第25話 こっちとあっち

こっちとあっち



 恥知らずな剣は残骸として柄を残し、その骸を手に大男は目を見開くばかり。冷水のような愕然がくぜんを引っ被り、振り下ろしかけた手が硬直こうちょくする。手になじむ重みが消え、当たり前と思っていた鈍い光沢が消え、男の怒気までもが消沈しょうちんしていく。ダレンの首を押さえつけながら、柄を握ったままの手を眼前に、男は相棒のあられもない姿に驚く。


「どうした?」


 声をかけたのは、手の甲を押さえた仲間。一線を越えないように声をかけ続けていたが、少年が男の目を潰したあたりからは、それも辞め、ただ顔を背けていた。そのため状況がつかめず、いぶかに男に尋ねたのだ。


「何がっ…………起きてんだ」


 再びの呟きは、地下室で気絶していた男のものだ。声色には戸惑いが潜んでいる。

 僅かばかりの良心の呵責かしゃくで大男の肩に手を置いたところ、奇怪きかいな現象を目の当たりにしていた。その心からの疑問に答えられるものはおらず、沈黙が空間を支配していった。







 ギッ、キーリ…………キリキリ。






 雨風でさびを纏ったドアノブが泣き出した。沈黙に変わる支配者の訪れを知らせている。

 室内全員の視線が自然と引き寄せられ、ゆっくり下がるノブに息が細くなる。


 カチャンとノブが下がりきるや否や風に吹きつけられたかのように勢いよく開け放たれる。生ぬるい風と共に土と小麦の匂いが室内に吹き込み、瞬く間に空気に溶け込んだ鉄粉を搔っ攫い、陰惨いんさんな空気と共に外に押し出す。


 カラン、コトン。


「…………おっせーよ」


 ここ数日で覚えた足音。なんとか絞り出せたダレンの悪態じみた呟きに隠しきれない安堵あんどが浮かぶ。


「ほんと、子憎こにくたらしいね君は」


 軽い靴音が一歩前に踏み出すたびに、空間に圧迫感が増す。饒舌じょうぜつに話すのは、外からゆったり帰宅するその者だけ。


「初めまして、見知らぬ人達。あんたさんらがどこの誰か? どんな、お考えでこんなことしたのか? 皆目かいもく見当がつかないが、そこは今それほど問題じゃあない」


 カツンッ。

 踏み出したつま先が甲高く鳴った。逃げを打つ獲物の尻尾を踏むように、玄関敷居を踏み止めた。


「子供を甚振いたぶるのは楽しかったか?下郎げろう諸君しょくん?」


 濃紅こいくれないの髪を後ろに束ねた小柄な影が廊下に長く伸びる。強い逆光の中で、鏡の双眼だけが明瞭な形をあらわし、全てを写している。燃やさんばかりに差し込むあかを背負って。


「お、お前! 何だよ!」


 未だにダレンの首を掴み床に押し倒したままに、男が声を荒げる。


「うるさいねー、デカい奴。あんたが乗っかってんの。不肖ふしょうの弟子なんだわ。さっさとどいてくんない?」


 舐め腐った態度で腕を組み、緩慢かんまんに、しかしまっすぐに歩み続ける少女。


「ッふざけんな! てめえみてーなひょろい小娘一人が、何言ってやがる!」


 言うや否や男は立ち上がるとふところのナイフを取り出し少女の顔めがけて投げる。けれども、さっきと同様に少女の眼前で塵となり消えてしまう。


「! お、お前! さっきから何してやがる!」


 理解しがたい事態の中、未練たらしく柄を握りしめ、怖気おぞけで冷え付く頭を必死に巡らす。心臓がこれまでにないほど警鐘けいしょうを打ち鳴らし続け、声が震える。


「どうして、私が、親切にも話さなきゃならないんだ?」


 木の床と木の靴が鳴らす暖かな音を囃子はやしに、聞き分けの無い子供を諭すような声色で続ける。


「そっちこそ、立場ってものを理解したらどうなわけよ?」


 仰向けに横たわるダレンを挟んで少女と男が向き合う。


「お前は、今、危殆きたいひんしている。それが分からないほど鈍くはないだろ?」


 大柄な男は、口を堅く引き結び、自身より低い位置にある頭を見下ろす。見下ろしているはずであるのに、遥か頭上から見下されていると感じてしまう。

 何だ、何だ、何なんだ! 何で体が震えるんだ! 何で息が苦しくなるんだ! たかが女だ。それもまだ子供の域を出ていない。それなのに、体の芯から怯えてやがる。気が触れそうだ! 喚き散らして逃げちまいたい゛! どうしたら逃れられるんだぁ!


