第22話 重ねた気概

重ねた気概きがい



「よしっと! 思ったより早く終わって良かった」


 ファビアは、切り終えた野菜を前に一息ついた。

 今日は色んな事が順調ね。いつもなら上手く切れないカボチャに腹を立てて、立て付けの悪い裏口扉を蹴り開けて、洗濯ものを風に飛ばされる。かみ合わない歯車を無理にかみ合わせているような私の家事なのに。今日の包丁はすごく前向きで硬いカボチャの皮も少し力を入れれば切れる。裏口扉は立て付けの悪さが嘘のようにノブを捻るだけで勝手に開く。洗濯物は飛ばないけれども、乾かすには十分な風が布をたなびかせる。


「今日はいい日ね。ひょっとしたら、まだ良いことが起きるかもしれないわ」


 下ごしらえに切りそろえたカボチャ、にんじん、キャベツ、ニンニクをそれぞれの器に分け入れ、ポロリと呟く。

 真っ赤な夕焼け空を窓から見上げ、しばし眺める。太陽に近い空は黄色みの強い赤。反対に、遠い空は重たい藍色。狭間は紫。空は異なる色に、なだらかに染め替え、昼から夜に移ろう。

 今頃、帰路についているであろう三人は私と同じ景色を眺めているのかしら?と心の内で思う。


「葵さんに迷惑かけてないと良いけど」


 すると、コンッコンッと控えめなノックがファビアを呼び戻す。どうやら誰かが玄関扉を小突いているようだ。

 街はずれのこの家に来客は珍しい。ビリーさん達が帰ってきたのかもしれない。朝、話した時は、深夜になるか翌日まで帰れないかもしれないと言っていたはずだったが。不審を背に部屋の敷居を跨ぐ。葵さん達が帰ってきたのかもしれない。まだ早すぎるくらいだが。玄関扉の前に立ち、鍵を開け、ノブを捻った。いつもより重たいドアノブに違和感を覚えながら。


―――――――――――――――――――――――――――――――――


 大小様々。高低様々。ありとあらゆる物が壊れる音が一階から階段をつたい上り上がる。


「いやっ! 離して!」


 おびえと懇願こんがんを含んだ金切り声かなきりごえとそれを覆い隠す野太いわらいも。

 身を屈め階段の踊り場に潜むダレンは書斎に飾ってあった花瓶を片手に、怒りにも似たやるせなさに胸をさする。

 まったく嫌になる。飛び出したところで、それは無謀むぼうに他ならないと頭が体を縛り付ける。足の怪我も未だ治らず、対して動き回れないのなら時間稼ぎにすらならないとも言い訳ばかり並べ立て、ただ様子を伺うことしか出来ない自分に心底嫌気がさす。

 三人組の男たちは、家探やさがしをしている風ですらなく、ただ家を荒して回っているようだ。一人はファビアを羽交い絞めにし、二人は手あたり次第に物を壊す。三人とも黒い覆面ふくめんを被り、顔を見ることは出来ない。二つの目と口元のみ切れ込みから伺える程度だ。


 トントンと背後から肩を叩かれ振り返ると、ティメアが潜めた声で終わったと一言告げた。


 曲がりなりにも最低限の準備は整った。


 ダレンは滑らかな陶器を片手にティメアの後を追って、ゆっくり階段を上り始めた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――


「一体何ですか‼ 貴方達! 何のためにこんなこと!」


 懸命けんめい虚勢きょせいを張るが、その声は如何しようもなく震え、内心のおびえは隠しきれない。

 ファビアは床にうつ伏せに押し倒され、細い手首を後ろ手に縛りあげられる。男は、ファビアの身を起こし台所の内開きの扉にもたれ掛けさせると、猿轡さるぐつわを噛ませよう手を伸ばす。しかし、ファビアは歯を食いしばり必死に抵抗する。苛立った男は手袋を外し、素手で口をこじ開けようと片手で頬をつかむ。その瞬間、ファビアは口を大きく開け親指と人差し指の付け根の間に思いっきり噛みつく。


「痛ッてぇ!」


 堪らず腕を振り上げた男は反動で尻餅をドシンとつくと背後にあったマカボニーの食器棚がガタン、カシャンと鳴く。

 手に噛みついたファビアの口元には、自身のものか男のものか赤い血が滲む。男をまっすぐ睨み上げるが、一矢報いっしむくいた得意とくいも浮かばない。その瞳は気概きがいを重ね恐れを塗りつぶそうとしていた。


「このアマ!」


「きゃあ!」


 頬を強かに張られ、華奢な体が廊下まで飛ばされる。ファビアのメロンイエローの瞳に涙が滲む。水を差した水彩のように薄くなり、恐怖が塗り重ねた気概から見え隠れする。それでも、必死に痛みに耐えまぶたから零れそうな涙を抑え込む。


