第23話 無謀な決断

無謀な決断



 時は少し巻き戻る。


 ティメアに呼ばれ二階に戻ったダレンは、子供部屋に来ていた。洗いたてのシーツを皺が刻まれるほどきつく縛り、作り上げた一本の長いロープをベットの足に結び、もう一方の端を窓から垂らす。

 ダレンは窓枠に座りながらロープの強度を確かめるように何度か引っ張る。緩む様子が無いのを確認するとティメアとデヤンを抱えるアンジェロの方に目を向ける。


「おさらいだ。さっきの話覚えてるか?」


 ダレンの問いかけにティメアが答える。


「ええ。下に降りたらアンジェロはデヤンと麦畑の中に隠れて、あたしは

一番近い農家に駆け込んで馬を借りたら家が集まってるところまで行く」


 この家から最も近いのは麦農家を営む老夫婦だが、とても男三人に対して助けを頼める相手ではない。しかし、一頭馬を所有しているのでその馬を借りて何軒か家が並ぶ場所まで助けを求めることにした。大体、馬で15分ほどの距離だ。ことは一刻も争う状況故、三人の中で最も走れるティメアがその役を務めることになった。馬の乗り方も父親から教わったようで、不安はないらしい。

 道中、帰ってきた葵達に出会えれば最良だが、確実性に欠ける。まったく。何で肝心かんじんな時に居ないんだ。浮かぶモヤモヤを押しとどめ答える。


「そうだ。俺は裏庭の地下扉から地下室に行って武器になりそうな農具を探す」


 地下室は出入り口が二か所ある。一つは階段の足場の横にある扉。もう一つは裏庭だ。地下室には、平鍬ひらぐわや鎌、ツルハシがあるらしい。ダレン自身、足の怪我でまともに走れないのに何の意味があるのかとも思うが、無いよりは気持ちの余裕が違うものなのだ。


 作戦を確認すると三人は順々に降りる。一番は、最も体格が良いダレン。続いて、デヤンを背中に背負ったアンジェロ。最後にティメアだ。


「…………よっと」


 シーツをつたい降りたダレンの足が夕焼けに染められた芝の上に着く。色の所為か、生暖かさを感じ気味が悪い。最悪な未来を予見しているようで、なおのこと。


「いいぞ。ゆっくりな」


 気持ち悪さを払拭するように、潜めた声と大きく振りかぶる手でアンジェロに合図する。

 アンジェロは今一度、デヤンと自分を結ぶおんぶ紐の縛りを確認すると、意を決してシーツを握り、下り始めた。順調かと思われたが、悪戯な風が突然強く吹き付けシーツを揺らす。


「うわ!」


 大きく風に揺らされ、アンジェロは必死にしがみつく。


「アンジェロ⁉」


 ティメアが引きつった声で叫ぶ。


「だいじょうぶ!」


 何とか耐えたアンジェロは上を見上げティメアに答える。


「ビビらせんな」


 思わず息を詰めていたダレンも気の抜けた独り言とため息が転がり出た。

 その後、ゆっくりと地面までアンジェロが下りると、ダレンは垂らされたシーツの二歩後ろの地下扉を開け、傾いた夕日を頼りに階段を下る。最後の段を降り、すぐ足元に転がるツルハシを手に持った。頭部の一方が平刃ひらば、もう一方は先鋭せんえいとなっている。一般的な鉄道鶴嘴てつどうつるはしだ。木の柄はところどころささくれ、握ると小さな木片がチクチクと刺さる。頭部の金属部は、農作業で汚れたまま。持ち上げただけで乾燥した土がポロポロと落ちる。


「つかえそう?」


 木の柄と金属部の接合個所は金属の割れも木の亀裂も無い。ツルハシを眺めながら、階段を中ほどまで降りたアンジェロに答える。


「ああ。これなら―――」


 はたと違和感に気づく。さっきからあった、この影は子供のものにしては長すぎないか? しかも背後に居るアンジェロの声は数段上くらいから聞こえた。アンジェロが階段の一番上に居るのならまだに落ちる。傾いた夕日分長くなった影だ。子供の影でも一番下まで伸びるのは分かる。だが、実際は違う。

 唾を呑みこみ、ツルハシの頭部を下に向け柄を両手でしっかり握る。地上から地下までは12段。しかも一段一段が高い。とてもじゃないが、階段を駆け上がって不意打ちは難しい。すでに姿を見られているなら、なおのこと。

 男は、自分たちに気づき最上段から見下ろしている。そして、俺が自分に気づいてないと思っている。なら、今、出来ることはこれしかない。


「…………ダリルくん?」


 アンジェロが不思議そうに声をかける中、ダレンは耳を澄ませる。一瞬の好機を逃さぬよう。


 キシリと階段が男の体重に不平を言った瞬間。ダレンは腰を目いっぱい捻り倒れながらツルハシを音のしたほうへ投げる。回転をつけ投げ出されたツルハシはクルクルと回りながら階段上に立つ男にすっ飛ぶ。


