第18話 騒がしい朝

さわがしい朝


ドスン!


「ぐえっ! なんだ⁉」


 うつ伏せに寝ていたダレンは、突然の衝撃にたまらず目を開ける。寝ぼけた頭を起こすため頭を左右に振る。数秒間ボーっと思考し、自身が直前まで熟睡していたこと、ここはバッテルケデスで人の良いビリーという開業医が泊めてくれたこと、小狡い思惑おもわくで葵との関係に少しひずみが生じたことを思い出した。少し気落ちした気分に浸っていると背中の温かな重みに気付く。何か小さな生き物が乗っているのかと、首を回し背中の上を見る。すると頬骨のあたりにそばかすを散らした3歳くらいの女児が跳び箱に失敗したような姿で乗っかっている。


「ダリルおにぃちゃん! お、き、てぇッ!」


「……は? お前誰だよ」


「おまえじゃなぁーい! めりんだぁ〜!」


 初対面の子供が小さな手でバシンバシンと太鼓たいこのように人の背中を叩きまくる。

 我慢だ。相手は自分の半分も生きてない子供だ。ここで怒ったら、超音波のような泣き声に見舞われるかもしれない。

 イライラしながらも自制心を働かせていると開け放たれた扉から葵がひょっこり顔を出す。


「メリーちゃん寝坊助お兄ちゃんは起こせた? ああ、目が覚めたみたいだね。おそようダァ………リルくん。朝食ごちそうしてくれるってさ。メリ〜ちゃん、さじを並べるの手伝ってもらえるかな〜?」


「は〜い!」


 メリンダはダレンの上から反動をつけ飛び降り、どたどたと部屋を飛び出して行く。その傍若無人ぼうじゃくぶじんさは、どっかの誰かを彷彿ほうふつとさせる。


「何なんだよ。朝から騒がしいな」


 嵐に見舞われたダレンは、ベッドの上に座り直し、不機嫌な顔で独りちる。


「ビリーさんは早朝から往診おうしんに出て居ないんだ。今のは預かってるだよ。おかげで目が覚めたろ?」


 内開きの扉に寄りかかり含み笑いを浮かべる様子から葵がけしかけたのだとさとるのは容易たやすい。


「あんた、嫌な奴だな」


「そうかい? 君ほどじゃないだろう? あたしは、足元見たりしないから」


 ダレンの眉尻は下がり、ムッと口元に力が入る。弱気な自分が昨日の悪知恵は最低だったと小さく後悔するのと同時に、嫌味な奴だからそのくらい言ってもいいはずだと強気な自分が正当化する。


「さあさ、寝坊助君。朝餉あさげの時間だよ」


 コトンコトンという足音が部屋から遠ざかる。ダレンも後に続くため薄っぺらい革靴に足を通し、立ち上がった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「マジかよ」


 廊下の壁に片手を添えながらゆっくり歩みを進めていたダレンが開かれた扉を漸く開いた時、室内の状況に思わず言葉を零した。


「ふぁびあ〜! おなかすいた! がまんできないぃ!」


まっめ! たくさんいれてよぉー」


「分かったから、アンジェロもアンジェリカも床に寝そべらないの。服が汚れちゃう」


 小さな炉端ろばたに自分と同い年か少し上くらいの少女が赤ん坊を背負いながらスープを器によそう。足元には、赤子を背負う少女と同じ鈍い赤毛をした男の子と女の子がいる。鏡写しのようにそっくりな5歳くらいの子供達は、お揃いの八重歯やえばを覗かせきゃっきゃと笑っている。一向に起き上がる気配のない二人にしびれを切らしたのか、焜炉こんろの横で黒パンを切り分けていた葵が手を止め、振り返りながら軽い調子で言い聞かせ始めた。


