第11話 幻の花・ルビーローズ3


「クリスは普段誰かと会う時は必ず仮面をつけて対応するようにしている。優しいから誰も傷つけたくないんだ。屋敷に一人で引き籠もってるのだってそう。迂闊に外へ出ないのは、困ったことが起こらないようにするためさ。両親すら寄せ付けないようにしている」

 話を聞いていると、どうしてクリスが何度も屋敷に来るなと冷たい態度を取るのか少しだけ分かった気がする。彼は自分のせいで誰かが傷つくのが嫌なのだ。たとえ孤独になろうとも、恐れられようとも、誰かを守るためならそれを厭わないと思っている。

 手の傷を手当してくれたのも、きっとその表れだろう。


(侯爵様の行動は利他の表れ。……だけど私が取った行動は……)

 屋敷に二度も侵入した自分の行動はなんと向こう見ずで浅はかだったのだろう。

 事情を知らなかったとはいえ、これまで取っていた行動を恥じると眉尻を下げて俯いた。

「君が落ち込む必要はない。私としてはクリスが誰かと関わりを持ってもらえたらと考えている。今日君と接しているクリスを見てひどく嬉しかったよ。だから顔を上げなさい」



 ゆっくりと顔を上げれば、優しく微笑むハリーとその背後には咲き誇る見事なバラが一面に広がっていた。たった数日来なかっただけなのに、蕾だった花が開いている。


 エオノラは思わず感嘆の声を上げた。

「良い反応だ。もっと良い場所があるぞ」

 ハリーに案内されるがまま歩み進めると、小高い場所に立派な四阿が建っていた。

 そこにはお茶を楽しめるように丸テーブルと椅子が置かれていて、クリスがお茶のセッティングを行っていた。

 三人分のティーセット。皿の上に並べられているのは昨日届けたラム酒入りのケーキと今日届けたばかりのスコーンとクッキーだ。


 受け取ってくれたことが嬉しくて自然とエオノラは顔を綻ばせる。が、エオノラに気づいたクリスが冷たい視線を送ってきたので慌ててそれを引っ込めた。

(屋敷には入れてくれたけど、やっぱり歓迎はされていないようね)

 相変わらずな冷たい態度を受けてエオノラは気落ちする。


 それからクリスの準備が終わるのを四阿の柱の側で待っていると、リンリンと石の音が聞こえてきた。

 エオノラはハッとして後ろを振り返る。

(ここからかなり近いわ。今なら石の場所に辿り着けるかもしれない)

 ちらりとクリスとハリーを見やると、二人は楽しげに話をしている。今が絶好の機会だ。


 エオノラは気配を消してそろりと後ろに下がると、それから音のする方に向かって駆け出した。

 近づくにつれてリンリンという音が鮮明になっていく。逸る気持ちを抑えながらエオノラは音がする方へと突き進んだ。

(教えて。あなたは何を伝えたいの?)


 つるバラが巻きついたアーチをいくつも抜けると、円形に植えられたイチイが現れた。中心には鳥かごのような形をした大きな鉄の柵があり、入り口には閂とダイヤル式の錠が掛かっている。その鳥かごの中心に、エオノラを呼ぶ音の主は佇んでいた。



 樹木は淡い赤色を帯び、幹から枝にかけて水晶のように透き通っている。そよ風に当たって揺れる蕾は太陽の光を浴びてきらりと反射した。

「これってもしかして……ルビーローズ、なの?」


 ルビーローズ――それは水晶と植物の融合とも言われる幻のバラのことだ。

 学術的には植物に分類されているが、その存在は眉唾だと疑われるほど稀少な品種となっている。


(昔、お祖母様からルビーローズの話を聞いたことがあったけど、本物を見るのはこれが初めて)

