悪化しても彼女が俺に連絡してくれる。ルビーローズのことが心配なら、尚のこと彼女を側に置いておいた方が都合が良い。こんなか弱い令嬢が一人で屋敷に乗り込んで盗める訳がない」

 クゥはハリーの説得に尚も首を横に振った。

 エオノラはハリーの話を聞いて思案顔になった。

 このままではクリスやクゥが何か危機的な状況に陥ってしまった場合、誰も助けに来てくれない。これまではハリーが定期的に様子を見に来てくれていたようだが、話を聞く限りそうもいかなくなる。

(侯爵様もクゥも、それからルビーローズも放っておけないわ)

 エオノラは椅子から立ち上がると、クゥの目の前まで移動してしゃがみ込んだ。


「クゥ。あなたが番犬として働き者であることは充分知っているわ。ルビーローズに手を出さないことは約束するからここに来ることを許して? 私、クゥも侯爵様のことも心配なの。だからどうか、お願い」

 そこでハリーが言葉をつけ加える。

「エオノラ嬢にはルビーローズには触らないという条件に加えて、屋敷の中には入れないという条件もきちんと付ける。それでどうだ?」

 クゥはハリーを睨むと鼻面に皺を作った。納得していないらしい。


 すると、ハリーがエオノラに問いかける。

「エオノラ嬢、君にこんなことを尋ねるのは失礼かもしれないが料理はできるか?」

 通常、料理というのは料理人の仕事なので一介の令嬢がするものではない。だが、エオノラはリックに手料理を食べたいとせがまれて料理人から少しだけ料理を習っていた。

「簡単なものであれば少しだけ……」

「へえ、それは良い。なんてったってもうまずい保存食の日々を過ごさなくて済むんだから。野菜の酢漬けや魚の塩漬けなんかとは無縁になるぞ」

 その言葉を聞いたクゥはまだ腑に落ちない素振りをみせたが、ハリーの粘り強い説得に根負けして最後は尻尾を揺らして了承してくれた。



「ふぅ。これで決まりだな」

 話がまとまって満足したハリーはクッキーを口に放り込み、カップのお茶を飲み干した。エオノラもお茶を飲もうとカップを口元へと運んでいく。

「そういえば、最初の挨拶で礼儀を欠いて悪かった。俺の名前はハリストン・エスラワンだ」

「…………え?」


 ハリストン・エスラワン。ハリストン・エスラワン。ハリストン・エスラワン。

 呪文のように名前を繰り返していくうちに相手が誰なのか理解したエオノラは持っていたカップを落としそうになった。

「エスラ……え? ええ? だ、第二王子殿下のハリストン様ですか!?」



 エスラワン王家には三人の王子がいる。

 第一王子のルイストル、第二王子のハリストン、そして第三王子のフェリクスだ。第一王子であるルイストルは隣国の姫君と結婚し、現在は新婚旅行も兼ねて諸外国を外遊している。第二王子のハリストンは大学院を卒業後、王宮の研究所に勤めている。

 そして第三王子のフェリクスは心を病んで離宮で療養中だ。


 王家には必ず心が病みやすい子供が一人生まれてくるという。フェリクスの前は現国王の叔父がそうだった。彼は亡くなる日の最後まで離宮で暮らし、社交界にも顔を出すことなくひっそりとその生涯を閉じている。


 社交界を渡り歩くための教養として家庭教師から教え込まれたエスラワン王家の知識を頭の中で思い出す。

 エオノラは王家の一人であるハリストンに深々と頭を下げて挨拶をした。


「不躾な振る舞いをしてしまい、大変申し訳ございません。非礼はお詫び致します」

「本名で答えたら、対等に話なんてしてくれないだろう? だから敢えて先程は姓を省略していた。私のことは引き続きハリーと呼んでくれ」

 エオノラは一つ重要なことを思い出した。

 ラヴァループス侯爵と交流がある者がいるとすればそれは王族しかいない、と。

 どうしてハリーが最初に現れた時に気がつかなかったのだろう。


 エオノラが混乱する傍らでハリーは楽しそうに白い歯を見せる。

「というわけで、改めてよろしく頼むぞエオノラ嬢」

 ハリーは今までにないくらい王子らしい爽やかな表情を浮かべて言った。

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