「固まっているところ悪いんだが、さっさと退きなよ」


 どこまでも淡々とした声。鮮少せんしょう心緒しんしょも滲まない声。それが、尚更恐怖心を煽る。


「ッヒィ!」


 男は畏怖いふのあまり情けない悲鳴を漏らし、尻もちをついた。残りの仲間二人も喉奥で泣き、地下室への扉まで後ずさる。


「やればできるじゃないか」


 そう言うと男達に目もくれず、苦し気に息をするダレンの前に片膝を付いた。


無鉄砲むてっぽうを誉めちゃいけないんだが、その無謀ながら勇気ある行動は称賛しなきゃ師と言えなくなっちゃうからね。流石だ、ダレン。君が私の弟子になってくれて誇らしい」


 しょうがないなと呆れを含ませた賛辞さんじを告げるとダレンの乱れた前髪をかき上げるように優しく撫でる。打撲による発熱で高いダレンの額よりもまだ熱いてのひら一撫ひとなでごとに息苦しさが収まり、痛みすらもどこかへ消えていくのをダレンは感じていた。


「もう大丈夫。ファビアもよく頑張ったね」


「葵さんっ! ごめんなさいっ! 私の所為でダリル君が―――ほんとにごめんなさい!」


 ファビアは決壊した感情のままに嗚咽おえつと共にひたすらゆるしをう。

 葵はファビアの背後に回ると手足の縄に人差し指の腹を滑らせる。それだけで、あっさりと荒縄あらなわが切れていく。その間もボロボロと涙を零し、ファビアは謝り続ける。葵はファビアの体を起こすと擦り切れて甘皮から血を流す小指をやわく握り込んだ。暖かな掌に包まれ、じんわりと熱が伝わるにつれてヒリヒリとした痛みが引いて行く。


「泣かない泣かない。ダァㇾーーリル君は案外、頑丈みたいだから心配しないで」


 不自然に名前を伸ばし、本名を言いそうになったのをごまかすと、もう一方の手で泣きぬれた頬をなぞる。なぞった傍から涙が渇き、涙痕るいこんによる肌のツッパリも感じない。


「目も腫れちゃって」


 両手の親指で腫れつつあるまぶたをなぞる。


「怖かったろ。こっちこそごめんね。遅くなって」


「そんなこと、葵さんが謝ることなんて何も!」


「ありがとう。ファビアは優しいね」


 ファビアの頭を優しく撫でるとすっくと立ち上がる。


「そんじゃあ、サクッと終わらせて日常に戻ろうか。———ねえ?」


 ファビアに向けた優し気な声から、一気に低くなる。たったそれだけで、目前に迫った死の恐怖。恐慌状態に突き落とされた男たちは、それぞれ動き出す。一人は残った武器を手に決死の突進を仕掛ける。しかし、相も変わらず、刃は砂鉄となって崩れてしまう。


「学習しな。私は、それを許してないんだよ」


 真正面から迫った大男の下あごめがけて足を振り上げる。つま先が強かに打ち付け脳を揺らすと、男は糸が切れた様に仰向けに倒れる。蹴り上げの勢いのまま小柄な体は宙を一回転し、両腕を床に着き着地の衝撃を逃す。続けざまに裏口から逃げを打つ男の後頭部に狙いを定め腕を伸ばし、かかとで蹴りつけると宙で上体を起こし、片膝をついて着地する。


「待ってくれ! 悪かった! 俺たちはただ頼まれただけなんだ!」


 逃れられないと諦めた唯一残った男は、頭を抱え両膝をつく。


「そう。そんじゃあ」


「うぐっ」


 葵は男の胸倉を掴み上げ視線を合わせる。


「誰にお願いされたのか、ゲロってもらえるかなぁ?」


 牙が剥き出すほど口角を上げ、それはそれは凶悪に笑った。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ところ変わって、数日前まで葵たちが居たラントの町。日は山の向こうに沈み朧気おぼろげな月明りのみが照らす中。しとしと細い小雨こさめが石畳の色を薄っすら濃くする。しかし、多くの人は肩を濡らす雫には気づかない。ごくまれに気づく者も居たが、空を見上げ月を見ると薄い雨雲だと思うだけであった。


コンッコン。


「頼もう」


 清爽せいそうながら芯の通った声の持ち主が休診の札が掛けてある扉を叩く。窓は薄いカーテンで閉じられてはいるが、明かりが漏れ出し、時折明かりの前を横切る影が目に付く。