 ルビーローズは花が咲くと真っ赤なルビーのような煌めきを放つという。

 枝を手折ったり、花を摘んだりすると一瞬でその煌めきは失われ、普通のバラのような姿になってしまうと言われている。


 エオノラはしげしげとルビーローズを観察して、あることに気がついた。

「……このルビーローズ、蕾はついているけど花が一つも開いていないわ。植物にはあまり詳しくないけど、庭園のバラと比べてなんだか元気もない」

 鳥かごの側まで寄るとしゃがんで音に耳を傾ける。

 リンリンと鳴る鈴のような音。悲痛な音をより細かに分けると、そこからは寂寥感、喪失感などが入り交じっている。

「あなたは、何をそんなに悲しんでいるの? 私に何かできることはないかしら?」

 ぽつりと話しかけたエオノラが柵の間に手を入れる。次に、枝に触れようと手を伸ばせば背後から狼の唸り声がした。


 振り返ると、そこにはこの間の狼が鼻面に皺を寄せてこちらを睨めつけている。それ以上、柵に手を入れたら腕を噛みちぎると言わんばかりに鋭い牙を剥き出しにしてきた。

 尋常ではないほどの殺気と威圧感に気圧されて、慌てて手を引っ込める。


 エオノラは伸ばしていた手を守るようにもう片方の手で包みこんだ。それから素早く立ち上がる柵から距離を取る。

 この狼はルビーローズを守るために飼われているようだ。世にも珍しいルビーローズは、特に宝石商や園芸家、コレクターが喉から手が出るほどの品。

 忍び込まれて盗まれでもしたら一大事だ。鉄製の頑丈な柵で守られてはいるがこの屋敷に住んでいる人間はクリスだけ。噂を信じない――取り分け顔を見れば死ぬという部分を信じない者からすれば、ルビーローズを盗み出すことなど造作もないだろう。


(防犯対策のためにこの狼を調教したのね)

