呪われ侯爵の秘密の花~石守り姫は二度目の幸せを掴む~

小蔦あおい

第1話 最悪な誕生日1


 少女は、仲睦まじく抱き合う男女を目の当たりにして頭が真っ白になった。

「――リックとアリア。これは一体どういうことなの?」



 それは今から十分程前に遡る。

 色素の薄い金色の髪を纏め上げ、青紫色の瞳に合うようにラベンダー色の生地を幾重にも重ねたオーガンジーのドレスを身に纏う少女――エオノラ・フォーサイスは婚約者を探していた。


 今日はエオノラの十七歳を祝う誕生日パーティーだ。

 庭師たちが丹精込めて造り上げた、早春の中庭では黄水仙が見頃を迎え、それを背景にオーケストラがしっとりとした旋律を奏でている。


 中央では十数人の招待客がテーブル席についてお茶を飲みながら歓談していた。

(もうすぐ時間なのに彼はどこに行ってしまったの?)

 エオノラが辺りを見回していると、胸元からチリチリと警告をするような短い音が聞こえてきた。胸に手を当てると、祖母の形見である柘榴石のペンダントの金具が取れかかっている。

 大事な形見を落としてなくしてしまったら大変だ。


 エオノラは婚約者を探すのを一旦切り上げて、別の装飾品と取り替えに自室へ戻ることにした。サロンを通り抜けて廊下へ出ると、階段を上がった先に自分の部屋はある。


 廊下を歩いていると、化粧室として設けていた応接室の扉が少しだけ開いている。

 人気ひとけがしたのでゆっくりと近づいてみると、扉の隙間からは男女の抱き合う影が伸びていた。



 真っ昼間から、しかも自分の誕生日パーティーでいかがわしいことをするのは勘弁して欲しい。

 居たたまれない気持ちになりながらも、エオノラは意を決して部屋の扉を開いた。


「あのう、ここで何をして――」

 自分は決してやましくない。やましいとすればあなたたちだ! そう胸を張って乗り込みたいところだが生憎そんな気概はない。

 おずおずと部屋に足を踏み入れると、エオノラは絶句した。

 こちらの気配に気がついた男はエオノラを見て目を丸くする。


「エオノラ!?」

「……っ、リック」

 そこにいたのは婚約者であるパトリック・キッフェンこと、リックだった。

 何が起こっているのか理解が追いつかない。

 さらに相手の令嬢へ視線を移すと、エオノラは鈍器で殴られたような衝撃を受けた。


「ア、アリア? どうしてあなたがリックと?」

 アリアはエオノラの従妹でホルスト男爵家の令嬢だ。

 妹のように可愛がっていた彼女がこんなことをするなんて信じられない。


 外からは軽やかな演奏が流れてくるのに、部屋の中は静まり返って空気はどんよりとしている。このままでは沈黙を貫かれて終わってしまいそうな気さえする。

 エオノラは唇を湿らせると言葉を絞り出した。

「二人はここで何をしていたの? アリア、彼は私の婚約者なのよ」

「わ、私……」

 エオノラはアリアが幼い頃から面倒を見てきたので、その性格はよく理解している。

 彼女は純粋で心優しい子で、エオノラを姉のように慕っている。従姉の婚約者を横取りするような子であるはずがない。


 厳しめな口調で追及するとアリアが灰色の瞳に涙を浮かべ、亜麻色の髪を揺らした。

「エオノラ、違うの。私、パトリック様があなたの婚約者だって知らなかった……」

 リックとの婚約は水面下で行われていて、正式発表するのはエオノラが十七の誕生日を迎えた日。すなわち、今日のパーティーの最後に招待客の前で発表する予定だったのだ。


 とはいえ、それは建前だけの話。恋愛ごとに敏感な社交界では誰が誰と婚約するのかは口にしないだけで、ある程度のことは事前に知られている。

 それは社交シーズン中の男女の出会いを無駄にしないためだ。婚約者のいない男女は社交界を通して自分に見合った相手を見つけなくてはいけない。効率よく相手を探すためにも事前情報を知っておくことは必須だ。



(柘榴石が警告していたのはこれだったのね)

 おもむろに胸元のペンダントへ手を伸ばすと、既に音は鳴り止んでいる。

 改めて思い返してみると最近二人の行動はおかしかった。


 エオノラがリックのもとを訪ねるとキッフェン家の執事から仕事で取り込み中だと言われて屋敷に入れてもらえなかった。それまでは必ず応接室へ通してくれていたのにだ。

 これまでとは違う態度に少し変だとは思ったが、多忙なら仕方がない。我が儘を言って執事やリックを困らせるわけにもいかないので引き下がっていた。


 丁度その頃、アリアは新しいドレスを作るからアドバイスをして欲しいと言って、頻繁にエオノラのもとを訪れていた。

 可愛い従妹の頼みなのでもちろんエオノラは快諾して彼女に似合うドレスを提案した。だが、それはリックと会うためのものだった。



(アリアが恋しているのは気づいていたけど。まさか相手がリックだったなんて)

