第21話 平穏と不穏の狭間

平穏と不穏の狭間はざま



 影が長くなる頃。


 茜色に空が染まる頃。


 寂しさと怖気おぞけが押し寄せてくる。


 それは何故かと、わけを問うならば――――

 

 夕日は誰かを連れ去っていくからと答えよう。

 夕日は悪いものを連れてくるからと答えよう。


 夕日は誰かを連れ去っていく。つないだ手を離そうと夜を連れてくる。

 夕日は悪いものを連れてくる。怪物を白昼にさらあかりを連れ去っていく。


 だから寂しいんだ。

 だから怖いんだ。


 長く伸びた真っ暗な影を引きずって奴らは来るから。

 目深まぶか外套がいとうを着込み、を避けて。


ある亡国の詩


―――――――――――――――――――――――――――――――――



 ガタンッ‼ バタッ! ガシャンッ!


 小さな体が軽々と壁に投げ飛ばされ、かかっていた絵が床に落ちる。割れたガラスは子供が描いた家族の肖像しょうぞうを歪に引き裂いてしまった。

 ドスドスと床を踏みつけ近づく大きな影が痛みにうめく小柄な影の胸倉を掴み仰向けに押し倒す。


「このクソガキィッ! よくもやってくれたなぁ゛‼」


 低いがなり声で相手を恫喝どうかつするのは、がっしりとした体格の男。今しがた失った左目の痛みに顔を歪ませ、激しい怒りを怒号どごうに乗せる。


つばが飛ぶだろ。汚いな」


 床の上で仰向けに抑え込まれた小柄な少年は、怯えも見せず生意気な口をきく。握り込まれた右の掌からはポタポタと鮮血が流れ、こげ茶の床板を染めていく。


「おい、おっさん。さっさとどけよ」


「立場ってのを分かってねぇようだな。人生の先輩として、教訓を教えてやろう」


 こめかみにピキピキと血管を浮きだたせ、男は腰の短剣を手に取る。鈍い光沢を放つ刃は、赤い夕日を反射し、少年の顔に赤を乗せる。

 生ぬるい暖かさと真っ赤な色から、血が流れているようだと少年は嫌な未来を一瞬想像し、すぐに打ち消す。


「おいおい! 流石にまずいだろ。シラードさんは、ちょっと嫌がらせするくらいって」


「物を壊すくらいのはずだろ? あんまりひどい怪我までさせるのはヤバいんじゃないか?」


「うるっせなぁ! こっちは腹の虫がおさまらねぇんだ! 試合の時に気が散って勝てなかったらどうすんだ! ここで終わらせるに限るだろ」


 男は止めようとする仲間をご自慢の威圧感で黙らせると少年に目を向ける。首を掴む太い腕に小さな爪を立て、まっすぐ睨み返している少年を。


「良い根性だ。将来有望な剣闘士に成れたかもな。だが」


 短剣を逆さに持ち、刃先を下に向ける。


「目が見えないんじゃ無理な話だ」


 弱者を踏みにじる快感に陶酔とうすいした男は、頬を笑みであくどく裂いた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――



「葵は何者なんだ?」


 日がすでに高く上がった頃。ようやくダレンは疑問を晴らす時間が来たと、一人で洗濯物を干す葵に声をかけた。本当は朝食後にすぐにでも聞きたかったことだが、他の子供達に囲まれている中に入るのは避けたかったのだ。その子供たちは絶賛お昼寝中だ。やっと手にした好機を逃すのはもったいない。


「うーーん」


 葵は、バサンッバサンとシーツを振りさばく。


がりなりにも、弟子にしたんだから、教えるのが筋じゃないのか?」


 ダレンは、ファビアから渡された松葉杖をつき洗濯籠の横に立っている。ビリーさんが出かける前に用意したという杖は子供用でつま先立ちにならずとも歩ける。以前ラントの町で使っていたものより歩きやすく、歩行によるストレスを大分軽減してくれている。


「うーーん」


 なおもバサンッバサンとシーツを振りさばく葵。

 この問答もんどうは前にも何度かしているが、葵はのらりくらりと躱し続け一度も答えたことは無い。話を聞いているのかいないのか。濡れた服を振りさばき皺を伸ばすと物干しざおに掛けていく動作を繰り返すばかり。