「休診とは思うが、手短てみじかゆえ、戸を開けてもらえないか?」


 今一度声をかけると、数十秒ほど後に内鍵がかちゃりと回り、女性が顔半分だけを覗かせる程度扉を開く。


「どうされました」


 男を警戒してか、すぐにでも扉を閉められるよう、片手は内鍵に添えたまま応対している。尋ね人は、二人組。十代後半とみられる青年とその奥。玄関ポーチから外階段を降り、数歩離れたところに立っている。草か木の皮かで編まれた丸い板のような帽子を被っており、女性の目線より下に男の頭があるため面を伺うことは出来ない。装束しょうぞくもマントのような外套がいとうを着こんでいるため分からない。しかし、僅かに覗いた足先は随分と変わった靴だった。つま先で二股に分かれているのだ。


夜分やぶんに申し訳ない」


 隙間から奥の男の様子を伺っていた女性は目前の呼びかけに目を向け、はっと息を呑む。凛々しく端正たんせいな顔立ちに瑠璃るり色の双眼と鮮やかな花緑青はなろくしょうの髪。襟足はすっきりと短く、その髪質はさらさらと流れるくらい細くしなやか。前髪は左目の上あたりで左右に分けられ、その間から覗いた額には丸を中心に四つの菱形ひしがたが上下左右に並ぶ入れ墨がある。ひざ丈ほどのマントのような外套の下は異国風な装束を着込んでいる。明らかに異邦いほうからの旅人と見て取れる。背にはつるを巻き付けた身の丈以上の弓と矢筒、それに番傘ばんがさを背負っている。


「あの、よろしいか?」


 様相をジーっと観察していると再び声を掛けられる。外の男と似たような帽子を片手に、首を傾げこちらを伺っている。頭一つ以上上から見下ろされ、年甲斐もなく心が跳ねるのを感じる。


「ッあ、失礼しました。不躾ぶしつけに見てしまいました」


「いや、構わない。休診にも関わらず応対を頼んだ者が特に怪我も無く体調も良好そうな二人組。不審がるのも無理もない」


 青年は微苦笑びくしょうをにじませる。


「長話はそちらも都合が悪いだろう。要件だが、血止め草ちどめぐさを買いたい。余分はあるか? もしあれば分けてもらえないだろうか?」


 血止め草は、またの名を弟切草おとぎりそうとも言う多年草たねんそうだ。主に止血しけつ鎮痛ちんつう、風邪の煎薬せんやくとして用いられる。


「はい。すぐお出しします。中でお待ちしますか?」


「かたじけない」


 女性が扉を大きく開き青年を屋内に案内する。青年は弓と矢筒、番傘を玄関の外に立てかけると玄関ポーチに並べられた鉢植えを横目で一瞥いちべつし、敷居しきいまたぐ。


「…………お連れの人はよろしいのですか?」


 女性は雨に打たれ続ける男を気にするが、青年は大丈夫ですと一度言葉をきり室内を進んで行く。

 女性は外の男を気にしながら、ゆっくり扉をしめようとする。すると、完全に閉まり切る直前。頭が少し後ろに傾く。


「あ」


 思わずぽろりと、音が転げ出る。


 帽子の下から僅かに覗いた藤色の唇。それが薄く弧を描く。そうして、一音一音形を変えるさまに引き付けられるあまり、背後の言葉を聞き逃してしまう。


「だって、「大事おおごとにしたくないので」って言うんだもん」


 羽衣はごろものような柔らかい声に続いて清爽な声が言葉を綴ったそれを。



🔹キャラクターメモ🔹

🔹若竹のような青年

 ある開業医を訪ねてきた一人。凛々しく端正な顔立ちに瑠璃るり色の双眼と鮮やかな花緑青はなろくしょうの髪、清爽せいそうながら芯の通った声の持ち主で額には丸を中心に四つの菱形ひしがたが上下左右に並ぶ入れ墨がある。外套を着こみ、下の装束はよくわからない。背にはつるを巻き付けた身の丈以上の弓と矢筒、それに番傘ばんがさを背負っている。

🔹丸い板のような帽子被る男

 青年と共にある開業医を訪ねてきた。唯一見えた藤色の唇以外、人相は確認できない。また、青年と同様に外套で服装は分からない。羽衣のように柔らかい声をしている。


🔴語句メモ goo国語辞書より引用(小学館大辞泉)