 応援したい一身で彼女の可愛らしさを引き立てるドレスの色合いや生地を考え、提案していたのに――事実を知って愕然とする。


「ごめんなさいエオノラ。ごめんなさい……」

 祈るように手を組んで謝るアリアの声が尻すぼみになっていく。アリアは小動物のように怯え、小刻みに震えていた。

 動揺している様子から本当に何も知らないままリックのアプローチを受けて舞い上がり、好意を抱いてしまったのだろう。


 唇を噛みしめるアリアは必死に涙を堪えているようだが、とうとう嗚咽を漏らした。

(アリアを落ち着かせないと。何も知らなかったんだもの。この状況にショックを受けているわ)

 心配してアリアに近づこうとすると、リックがエオノラの前に立ちはだかった。

「エオノラ。まさかこれからアリアに酷いことをするつもりかい? それって逆恨みじゃないのか?」

「えっ?」

 エオノラは驚いて目を見開いた。


 婚約している身でありながら、何も知らなかったアリアに言い寄り、好意を抱かせたリックがこの中で一番悪いはずだ。

 しかし、リックは謝罪するどころか反省もせずに開き直っている。そればかりか、エオノラがアリアを攻撃しようとしていると主張して、一番の悪者に仕立てようとしている。

 すかさずエオノラは反論した。

「私がアリアを傷つけるわけないじゃない。この子の従姉なのよ?」

「どうかな? アリアの話によると、恩着せがましく服の趣味を押しつけていたそうじゃないか。男爵の地位にあるホルスト家と違って、フォーサイス家は伯爵家で家格は上だ。アリアは逆らえない。正直、君がそんな嫌味な人間だったなんて知らなかった!!」

「……っ!?」

 予期せぬ告白にエオノラは言葉を失った。


 アリアはそんな風に思っていたのだろうか。嫌ならはっきり言ってくれれば良かったのに。しかし、エオノラはすぐにその考えを否定した。

(いいえ。心優しいアリアのことだから、思っていても口にできなかったのよ)

 エオノラが口を引き結んでいると、アリアがリックの袖を引っ張った。


「パトリック様、エオノラのことをそんな風に言わないでください。確かにうちは男爵家で家格は下です。でも、エオノラはあなたが言うような意地悪な人じゃないです!」

「君は優しいね、アリア。エオノラもこれくらい優しくて思いやりがあればいいのに」

 アリアが柳眉を逆立てて抗議するとリックは甘やかな表情をする。

 初めて見るその表情から、リックがアリアに心酔していることは明白だった。

 無意識のうちにぎゅっとペンダントの柘榴石を握り締めていると、リックがこちらを一瞥する。それはものでも見るような冷たい視線だった。


「エオノラ、君との婚約は破棄させてもらう。それと俺から言えるアドバイスは、少しはアリアを見習えってことだな。彼女はとても気が利くんだ。疲れていると優しい言葉をかけてくれるし、行動を共にしてくれる。俺のためにわざわざ美味しいお茶の茶葉や蜂蜜を届けてくれるんだ。でも君はどうだった? 君は俺が言わないと差し入れも持ってこなかったし、いつだって俺の誘いを頑なに断ってうちの応接室で話すだけだったよね?」

 それは違うと、エオノラは心の中で首を横に振る。


 仕事に追われるリックは「忙しい」「疲れた」「ゆっくりしたい」と頻繁に口にしていた。外に出ることは彼にとって苦痛に違いないと考え、彼が外の誘いをしても無理をしているのだと思って断っていた。

 屋敷の応接室で会話をするだけに留めていたのはそれが好きだったからではなく、彼の体調を気遣ってのことだった。しかしその気遣いは却って裏目に出てしまったらしい。


(どんな言葉を並べても、リックの耳に私の声はもう届かないわ)

 どうしてこんなことになってしまったのだろう。

 この場で泣いて良いのなら自分だって泣いてしまいたい。

 リックがさめざめと泣くアリアの肩を抱き、指で涙を拭う。その光景を目の当たりにした途端、エオノラの中で何かが壊れる音がした。

 数歩後ろに下がると踵を返す。そして、会場である中庭には戻らずに一人で屋敷を飛び出した。

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