 狼は尻尾の毛を逆立たせ、姿勢を低くして威嚇していた。

「ごめんなさい。もうあなたの大切な花に触ろうとしないから……」

 謝罪を口にするも興奮状態の狼の耳には、エオノラの言葉は届いていなかった。

 血走った目をギラリと光らせる狼は大きく口を開いて飛びかかってきた。


「きゃああっ!」

 悲鳴を上げ、エオノラは手で頭を抱えてしゃがみ込む。

 しかし、いくら経っても狼から来るはずの衝撃はなかった。代わりにバウバウという不服そうな声と「暴れるな」というハリーの声がする。

「……?」

 恐る恐る顔を上げると、暴れる狼を腕の中で押さえつけるハリーの姿があった。


「こらこら興奮して暴れるな。令嬢に取る態度じゃないぞ」

 激しく暴れて噛みつこうとする狼をものともせず、ハリーは冷静に対処している。それなりに腕力があるようで、どんなに狼が暴れても押さえつけたままだった。


 次第に狼の方が疲れを見せ始め、大人しくなっていく。

「頭を冷やすといい。彼女は何も知らないんだし、君が威嚇したら素直に謝ってきたじゃないか。だから襲ったり噛んだりしてはいけない」

 狼は尚も唸り声を上げてハリーを睨んだが、やがて小さく頷いた。

「取引成立だな」

 そう言ってハリーは腕の力を緩めた。


 解放された狼は頭を左右に振ってフンッと鼻を鳴らす。まだエオノラを許したわけではないようで、半眼で睨んでくる。

 エオノラが狼に不安を抱いているとハリーが手を差し出して立たせてくれた。

「ふう。急にいなくなったから驚いたよ」

「ごめんなさい。庭園の奥が気になってしまって。好奇心からここまで来てしまいましたが、狼さんの気分を害してしまったみたいです」

「ははは。心配しなくても大丈夫だ。あいつがルビーローズに関して神経質すぎ……痛いっ!」

「ハリー様!!」

 いつの間にか狼がハリーのふくらはぎに噛みついている。


「大丈夫。ただ戯れているだけだよ。普段は噛まないし、暫く俺が来なくて寂しかったんだろう。まったく、可愛いやつ……だから痛いって!」

「やせ我慢しなくて大丈夫ですから。狼さん、お願いなのでハリー様のふくらはぎを噛むのはやめて」

 エオノラが懇願すると、狼は大人しく噛む力を緩める――が、最後に盛大に一噛みしてハリーに悲鳴を上げさせた。


 狼は満足した様子で尻尾を揺らすとルビーローズの前に座る。青みがかった銀色の毛並みは艶やかで、凜としている姿はまるで神殿を守る聖獣の如く神々しい。

「狼さんはルビーローズを守っているのね。とっても偉いわ」

 エオノラが褒めると狼が当然だというように胸を張る。

 番犬代わりに調教された狼だ。褒めてやるとその態度は犬とあまり大差ないように思えた。


 エオノラは狼の頭にそっと手を伸ばした。最初はこちらを睨んで鼻に皺を寄せ、警戒する狼だったが、エオノラに頭を撫でられた途端、不服な態度はそのままに大人しくなる。

 するとその光景を目の当たりにしたハリーが眉を上げた。

「ふうん。その子は滅多に身体を触らせないんだけど。エオノラ嬢はいいみたいだねえ」

 ハリーがにやにやと口角を上げたところで狼がぎろりと睨む。しかし、エオノラは背中を撫でていたため、狼の表情には気づかなかった。


「ハリー様、この子の名前は何と言いますか?」

 エオノラが尋ねるとたちまちハリーが視線を泳がせる。

「えーっと、その狼の名前は何だったかな。確か…………クゥ」

 自信がないのか声が尻すぼみになっていく。


 エオノラがそうなのか確認を込めてクゥに尋ねると、クゥは少し考え込んだ後こっくりと頷いた。

「よろしくね。クゥ」

 前からそうだったがクゥは人の言葉をよく理解しているようで、表情や尻尾を使って意思疎通を図ってくれる。

「そろそろお茶を飲みに戻ろう。ぬるくなったお茶ほど美味しくないものはない」

 クゥに噛まれたふくらはぎの痛みが治まったハリーはエオノラとクゥを連れて歩き始めた。お茶と聞いたエオノラはふと、クリスのことを思い出す。


「あの、侯爵様はまだ四阿にいらっしゃるのですか? さっきから姿が見えないようですけど」

 尋ねると、ハリーはばつが悪そうな表情をする。

「……クリスは体調が優れなくて屋敷に戻ったよ」

「えっ!?」

 初めて会ったあの日も最後は苦しそうに胸を押さえていた。彼の病気はそんなに深刻なのだろうか。


 苦しむクリスを思い出して心配しているとハリーが真顔で言った。

「彼は、不治の病を患っているんだ。これはラヴァループス侯爵の呪いの一種だよ」

「呪いの一種ですか?」

「ああ。呪いはただ顔を醜くするだけじゃないのさ」

 暗い声色から察するに、クリスの状態は芳しくないようだ。


 エオノラが愁然として項垂れているとハリーが穏やかな声色で言った。

「心配する必要ない。俺がここにいるのはクリスを助けるためだから」

 どういうことなのかエオノラが首を傾げていると、四阿が見えてきた。


 そして、ティーセットが並んだテーブルの足下には、いつの間にか革張りの鞄が置かれている。

「君が四阿からいなくなった後、護衛騎士が鞄を届けてくれたんだよ」

 ハリーは椅子の上に鞄を置いて蓋を開ける。中にはいくつもの薬瓶がベルトで固定されていて、さらに聴診器や注射器も入っていた。


「俺は医学や薬学にはちょっと詳しくてね。クリスに合う薬を調合して定期的に届けに来ているんだ。これがあれば呪いを抑えることができる」

「そうだったんですね。その薬があれば侯爵様はきっと身体が楽になるんでしょうね」

 症状を抑える薬があると聞き、エオノラは胸に手を置いて安堵の息を漏らす。不治の病だから治すことはできなくても、症状の進行を抑えられるのならまだ救いがある。

(お祖母様は病気が見つかってあっという間だったから……)

 エオノラは目を閉じて亡き祖母の姿を思い浮かべる。

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