「ッな――⁉」


 なんだ⁉と言い終わらぬうちに、男の側頭部をツルハシの柄が強かに打ち付ける。フラフラと体を揺らし、地下室の扉前で仰向けに倒れる。


「え! なに⁉ だいじょうぶ?」


 目の前で倒れたダレンと直後に背後で倒れた男を交互に見る。アンジェロには、あまりにも唐突な出来事で目を白黒させるが、立ち上がろうとするダレンに気づくと慌てて手を貸す。


「俺は大丈夫だ。それより、早く上に上がろう」


 今すぐにでも地下室から出なければならない。男が起き上がったら、袋の鼠になってしまう。地下室に繋がるもう一つの扉は、二人の男がいる家の中。それに、ただでさえ体格で負けているのに、位置取りでも相手に優位に立たれているのは良くない。そもそも、あの一撃で気絶したとも限らない。


「痛っぇな」


 最悪だ。


「何つーもん投げてんだ」


 のっそりと身を起こし、外開きの地下室扉に刺さったツルハシを引き抜く。


「どっ! どうしよう…………ダリルくん!」


 暗がりでもはっきり分かるくらいアンジェロの顔から血の気がみるみる引いて行く。言葉尻はすぼんで、かすれ切っている。

 ダレンはけたたましく鼓動する心臓に急かされながら、次の手を必死に考える。

 クソ! どうする⁉ 手近てぢかに投げれるものは…………何か、何かないか!


「騒がしいと思って来てみれば、元気なガキだな〜おめーらよぉ」


 ツルハシ片手に男がゆっくり木の階段を下る。靴底に挟まったジャリがギリギリと木を削る音と軋む木材の音が歪な不協和音となり二人の焦燥感を掻き立てる。

 その時。必死に打開だかい策を練るダレンの目にある影が映った。男の背後。白いシーツが風になびいて―――いや違う!


「避けろ!」


 ダレンはアンジェロを脇に突き飛ばし、自身も階段の正面から逃げる。


「くらえ!」


 小さな影が後ろから男の背中めがけて飛んできた。少女特有の高い声と共に。

 意表いひょうを突かれた男は、振り向くことも出来ぬままに顔面から階段下に落ち、ドシンっと石畳の床に倒れ込む。手放されたツルハシがカラン、カキンと鳴る。完全に意識を失いピクリとも動かない男に対して、飛んできた影は、ちゃっかり男の背中に着地し無傷だ。


「二人とも大丈夫⁉」


 男の背中を踏みつけ駆け寄る影はティメアだ。どうやらシーツを掴み窓枠から飛び出し、最頂点から落ちるブランコのように曲線を描きながら男の背中に体当たりしたようだ。直前でシーツを手放したことで、自重も加わり見事に男を気絶させることに成功している。


「しーー! まだ二人いるんだぞ! ヘタに騒ぐと気づかれる」


 出来る限り潜めた声でダレンがティメアに言いつける。せっかく助けたのに、お礼の一つも言わないダレンにムッと頬を膨らませるティメア。


「なによ、お礼くらい言えないの」


 ティメアもダレンに習い声を潜めながらも不満気に返す。


「うーうぅ」


「わわ! どうしよう! なかないでよ」


 これまで大人しくしていたデヤンがぐずり始め、アンジェロが背負いながらあやす。


「とにかく二人は外だ。さっき話した通りだからな」


 デヤンの泣き声に急かされる形でティメアとアンジェロはそれぞれ外に駆け出す。

 ダレンは部屋の端に積まれた縄で手早く男を拘束し終えると、静かすぎることに疑問を持つ。

 おかしいな。かなり大きな音がしてたのに、誰も見に来ない。一旦、上の様子を確認した方がよさそうだ。

 暗がりの中、手探りでもう一方の階段を見つけ身を屈めながらゆっくり上る。すると、人の話し声が聞こえてきた。男たちが何やら話している。最上段にたどり着くと、慎重にドアノブを捻り、片目で覗ける程度扉を開く。隙間から廊下を見ると、まず扉横に置かれた簡素な机が目に入る。天板てんばんと四本の細い足だけで組まれた丸机は、足元がスカスカで十分に向こう側をを見通せる。机の上には白い花瓶に蓬菊ヨモギギクが活けられている。


「嫌よ」


 ファビアの声だ。床面と自身の目線が等しくなるようにより一層身を下げる。すると、床の上に引き倒され、手を後ろに縛られている姿が目に入る。すぐ近くに居る男たちの足も伺える。