「なあ! 聞いてるのか?」


 人が真面目に聞いてるのにまるで意識を向けないのは失礼じゃないかと不満が溜まるが、ここで怒ってはいけないと平静を心掛ける。


「出身地は、大陸東辺とうへんか?」


「うーーん」


 今度は、小さな前掛けを両手で持ち左右に軽く引っ張り皺を伸ばす。


「葵の服装は少なくとも皇国近隣じゃないだろ。あと、絶対平民じゃない」


「…………」


袖口そでぐちが広いのはばんの国かそよぎの国特有だ。服の中心から裾までが左右に分かれていて、ぼたんで止めずに紐や布で縛ることを考えれば、ユラ大陸の東部にある盤の国だと思う。あと、葵の服は腰回りの布以外きぬだろ。盤の国は養蚕ようさんによる絹の貿易で有名だったはずだ」


「ダレン君って、年の割に物知りだね」


 葵は少し感心かんしんした様子でダレンに向き直る。


「奴隷になる前は、本ばっか読んでたからな。それに家にある本も民俗学系のが多かったから普通よりは知ってる。もっと言えば、腰に巻いた布。金襴きんらんだろ」


 金襴とは、糸に金箔を巻き付けた金糸きんし紋様もんようを顕した布のことだ。一つ仕立てるだけでも庶民の一生涯の収入では到底賄えないはずだ。材料費だけでもだ。葵の腰布は規則的に並ぶ花の刺繍がされている。ほぼ全面にまでわたるのだ。考え付かないほど高額なのは明白だ。


「絹に金糸。袖の広口に、釦を使わず紐や布で縛って留める着方、金襴とくれば…………」


 人差し指をぴんと伸ばし葵を指さす。


「盤の国の貴族身分だ! 武芸に秀でてることを加味かみすれば、武人上がりの仙武せんぶの生まれだろ!」


 仙武は、三千年前の世界の終りの際にも奈落の申し子と争ったことで知られている一族だ。様々な武芸に優れ、一人で数十人を相手にすることも出来ると本に書かれていた。盤の国赴いたことがある父さんは、数日間、仙武家の領地でお世話になったことがあると言っていた。その時聞いた話では、仙武家の有力者は各々が神器に匹敵する武具を持ち一騎当千の強さなんだそうだ。葵の強さを見れば納得だ。


「…………っぶふふ……うあはっはっはっはっは! 面白い! あたしが仙武⁈ 腹で茶が湧かせるよ!」


「っな! 違うのか⁉」


 腹を抱えゲラゲラ爆笑する葵は笑い過ぎて目尻に涙が浮かんでいる。


「おい! 笑うなよ!」


 恥ずかしさにダレンの顔は真っ赤なリンゴみたいになってしまう。


「だって! 可笑しいんだもん!」


「もう笑うなよ…………」


 地べたに座り込み膝の間に顔を伏せ、羞恥心をやり過ごそうと試みる。


「ごめんごめん。悪かったよ。でも君の類推るいすいは外れだ。盤の国出身じゃない」


「じゃあ梵の国か?」


「聞き出そうとしないの」


 葵はパシンと軽く頭を叩き、ダレンはムっと膨らませた顔を上げる。


「前も言ったけど、知らない方が良いことってのもあんの。それは君のため。どこの誰か分からない葵って奴についてくダレン君の方が良いってことよ」


「何でそこまで隠そうとするんだ? 出身地くらい言っても問題なんて起きようがないだろ?」


「わぁかった! 君は知りたがりだね〜。このやり取りも面倒くさいし。どうして、私がここに居るのか? だけ教えるよ」


 地面に座るダレンに影がかかる。葵がダレンと昼間の太陽との間に立ったためだ。見上げた顔には、犬歯が覗くほどの笑みと真っ平な目が乗っている。


「私は君らを見に来たんだ。君らの有様ありさまをね。それでを確かめに来たのさ」


 どうしてそんなことするんだ?


