第10話 幻の花・ルビーローズ2
「うちをゴミ置き場か何かと勘違いしてないか?」
見目麗しい雰囲気とは裏腹に表情は顰めっ面だ。
「ゴミを置いているわけではありません。軽食を持ってきたんです。もう体調は大丈夫ですか?」
不安げに尋ねるとクリスは一瞬瞠目する。
やがて、柔和な表情になると口を開いた。
「お気遣いありがとうございます。私には大変勿体ないことですね」
「いいえ。そんなこと……」
「それで私はエオノラ嬢の自己満足にいつまで付き合えばよろしいですか?」
「なっ……」
そこまで言われてさすがに傷ついた。言い返そうとしたエオノラだったが、口を噤んでしょんぼりと肩を落とす。自己満足や偽善のために行ったつもりはないが、もしそれでクリスが気分を害したのなら申し訳なくなったからだ。
「私は侯爵様の体調が心配だったんです。ですが、私の行動で不快な思いをさせてしまったのならごめんなさい」
悲痛な表情を浮かべるエオノラはクリスの目を見て心の内を吐露する。
エオノラはクリスの体調不良に加えて、琥珀の声を聞いてしまった。ただの音ではなく、言葉として語りかけてくる程に、琥珀はクリスのことを心配している。
だから余計に放ってはおけなかったのだ。
見つめていると、クリスの瞳に悲しい色が浮かんだような気がした。それはほんの一瞬のできごとで、彼は表情が見えないようにサッと顔を伏せると、冷たい声で突き放した。
「……もう屋敷には来ないで欲しい。食べ物もいらない」
クリスはこちらに背を向けるとさっさと歩いて行こうとする。
「あ、待って……」
頭で考えるよりも先に口が動いていた。今引き留めないとクリスは二度と会ってくれないような気がする。
エオノラが鉄柵を掴んで呼び止めるも、クリスは立ち止まりもせずに茂みの中へと消えていく。
(……侯爵様の力になりたいのに)
受け取ってもらえなかった紙袋にエオノラが視線を落としていると、突然聞き覚えのない男性の声がした。
「ほう。まさかこの屋敷で逢い引きが見られるとは思いもしなかった」
頭を動かすと、春の陽光を思わせる金髪に、緑色の瞳を持つ、精悍な顔立ちの青年が立っていた。少しだけ長い髪を後ろで緩くまとめ、深緑色の上着には髪と同じ金糸の刺繍が入っている。ガラスでできたカフスボタンをつけていることもあり、軽妙洒脱な印象を受けた。
まだ社交界デビューしていないエオノラは彼が誰なのか分からない。しかし、服装や後ろの方で控えている黒塗りの豪奢な馬車から侯爵の知り合いなのだと悟った。
「何故こちらに? まだ来る時間にしては早いと思いますが?」
クリスは青年の声を聞いてこちらに戻って来ていた。手に持っている懐中時計の蓋を開いて時間を確認した後、迷惑そうな表情で相手を睨む。
客人にこんな態度を取って良いのだろうか、とエオノラはひやりとしたが青年は素知らぬ様子で話を始めた。
「今日、勇み足でここへ来たのは毎日ひたむきに軽食の入った紙袋を置いていく妖精さんが誰なのか突き止めるためさ! 早く来たお陰でやっと妖精さんに会うことができた。まさかご令嬢だったとは! 意外や意外」
青年は馬車の御者に大きく手を振ってこちらに来るように合図をした。御者のかけ声と共に馬車が緩やかに動き始め、屋敷へと近づいてくる。
「さあてクリス。客人が来たのだから門を開いて通してくれるかい? それから、大事な妖精さんからの贈り物を忘れているぞ! このうっかりさんめ!」
青年は抜け目ないようで、エオノラの紙袋を拾い上げるとクリスの胸に押しつけた。
「……分かりました。すぐに門を開きます」
紙袋を抱えたクリスは頬を引き攣らせるが、やがて溜め息を吐くと諦めた様子で鉄門を開けに行った。
(……凄い。いろいろと押し切ったわ!)