「アンジー姉弟、働かざる者食うべからずって言葉知ってる〜? 怠け者の分は、お姉さんが全部食べちゃおっかな〜」


「「ひどい! いそうろう居候のくせに!」」


「言ったな〜、客人に暴言を吐く子たちのパンはあたしが頂くよ!」


 アンジェロとアンジェリカは立ち上がり、葵が高々と掲げる黒パンを奪い取ろうと必死にぴょんぴょん飛び回る。準備の邪魔をする二人をいさめるどころか、より一層邪魔になっていることに葵は気付いているのか。


 子供相手に大人げない対応をする連れに頭が痛くなったダレンは、今一度部屋全体を見回す。10畳ほどの室内に十人掛けの食卓しょくたくが主役とばかりに中心に置かれている。部屋の出入り口に立つダレンから向かいの壁際には、石炭焜炉せきたんこんろと細かいタイルが敷き詰められた流しと狭い調理スペースがある。出入り口のすぐ左手には味があるマカボニー色の木目の食器棚があり、その前で踏み台に乗り木の平皿を取り出す二人の子供がいる。一人は、先ほどダレンを起こしたメリンダ。もう一人は、ダレンと同じくらいの背丈で巻き毛の女の子だ。上に仕舞われた木製の平皿を取り出している。


 一体何人ビリーは子供が居るんだ? この部屋だけでも6人は居るぞ?


「ダッレ……リル君! 突っ立てないで助けなよ! 人が困ってんのが分かんない⁈」


 苦し気な声に何かと目を向けると葵が姉弟に押されている。高い位置で一纏ひとまとめにした髪を床に座る男の子が背後から引っ張り、椅子の上に乗った女の子がパンを取ろうとしている。


「ダーリル! 手伝えぇ!」


 頭が自身の腰の位置まで下がるほど仰け反る葵を見つつ、内心いい気味だとほくそ笑んだの内緒ないしょだ。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 朝食の支度が終わり、10人掛けの長机に合計8人が腰掛ける。台所を背にファビア、赤ちゃん用の椅子に乗るデヤン、アンジェロ、アンジェリカが座り、反対の出入り口側の席には、葵、ダレン、メリンダ、ティメアが向かい合うように座る。卓上には、平たく切られた粗めの燕麦えんばくとライムギの黒パン、柔らかい手触りの木のお椀に満たされたひよこ豆とキャベツの塩スープに加え、熟したプラムが並べられている。

 まともな食事に昨日の昼からありつけていなかったダレンの腹はくうくうと鳴り、今すぐ腹を満たせとせっつく。口の中で唾液が自然と湧き出るのも仕方がない。


「先ほどはアンジェリカとアンジェロがお邪魔をしてしまいすいませんでした。パン切りのお手伝いまでしてもらったのに」


 ダレンが目前の食事に意識を取られていると先ほどスープを装っていた少女ことファビアが葵に下の子供達の態度を謝罪し始めた。正直そいつに謝罪は必要ないし、むしろ二人を誉めてもいいくらいだとダレンは思う。


「いえいえ、謝ることじゃないですよ。ファビアさんは、そもそも手が離せなかったんですから、何の責任もありませんよ。どっかのひまーな寝坊助君がのっそのっそしてたのが悪いので」


 大変遺憾いかんだ。けが人をこき使おうとは、この悪魔め。


「「おかしい! わたし(ぼく)たち悪くない!」」


 ダレンの心の声に賛同さんどうするように話に入ってきたのは、散々葵に手を焼かせた双子のアンジェリカとアンジェロ。二人は、ファビアの実の妹と弟だ。三姉弟お揃いの暗めの赤毛が証明している。


「何言ってんのよ。手伝いもしないのに。サボってる二人が悪いんでしょ?」


 不満を垂れる双子を叱るのは、黄色みの強いカボチャ色の巻き髪をしたティメア。メリンダと共に器を取り出していた子だ。


「自分たちの方がこの家に長いからって、手伝いサボって良いなんてことにはならないはずよ!」


 椅子に座りながら腕を組み、双子をめつける。日頃から、態度の悪い下の子たちに不満が溜まっているのだろうか? それとも何か気がかりなことがあり、気持ちが逆立っているのだろうか?