 湧きあがった、たった一つの疑問を口にすることは、どうしてか出来なかった。



―――――――――――――――――――――――――――――――――



「大変! どうしましょう」


 日が傾き始めた頃。台所に居たファビアの一声からすべてが傾き始めた。


「ファビアおねぇちゃんどうしたの?」


 声をかけたのは廊下を跨いだ隣の部屋に居たアンジェリカだ。手には子供を模した布製の人形を持っている。


「なになに?」


 アンジェリカの横から顔を出したのはメリンダだ。朝、ハンカチを持ってきたお礼として葵に作ってもらった銀色のカチューシャを頭につけている。


「うん。それがねぇ、干し肉の備えを切らしてしまったの。もうすぐお祭りでしょ? そうなるとお肉屋さんはとっても忙しくて前もって頼んだ人か多くお金を払う人にしか売ってくれなくなるのよ。明日だと、きっとみんな同じ考えでしょうから、人が殺到するでしょうし」


「アンジェリカいけるよ!」


「メリンダもぉ!」


 アンジェリカは両手を高く上げ、懸命にアピールする。メリンダも負けまいとつま先立ちになり、必死に手を上げる。


「ありがとう。でも、危ないわ。帰る頃には夜に成るでしょう? この辺りは、ほとんど家も無いし。何かあったら大変だわ」


「だったら、私がついて行きましょうか?」


 台所の入り口に乾いたベッドシーツを抱えた葵が立っていた。三人の話が聞こえていたようだ。


「こう見えても力には自身ありますよ」


 葵の言葉に数瞬悩む様子を見せたファビアだったが、結果として葵とメリンダ、アンジェリカはビリーさんの家から片道一時間ほどの肉屋に出かけて行った。今日を逃せば来週末まで肉類は食べられなくなる。育ち盛りの子供が多いビリー家では避けたい事態だ。


 メリンダとアンジェリカが葵の手を引いてあぜ道を小走りに進んで行くのを二階の窓からダレンは見下ろしていた。三人の姿が見えなくなると、空や周囲を眺める。あと一時間ほどで世界が赤く染まるなんて信じられないくらいの青空だ。


「あ…………あの、ダリルくん」


 振り返ると鈍い赤毛の少年が本を抱きしめ立っている。確か、アンジェリカの双子の弟のアンジェロだったか? 何やらまごつきながらもダレンに何か言おうとしている。


「ぼく、ほんよみたいけど、まだよめないから、その…………」


「なにもじもじしてるのよ! はっきり言いなさいよ! ほんとアンジェリカが居ないとダメね!」


  ティメアはアンジェロから本を引っ手繰るとダレンに突き出す。


「あたしたちまだ字が読めないの。だから、読んで欲しいの」


 本を受け取ったダレンは表紙に目を落とす。大昔の英雄の伝記だ。昔、読んだことがあるため、大体の内容は覚えている。パラパラとページをめくり使われている文字が自分でも十分読めるだろうと判断すると、パタンと閉じ答える。


「わかった。読んでやる」


 二人は途端に顔色を明るくする。


「! あ、ありがとう!」


「あたし、ファビアさんに紅茶とクッキーお願いしてくる!」


 どもりながらアンジェロが礼を言い、ティメアは階段を駆け下りていく。


「ぼ、ぼくもてつだうよ」


 アンジェロも後を追いかけ、バタバタと床を鳴らす。

 二人を見送ったダレンは何とも不思議なむずがゆさを感じ、頬を掻いた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――



 建物一つ見えないひらけた景色は窓枠と言う額縁の中で大胆に昼と夜の狭間を描き出す。それも、この家が人気の少ない町外れにあるためだ。麦畑ばかりで、用もなくこの家に立ち寄る者は居ない。


 そのはずだった。


「その時、耳をつんざく雷鳴が―――⁉」


「何の音?」


「なんだろう?」


 伝記を読み始めてから一時間ほどたった時。一階から大きな物音が聞こえてきた。


「あたし見てくる」


 ティメアが椅子から飛び降り、部屋の外に消えていく。

 三人は、ビリーさんの書斎で朗読会の真っ最中であった。英雄と雷を操る化け物との一騎打ちの手に汗握る死闘だ。あと一息で首を取れるかと言う所で今際の一撃を放つ化け物。英雄は、それをどうやって倒すのかと、非常に盛り上がる場面だ。