感心したところで、エオノラは二人の邪魔にならないようお暇の挨拶をする。
すると、青年が待てというように手で制してきた。
「こんなところで立ち話しで終わりにするのも気が引ける。この屋敷の庭園でお茶でも一杯飲んで帰ると良いさ。見所はなんと言っても早春に咲く美しいバラだよ」
「えっ、ですが侯爵様の許可なく勝手に入るわけには……」
すると青年はそんなことかというように腰に手を当てて破顔一笑した。
「俺は彼の客人。客人の俺が君を招待するのだから勝手ではないさ」
「えーっと……」
胸を張って主張されても、こじつけな気がしてならない。
どうしようかと躊躇していると、クリスが門を開いてこちらにやって来た。
「彼は駄目だと言ったところで私の話を聞きやしない。お茶の用意をするから一緒に来るといい」
「ありがとうございます。……お言葉に甘えてお邪魔します」
入る許可を得たエオノラは青年と一緒に屋敷の門をくぐり、雑草を除けながら庭園へと歩いていく。
クリスはお茶を用意すると言ってさっさと行ってしまった。
青年とは初対面なのだからせめてお互いの紹介くらいはして欲しかったと心の中で愚痴をこぼす。
(侯爵様に歓迎されてないから仕方がないことだけど)
青年と肩を並べて歩いていると、エオノラの気まずい空気を察したのか彼が優しい口調で尋ねてきた。
「失礼だけどあなたの名前は……? 社交界では見ない顔だね」
問われたエオノラは歩みを止めると、スカートの裾を少し摘まんで挨拶をする。
「自己紹介が遅れてしまいました。私はエオノラ・フォーサイスと申します」
「嗚呼、フォーサイス家のご令嬢か! これは失礼。今年が社交界デビューだったね」
青年もエオノラに倣って丁寧に挨拶を返してくれた。彼は自身をハリーと名乗った。
フルネームで答えないことに違和感を覚えたが、何か事情があるのだろう。
エオノラは追及はせずに「よろしくお願いします」と返した。
屋敷の外廊下をハリーと一緒に歩きながら辺りを見渡してみるが相変わらず
エオノラは世間話も兼ねてそのことについてハリーに質問をした。
「ハリー様、ここには侯爵様以外誰もいらっしゃらないんですか……?」
「お察しの通りさ。ここにはクリス以外誰も住んでいない。彼は呪われていて醜い顔をしている。その上、噂によると一目見れば死んでしまうらしいからね」
不愉快そうにハリーは顔を顰めた。その話を聞いて改めてクリスが呪われていて、他人の目には醜い姿で映っているのだと実感する。
(呪いで死んでしまうことはないにしても侯爵様の姿を見てハリー様は平気なのかしら?)
先程からハリーはクリスの姿を見てもちっとも動揺しておらず、堂々と振る舞っている。彼もまたエオノラと同じようにクリスの本当の姿が見えているのだろうか。
エオノラの中で疑問が湧いてくる。それはハリーも同じだったようだ。
「君はクリスの姿を見ても平気そうだけど。怖いとは思わないのかい? 俺はもう見慣れてるから何とも思わないけど、普通の令嬢なら絶叫して失神すると思うんだけどな」
「ええっと……」
どうやら、ハリーはクリスの本当の姿が見えているわけではないようだ。そして、彼は普通に振る舞っているエオノラを不思議に思っている。
エオノラはなんと説明すれば良いのか分からず、言葉を詰まらせた。
(素直に本当の姿が見えるって話せば、今度こそ魔術師の可能性を指摘されるわ。そうしたら魔術院へ連れて行かれるかもしれない……)
どうやって切り抜けようか考えあぐねいていると、ハリーが話を続けた。
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