🔴愕然がくぜん:非常に驚くさま。

🔴硬直こうちょく:筋肉が持続的に収縮し、かたくなること。また、その状態。

🔴消沈しょうちん:消えうせること。また、気力などが衰えてしまうこと。

🔴あられもない: あるはずがない。考えられない。とんでもない。そうあってはならない。ふさわしくない。はしたない。特に、女性の態度や振る舞いについていう。

🔴いぶかしむ:不審に思う。

🔴良心:善悪・正邪を判断し、正しく行動しようとする心の働き。

🔴呵責かしゃく:厳しくとがめてしかること。責めさいなむこと。かせき。

🔴奇怪きかい:常識では考えられないほど怪しく不思議なこと。

🔴陰惨いんさん:暗くむごたらしい感じ。

🔴安堵あんど:気がかりなことが除かれ、安心すること。

🔴子憎こにくたらしい:何となく憎らしくてかん にさわる感じである。

🔴饒舌じょうぜつ:やたらにしゃべること。

🔴皆目かいもく:あとに打消しの語を伴って、強く否定する気持ちを表す。まるっきり。全然。

🔴甚振いたぶる:痛め付けたり、嫌がらせをする。

🔴下郎げろう:人に召し使われている身分の低い男。男をののしっていう場合にも用いる。

🔴諸君しょくん:主に男性が、対等かそれ以下の多数の相手に対して、親しみを込めていう語。きみたち。みなさん。

🔴不肖ふしょう:取るに足りないこと。未熟で劣ること。父に、あるいは師に似ないで愚かなこと。不運・不幸であること。

🔴緩慢かんまん:動きがゆったりしてのろいこと。

🔴怖気おぞけ:こわがる心。おじけ。

🔴警鐘けいしょう:危険を予告し、警戒を促すもの。

🔴囃子はやし:能・狂言・歌舞伎・長唄・寄席演芸など各種の芸能で、拍子をとり、または気分を出すために奏する音楽。主に打楽器と管楽器とを用いるが、芸能によって唄や三味線が加わることもある。

🔴危殆きたい:あやういこと。非常にあぶないこと。

🔴ひんする:ある重大な事態に今にもおちいろうとする。

🔴鮮少せんしょう:非常に少ないこと。

🔴心緒しんしょ:思いのはし。心の動き。

🔴畏怖いふ:おそれおののくこと。

🔴無鉄砲むてっぽう:是非や結果を考えずにむやみに行動すること。

🔴賛辞さんじ:ほめたたえる言葉。ほめ言葉。

🔴嗚咽おえつ:声をつまらせて泣くこと。むせび泣き。

🔴ゆるす:過失や失敗などを責めないでおく。とがめないことにする。

🔴荒縄あらなわ:わらで作った太い縄。

🔴涙痕るいこん:涙の流れたあと。

🔴おぼろげ:はっきりしないさま。不確かなさま。

🔴小雨こさめ:少し降る雨。小降りの雨。また、細かい雨。

🔴清爽せいそう:清くさわやかなこと。さっぱりして気持ちがよいこと。

🔴装束しょうぞく:衣服を身に着けること。装うこと。また、その衣服。

🔴外套がいとう:防寒などのため、衣服の上に着るゆったりした外衣。

🔴凛々しい:きりっとひきしまっている。

🔴端正たんせい:顔だちなどが美しく整っていること。

🔴瑠璃るり:青色の美しい宝石。 ガラスの古称。玻璃はり 。

🔴花緑青はなろくしょう:緑色の顔料。酢酸銅と亜砒酸銅の複塩で、有毒。船底塗料などに使用。

🔴つる:弓に張りわたす糸。

🔴番傘ばんがさ:太い竹の骨に和紙を張り、その上に油を引いた実用的な雨傘。

🔴不躾ぶしつけ:礼を欠くこと。無作法なこと。

🔴無理もない:もっともだ。当然である。

🔴微苦笑びくしょう:微笑とも苦笑ともつかない笑い。

🔴弟切草おとぎりそう:多年草。山野に生え、高さ30~60センチ。葉は披針ひしん 形で対生し、基部は茎を抱く。夏から秋、黄色い5弁花をつける。花は1日の寿命で、日中だけ咲く。茎や葉を痛み止めや切り傷の薬にする。

血止ちどめ草、鷹の傷薬とも言う。

🔴多年草たねんそう:多年生植物。草本植物で、茎の一部、地下茎、根などが枯れずに残り、毎年茎や葉を伸ばすもの。

🔴止血しけつ:出血を止めること。血止め。

🔴煎薬せんやく:煎じて飲む薬。

🔴一瞥いちべつ:ちらっと見ること。ちょっとだけ見やること。

🔴敷居しきい:門の内と外との仕切りとして敷く横木。また、部屋の境に敷く、引き戸・障子・ふすまなどを開けたてするための溝やレールのついた横木。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る