「おい、何やってんだ」


「このガキが噛みつきやがったんだ!」


「はあ? だらしねー奴だな」


 一際体格のいい男が横たわったファビアの背中側に立つ。


「お嬢ちゃん。悪いことは言わねぇ。大人しく言うこと聞きな」


「嫌よ」


 床上に体を倒したまま、男を横目に睨み上げはっきりと告げる。


「はー、困ったな」


 乾いたため息一つ。


「本当に、困った」


 抑揚無く、淡々と繰り返す男の言葉にファビアの背筋の温度が失せていく。後ろ手に縛られた桜貝のような小さな爪が並ぶ指先も。


「子供は大人の言うこと聞くのが当たり前、社会の常識だ…………でも、親のしつけがなってないガキってのはどこにでも居るもんで言葉じゃ社会のどおりってもんを呑みこめないもんでもある。だからな」


 最も細い小指の上に底の厚いブーツのかかとを乗せる。


「多少痛みで教えてやんねーとな」


「ッ――――ツゥッ!」


 じりじりと体重をかけ、踵でグリグリと踏みつける。爪の甘皮がさかむけ、爪の隙間から血が染み出す。

 ファビアは顔を床にこすりつけ、唇を噛み締め、喉の奥で泣き声を押し殺す。


「ああ、すまねー間違った。お嬢ちゃんは孤児みなしごだったな。やっぱり、じゃ子供ってのはまともに育たないもんだな。なあ?」


 男は嘲笑ちょうしょうを乗せた戯言たわごとのたまい、ファビアの顔を上から覗き込む。

 張られた頬の痛みよりも、踏みつけられる小指の痛みよりも、下卑げびた言葉にこそ幼気いたいけな心は深く傷つけられた。きつく閉じられた瞼からポロポロと雫が流れ落ちる。家族を侮辱された悔しさが涙に溶け込み床上に小さな溜池たちを作る。


「おいおい。返事も出来ねーのか?」


 男はファビアの顔の前にしゃがむと髪を掴み引き起こす。


「くたばれ、くそ野郎」


 ペッと男の顔に唾を飛ばし、睨み上げる。きつく食いしばった唇は切れ、歪な紅を引いている。


「あーあ。まあまあ、小奇麗な顔なのになぁ」


 掴み上げた髪をそのままに、空いている手を腰の短剣に添える。


「なあ? せっかくだ。笑ってみろよ」


「嫌よ」


「仕方ねーな。どうしても嫌なら、笑わせてやるよ」


 金属の擦る音と共に短剣をゆっくり引き抜こうとする。しかし、その手を先ほどファビアに噛みつかれた男が慌てた様子で押し止める。


「待て待て、さすがにそれはダメだ」


「問題ねーよ。ちょっと口を大きくしてやるだけさ」


 大した事ねーよと男が口に出す直前。


「おい! デカブツ!」


 声と共に、飛んできた花瓶が男の顔面で砕けた。



🔴語句メモ goo国語辞書より引用(小学館大辞泉)

🔴懇願こんがん:ねんごろに願うこと。ひたすらお願いすること。

🔴金切り声かなきりごえ:金属を切るときに出る音のように、高く張り上げた鋭い声。細くて甲高い声。ふつう女性の声にいう。

🔴胸をさする:痛みや怒りを抑える。

🔴無謀むぼう:結果に対する深い考えのないこと。また、そのさま。無茶。無鉄砲。

🔴家探やさがし:家の中を残らず捜すこと。家捜しとも。

🔴羽交い絞め:背後から相手の腋 (わき) の下に通した両手を、首の後ろで組み合わせて動けないようにすること。

🔴覆面ふくめん:顔面を布などでおおって隠すこと。また、それに用いるもの。

🔴虚勢きょせい:みせかけの威勢。からいばり。

🔴猿轡さるぐつわ:声を立てさせないように、口にかませ、首の後ろで結んでおくもの。布などを用いる。

🔴一矢報いっしむくいる:敵の攻撃に対して、矢を射返す。転じて、自分に向けられた攻撃・非難などに対して、大勢は変えられないまでも、反撃・反論する。

🔴得意とくい:自分の思いどおりになって満足していること。誇らしげなこと。

🔴気概きがい:困難にくじけない強い意志・気性。

🔴嘲笑ちょうしょう:あざけり笑うこと。あざわらうこと。

🔴戯言たわごと:たわけた言葉。ばかばかしい話。また、ふざけた話。

🔴のたまう: 「言う」の尊敬語。おっしゃる。(尊者に対し、かしこまりあらたまった会話で自己側の動作として用いる)自分の部下や身内に言って聞かせる。申し聞かせます。

🔴下卑げび:下品で卑しいこと。意地汚いこと。

🔴幼気いたいけ:子供などの痛々しく、いじらしいさま。

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