 大変だ。完全にファビアは、男たちに反抗してしまっている。ここまでの男たちの素振りから、物取りや殺人が目的で無いことは予想がついていた。物取りなら、金目の物をしらみつぶしに探すため二階まで一通り確認するはずだ。しかし、終ぞその様子は見られなかった。殺人に関しても、未だにファビアが生きてることから除外される。本来の目的は分からないが、最悪の事態は回避できるだろうと高をくくっていた。けれど、それは相手の機嫌を損ねないのならばという前提だ。


「はー、困ったな」


 彼奴。何するつもりだ。

 後ろ手に縛られた手元に踵を乗せる。


「多少痛みで教えてやんねーとな」


 言い終わると、グリグリと体重をかけ細い小指を踏みつける。

 あの大男は危険だ。早くどうにかしないと、助けが来る前にファビアが殺されるかもしれない。


「くたばれ、くそ野郎」


 ダレンの焦りを余所に、男に唾を吐き捨てるファビア。

 ああ、不味まずい。今すぐ注意をこっちに向けないと、でも、それじゃ後が無い。

 ダレンが即席で立てた案では、まず地下に保管されていた石炭入れの底に溜まっていた炭塵たんじん暖炉だんろふいご下地したじを作って、台所の勝手口から火のついた石炭を持って庭の地下扉傍に配置する。最後に地下室で物音を立て誘い出したら、火のついた石炭を投げ入れ炭塵爆発たんじんばくはつを起こすつもりだった。しかし、下準備をする余裕もなさそうだ。ファビアの危機的状況を理解しているが、無計画に飛び出すだけでは焼け石に水だと利口な頭が飛び出そうとする足を縫い付ける。

 どうする、どうする、どうする! このままじゃ絶対ダメだ。何か無いのかよ! クッソ! 何か思いつけよ!

 心の焦りにつられ、自然と早まる呼吸。全速力で走った直後のような息苦しさ。


 男は仲間に止められるが、やめるつもりは微塵も無い。


「問題ねーよ。ちょっと口を大きくしてやるだけさ」


 大男はニヤリと笑みを浮かべる。その瞳はギラギラと光り、獲物の尊厳そんげんが砕ける様を見たいという好奇心が見て取れる。その目の光沢が、閉じ込めた記憶の檻を叩いた瞬間。今までの思考全てを投げうって、花瓶を引っ掴んでいた。水と共に活けられた蓬菊ヨモギギクが床に落ちるまで、ダレンは自分が何をしたのか分かっていなかった。



🔴語句メモ goo国語辞書より引用(小学館大辞泉)

🔴肝心かんじん:《肝臓と心臓や腎臓は、人体にとって欠くことのできないものであるところから》最も重要なこと。また、そのさま。肝要。

🔴くわ:農具の一。刃のついた平たい鉄の板に柄をつけたもの。田畑を掘り起こしたり、ならしたりする。風呂鍬 (ふろぐわ) と金鍬 (かなぐわ) に大別される。

🔴鶴嘴つるはし:堅い土を掘り起こすときなどに用いる鉄製の工具。鶴の嘴 (くちばし) のように両先端をとがらせ、木の柄をつけたもの。

🔴ささくれ:物の先端や表面、また、つめの周辺の皮などが細かく裂けたり、めくれたりすること。また、そのもの。さかむけ。

🔴に落ちる:納得がいく。合点がいく。

🔴打開だかい:困難な状態や行き詰まった事情などを切り開いて、解決の糸口をつけること。

🔴意表いひょうを突く:相手の予期しないことをする。

🔴天板てんばん:机や棚などの上面の板。

🔴蓬菊ヨモギギク:キク科の多年草。高さ約70センチ。全体に強い臭気があり、葉は羽状に深く切れ込む。夏、黄色の花を多数つける。ヨーロッパ・シベリアに分布。タンジー(Tansy)。

 花言葉『あなたとの戦いを宣言する』『抵抗』『婦人の美徳』

🔴高をくくる:その程度を予測する。大したことはないと見くびる。

🔴不味まずい:ぐあいが悪い。不都合である。味が悪い。うまくない。下手だ。つたない。 醜い。みっともない。

🔴炭塵たんじん:炭坑内などに浮遊する石炭の微細な粉。

🔴ふいご:火力を強めるために用いる送風装置。箱の中のピストンを動かして風を送る。古代から金属の精錬や加工に使用された。

🔴下地したじ:物事が成り立つ土台となるもの。基礎。素地。素養。生まれつき持っている性質・才能。心の底。本心。

🔴炭塵爆発たんじんばくはつ:炭坑内の炭塵に引火して起こる爆発。

🔴焼け石に水:努力や援助が少なくて、何の役にも立たないことのたとえ。

🔴尊厳そんげん:とうとくおごそかなこと。気高く犯しがたいこと。また、そのさま。

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