第2話 最悪な誕生日2
エオノラはとぼとぼと人通りのない道を歩いていた。
婚約は一年前に親同士が決めたものだった。
初めて会った時からリックは忙しそうで構ってくれなかった。決められた結婚だったこともあり、彼はエオノラに端から興味がなかったのかもしれない。
それでもエオノラはこの婚約に希望を抱いていた。
恋愛結婚のように燃え上がるような恋とはいかなくても、お互い支え合って生きていけたら素敵だな、と思っていた。
焦らずに少しずつ距離を縮めていけたら嬉しい――なんて呑気に構えていたせいでリックの心はアリアへと移ってしまった。
「……胸が痛い。刃で刺された訳でもないのに」
胸の痛みを手で押さえながら歩いていると、また涙で視界がぼやけていく。リックとはもう二度と以前のような関係にはなれないだろう。歩み寄ったところで彼の心はアリアへと行ってしまったのだから。このまま婚約式を迎えて一年後に結婚しても幸せは待っていない。
「良かった。分かったのがまだ婚約式前で。婚約式後だといろいろと難しくなるもの」
自分に不幸中の幸いだと言い聞かせながらドレスの袖で涙を拭っていると、どこからともなくバラの香りが風に乗って漂ってきた。
同時に、リンリンと鈴に似た音が微かに聞こえてくる。
エオノラは立ち止まって香りと音がする方へ視線を向ける。するとそこには見事なまでに不気味な屋敷――死神屋敷が佇んでいた。
たちまち恐怖で全身が強ばった。
(死神屋敷には絶対に近づいては駄目だってお父様たちに言われていたのに!!)
眼前に広がる屋敷はフォーサイス伯爵家の屋敷より何倍も大きくて立派だ。
大理石で作られた、半円が張り出された中央部の建物。その隣には左右対称になるように同じ形の建物が続いている。
背の高い窓がいくつも並び、柱には植物柄の装飾をつけるなど、主のこだわりが垣間見える。しかし屋敷の大半は蔦が絡まり、地面の草も好き放題に伸びていた。
厳かというよりも寧ろ、薄気味悪い廃墟のような雰囲気が漂っている。
さらにこの屋敷が死神屋敷と言われる所以は見た目が原因ではない。屋敷主であるラヴァループス侯爵に理由がある。
ラヴァループス侯爵はエスラワン王国を建国した初代国王アーサー・エスラワンの時代から存在し、王家と深く関わりがあった。
それはエスラワン王国の建国まで遡る。
この国の土地はもともと邪悪なものたち――七つの罪源のたまる場所で、人や動物が平和に暮らせる環境ではなかったという。
ある時、七つの罪源に蝕まれる人々の姿を見て、心を痛めた狼神が天からやってきた。彼は罪源を払い、力を使って不毛の土地を緑豊かな土地へと変えていった。しかし力を使い果たした結果、狼神は天に帰る力すらなくなってしまった。
アーサー王は亡国の王子で民を引き連れて新天地を探し求めていた。
そんな折、森で動けなくなっている狼神を助けたことがきっかけでこの土地を賜った。
狼神は永遠の眠りにつく前にこう言った――我の屍の上に咲く植物をその血を以て守り花を咲かせよ。番を見つけなければこの土地の厄災は永遠に主である王家を蝕むだろう――と。
その言葉を受けてアーサー王は、狼神の番を見つければ厄災は降りかからないと考え、相手となる狼を探した。しかし、どんなに手を尽くしても狼神の相手は見つからなかった。
番が見つからないまま時が過ぎてアーサー王の息子の治世になった時、事件は起きた。狼神が言っていた厄災の呪いが王子に現れてしまったのだ。それは王子の顔を醜悪なものに変え、素顔を見た相手は死んでしまうという恐ろしい呪いだった。
当時は王子が一人しかおらず、このままでは王家存続が危ぶまれた。アーサー王が嘆き途方に暮れていると、事情を知った家臣の一人が天に祈りを捧げて王子の呪いを自身の身に移した。その勇気と忠誠心を称えられ、家臣にはラヴァループス侯爵位が与えられた。それ以降、彼の子孫は代々呪われ続けている。
今から数百年も前の話だが、これはエスラワン王国の国民なら誰もが知る話だ。
「侯爵家の人間は誰か一人が呪われていて、その人が死ぬと次の人間に呪いが移る。呪われた人間は侯爵位を継ぎ、死神屋敷で死ぬまで暮らす。呪いに掛からないためにも絶対に死神屋敷に近づいてはいけない……」
くだんの屋敷がフォーサイス家の近所にあるため、エオノラは幼い頃から兄と共に両親からこんこんと言い聞かされていた。
(ぼうっとしすぎてこんなところまで来てしまったのね。早く屋敷に戻らないと)
これ以上留まっていい場所ではない。それに招待客に主役がいないことを気づかれて騒ぎになっては大変だ。
「きっと私がいないことが分かればお兄様が心配するわ。だけど……」
足はちっとも家の方へ動こうとしない。
頭では分かっていても、感情がついていかない。
リックとアリアにもう一度会うなんてごめんだ。毅然とした態度でいられる自信はない。
それに死神屋敷から聞こえる鈴のような音が先程からどうも気になって仕方がない。途切れ途切れに聞こえてくる音はどこか悲しげで助けを求めているようにも聞こえる。
(石の音が聞こえる力を持つのは私しかいないし、助けを求められているのに放ってはおけない。でも、死神屋敷に入ったら二度と生きて戻れないかもしれないわ)
しかしそう思った途端、また切ない鈴の音が聞こえてきた。
あの音を、本当に無視してもいいのだろうか。
エオノラは胸に手を当てて一度深呼吸をする。
「……これは私にしかできないことだから……」
覚悟を決めたエオノラは死神屋敷の正門を抜けて音のする方へと歩き始めた。
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