「きっとファビアおねぇちゃんがものをおとしちゃったんだよ。よくやるんだ」


 カーペットの上に寝そべるアンジェロは、そう言うと足の短い机に置かれたクッキーに手を伸ばす。いつものことだと、なんら不安も抱いていない。


「そうか」


 先を確認しておくかと再び文に目を落とした時、明らかに異質な音がドアの隙間から聞こえてきた。二人は、思わず目を見合わせる。


「今の…………悲鳴だったよな?」


「え? ひめい?」


 そんなはずは無いと思いながらも、ドアに視線が引き付けられる。静かに見つめていると再び声がドアの隙間から聞こえてくる。今度は、野太い声もだ。

 さっきまで呑気にしていたアンジェロは今にも泣きだしそうな目でダレンを見る。

 ダレンは、椅子から降りると足を引きずりながらも音を立てないように慎重に歩みを進める。ドアの前に立った時、ゆっくりドアノブが回った。身構えたが、杞憂きゆであった。

 小さく開かれたドアの向こうから先ほど出て行ったティメアが帰ってきたのだ。しかし、顔面蒼白がんめんそうはくで何か良くないことが起きたのは明白だった。


「何があったんだ」


 覚悟を決めなければならないようだ。

 ダレンは、唾と共に怯えを呑みこんだ。



🔶用語メモ🔶

🔸ばんの国

 ユラ大陸東側を統べる大国。多民族国家であるゆえに、思想や文化の違いや冷遇されている民族からの反乱が定期的に起きる。大抵の場合、代々皇帝を守護する仙武家が介入する。

🔸仙武せんぶ

 三千年前の世界の終りの折、台頭した一族。比類まれなる武の才を血族たちは有し、戦うために生まれた者たちとまで言われる。

🔴語句メモ goo国語辞書より引用(小学館大辞泉)

🔴怖気おぞけ:怖がる気持ち。恐怖心。おじけ。

🔴さらす: 日光・風に当てて干す。広く人目に触れるようにする。避けることができないむずかしい事態に身を置く。

🔴目深まぶか:目が隠れるほど、帽子などを深くかぶるさま。めぶか。

🔴外套がいとう:防寒などのため、衣服の上に着るゆったりした外衣。オーバー・マント・二重回しなどの類。

🔴肖像しょうぞう:人の姿や顔を写した絵・写真・彫刻などの像。

🔴うめく:痛さや苦しさのあまり、低い声をもらす。

🔴恫喝どうかつ:人をおどして恐れさせること。おどし。

🔴怒号どごう:怒って、大声でどなること。また、その声。風や波が荒れて激しい音をたてること。

🔴陶酔とうすい:気持ちよく酔うこと。 心を奪われてうっとりすること。

🔴あくどい:程度を超えてどぎつい。やり方が行きすぎてたちが悪い。色や味などがしつこい。

🔴がりなり:曲がった形。また、物事の状態が不完全であること。

🔴すじ:物事の道理。

🔴問答もんどう:問うことと答えること。質問と応答。また、議論すること。

🔴袖口そでぐち:袖の端の、手首が出る部分。

🔴きぬ: 蚕の繭からとった繊維。 絹糸で織った織物。絹織物。

🔴養蚕ようさん:蚕を飼い育て、繭をとること。こがい。

🔴感心かんしん:りっぱな行為や、すぐれた技量に心を動かされること。心に深く感じること。感服。

🔴金襴きんらん:綾地または繻子地しゅすじ に金糸で文様を織り出した織物。袈裟けさ・能装束・帯地・袋物・表装などに用いる。

🔴金糸きんし:金色の糸。金箔を和紙にはりつけ細く切って縒 ったり、金箔を細く切って絹糸などの周囲に縒りつけたりしたもの。金襴などの織物や刺繍などの装飾用とする。

🔴紋様もんよう:調度・器物・衣服などの表面に装飾された図形。同じ図柄の反復繰り返しによって構成されるものをいうことが多い。模様。

🔴加味かみ:あるものに、別の要素を付け加えること。

🔴類推るいすい:類似の点をもとにして、他を推しはかること。

🔴まごつく:迷ってうろうろする。うろたえる。まごまごする。

🔴杞憂きゆ:心配する必要のないことをあれこれ心配すること。取り越し苦労。

🔴顔面蒼白がんめんそうはく:恐怖やけがなどのために、顔色が青ざめて見えるさま。

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