「「ティメアきらい! いっつもしかる!」」


「当然じゃない! 二人が叱られるような事ばっかりするからよ!」


「ッエ゛ヘ、ッエ゛ヘ、エ゛ーンエーン!」


「あらあら、大丈夫よ。泣かないで」


 子供たちの喧嘩に誘発ゆうはつされ赤ん坊のデヤンが大泣きを始めてしまった。ファビアは泣き止ませるため抱き上げユラユラと体を揺らすが、一向に泣き止まない。


「すいません! デヤンは泣きだすと中々おさまらないんです!」


「もう! あんた達が騒ぐから!」


「「ちがーう! ティメアがおおきなこえではなすから!」」


「ちょっと! そこの三人、もういい加減にしなさい! 御客人の前よ!」


 大きな泣き声にかき消されないために、自然とみんなの声も大きくなる。部屋の中は、喧騒けんそうに包まれ穏やかさを取り戻す気配が無い。デヤンを優しくあやしていたファビアまでも声を荒げ始めてしまった。十代前半の少女にこの場を治めるのは荷が重かろう。

 冷めゆくスープを悲し気に見つめるダレンの頭には、今すぐ嵐が収まってくれることを祈る言葉だけが浮かんでは消えていった。すると葵が前に乗り出しダレンを挟んで向こうに座っていたメリンダに話しかけ始めた。


「ねぇねぇ、ちょっとハンカチとか借りてもいいかな?」


「? いいよ。なににつかうの?」


「とっておきの手品さ。泣き止ませる自信あるから試してみてもいい?」


「うん! はやくたべたいもんね! もってくる!」


 メリンダは部屋を飛び出すと1分もせずに戻ってきた。手には薄い生地の白いハンカチを握りしめている。


「ありがとう、メリンダ。後でお願い一つ叶えてあげるね」


 メリンダの頭をくしゃりと一撫ですると、席を立つ。ファビア含め、喧嘩の渦中かちゅうに居る子たちは全く気付かない。完全に意識が囚われている。

 葵は廊下とダイニングの境に移動すると、掌を自身の胸の前あたりで上に向ける。そこへ先ほどメリンダが取ってきた薄布の手ぬぐいをハラリと被せる。

 何をするのかと、ダレンとメリンダは興味津々に凝視する。メリンダは期待感のあまり座面で膝立ちになり椅子の背もたれから身を乗り出す。

 葵がにんまりと笑みを浮かべたかと思えば、勢いよくハンカチを真上に引き上げる。


 ダレンは、十年余りの人生で何かに感嘆かんたんしたことは無かった。単純に人様が言う美醜びしゅうの理屈が馴染みなく理解できなかったせいである。それなのに、瞬きすらも惜しく感じるほど、その光景に目を奪われた。そして、今後数十年の歳月を積み、世界を渡り歩いても、今、目の前にあるそれを超えるモノには出会えない事も理解していた。


 そこからは、葵の独擅場どくせんじょうだった。



🔷キャラクターメモ🔷

🔹ビリー 39歳

開業医。友人や患者の子供を引き取っていたらいつの間にか大家族になってしまった。以前は結婚していたが、あることをきっかけに離婚している。元妻は貿易会社の事務員として自立した生活を送っている。

🔹ファビア 13歳 

ビリーの子供時代からの友人の長女。母親は流行り病で亡くなり、父親の豆農家家業を手伝い、双子の姉弟を世話しながら生活していた。しかし、父親も流行り病にかかり他界した後はビリーの養子となる。

鈍い赤毛(テラコッタ) 明るく霞んだ黄色の目(メロンイエロー)

🔹アンジェリカ 5歳 

ファビアの妹。アンジェロの双子の姉。両親のことは殆ど覚えていない。はつらつとした性格で常に行動を共にしているアンジェロを引っ張ていく。

鈍い赤毛(テラコッタ) セピアの目 特徴的な八重歯

🔹アンジェロ 5歳 

ファビアの弟。アンジェリカの双子の弟。アンジェリカ同様両親のことは覚えていない。少し引っ込み思案な性質を持つアンジェロだが、アンジェリカが居ると気が大きくなる。

鈍い赤毛(テラコッタ) セピアの目 特徴的な八重歯

🔹メリンダ 3歳

ビリーが診ていた娼婦の娘。母親が花柳病かりゅうびょうで永眠。その後は、ビリーが引き取る。父親が誰か分かっていない。

パウダーピンクの髪 チェリーピンクの目 頬骨のあたりにそばかす

🔹ティメア 9歳

ビリーの友人の子供。父親は聖警士所属の航海士。現在は新大陸の原住民調査のため、ティメアをビリーに預け先遣隊に同行中。

パンプキンの髪 キャラメルの目 クルクルした巻き髪

🔹デヤン 1歳

最年少の赤ん坊。籠に入れられ玄関前に捨てられていた。おくるみにデヤンという名前が刺繍されていた。


🔴語句メモ goo国語辞書より引用(小学館大辞泉)

🔴さじ:液体・粉末などをすくい取る道具。小皿状の頭部に柄のついた形。金属・木・竹・陶器などで作る。スプーン。

🔴傍若無人ぼうじゃくぶじん:人のことなどまるで気にかけず、自分勝手に振る舞うこと。また、そのさま。

🔴彷彿ほうふつ:ありありと想像すること。よく似ているものを見て、そのものを思い浮かべること。

🔴往診おうしん:患者やその家族の求めに応じて、医師が患者の家に行って診察すること。

🔴けしかる:勢いづけて相手を攻撃させる。相手をおだてあげて自分の思うとおりのことをさせる。そそのかす。

🔴朝餉あさげ:朝の食事。あさめし。

🔴炉端ろばた:囲炉裏 (いろり) のそば。いろりばた。ろべ。ろへん。

🔴よそう:飲食物を器に盛る。

🔴八重歯やえば:正常の歯列からずれて重なったように生える歯。犬歯によく起こる。鬼歯。

🔴焜炉こんろ:金属や土で作った、持ち運びが便利な炊事などに用いる小さい炉。七輪しちりん 。

🔴居候いそうろう:他人の家に世話になり食べさせてもらうこと。また、その人。食客。

🔴食卓しょくたく:食事用のテーブル。食台。

🔴燕麦えんばく:イネ科の一・二年草。高さ50~90センチ。葉は線形。花序の小穂には2個の小花をつける。牧草とするほか、実をオートミールなどの原料とする。まからすむぎ。オートむぎ。オーツむぎ。

🔴ライムギ:イネ科の越年草。高さ1.5~3メートル。耐寒性が強く、コムギより穂が長く、実も細長い。実を製粉して黒パンを作るほか、麦芽はウオツカやビールの原料、穂にできる麦角 (ばっかく) は薬用とする。小アジアの原産で、東ヨーロッパを中心に栽培。

🔴遺憾いかん:期待したようにならず、心残りであること。残念に思うこと。

🔴賛同さんどう:他人の意見・提案などに、賛成・同意すること。

🔴喧騒けんそう:物音や人声のうるさく騒がしいこと。

🔴渦中かちゅう:水のうずまく中。ごたごたした事件の中。もめ事などの中心。

🔴感嘆かんたん:感心してほめたたえること。感じ入ること。

🔴美醜びしゅう:うつくしいことと、みにくいこと。

🔴独擅場どくせんじょう:その人だけが思うままに振る舞うことができる場所・場面。ひとり舞台。「擅」を「壇」と誤り、「ひとり舞台」の意から「独壇場 (どくだんじょう) 」というようになった。


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