第17話 自責と罪悪

自責じせき罪悪ざいあく


 のっぺりとした夜が重く垂れさがる頃。繊月せんげつが日の光を寝静まる地上に降り分ける。遥か昔に星々が隠れて以来、夜に光を届けるのは月の役目であった。


「この独善どくぜん女! 我儘わがまま! 自己中!」


「うっさいなー。真夜中だよ。御近所迷惑でしょーが」


 のきが連なる細道を二つの人影が歩いている。背が高い影からはカランコトンと足音が響き、低い影からは皮が石畳を擦るザッザという音がする。先を急ぐのか、苛立っているのか、ゆったりとした木の音に比べ、革靴は幾分か早い。しかし、その足音は時たまザッザザと乱れる。本調子でない足を引きずっているようだ。そんな二人の一歩先を常に照らすあかりがある。ふよふよと和紙製の小さな灯籠とうろうが白い光を四方八方に降り注いでいる。石の繋目まで見えるほど明るく歩む足元を照らし続ける。


「土地勘もないくせに無計画なんだよ! こんな時間じゃ空いてる宿なんて無いんだからな! 大体な、何で急にラントの町を出ることになるんだ⁉」


 小さい影は、ぎゃんぎゃんわめき不満をあらわにする。担がれたまま林道や獣道を半日も走り回られたことが相当こたえたようだ。相手の前に仁王立におうだちになると、答えるまでは一歩も動かないと言いたげに腕を組む。


「あれだよ、あの…………運気的なもので、今すぐに町を出なきゃならなくて」


「もっとマシな嘘くらい無いのかよ」


 歩みが止まると灯籠は頭上に移り、石畳でなく二人の姿を照らし始める。すると小さな影ことダレンから背が高い影ことあおいが不自然に視線を外し、ごにょごにょ言う姿が照らし出される。


「嘘じゃないし! あのまま留まると良くないことが起きる可能性が高かったから…………つかさ、そもそもあたしが攻められる謂れないと思うんですけど? こっちは、お荷物君を抱えてやってる立場ですけど⁈」


「はぁ⁉ 俺は見ず知らずの馬鹿に引きずり回された、いたいけな子供だけど⁉ 先ずは、そのことを謝ったらどうだ⁉」


「他人様に助けられた身のくせに、随分な口をきくねぇ。そこまでの威勢いせいがあるなら、ほっといても生きてけそうじゃない? あーあ、こんなガキンチョ捨てていこうかなー?」


「てめえ! 拾ったからには、最後まで責任持てよ! 少なくとも俺より大人だろ!」


「残念ながら、今の気分のあたしは拾った責任を果たす気持ちになれませーん。そもそも大人じゃありませーん」


 どんどん激しくなる言葉の応酬おうしゅう。終いには、互いの嫌なところ紹介が始まってしまった。


「ダレン君ってさ、いっつも『あんた』とか『おまえ』、『てめぇ』ってあたしのこと呼ぶよね? 正直すごく嫌なんだけど」


「だから何だよ。あんたが嫌だからって、どうして俺が呼び方変えなきゃならないんだ? そんなこと言うなら、俺だって相談も無しに勝手な行動するとこが嫌いだ」


 眉尻を吊り上げ、眉間に皺を刻み、お互いにらみ合う。


 今二人は、細い路地を出た大きな広場の前に立ち止まっていた。小さな蝋燭ろうそくが入れられた街路灯のおかげで数列の屋台の並びがうっすら見える。どうやら市場のようだ。もちろん、夜中なので一切営業していない。広場を四角に囲むように並ぶ建物も真っ暗。


 刺々しい沈黙をぶつけ合う葵とダレン。互いの胸中は、どうやって相手を言い負かすか?そればかりが占めている。


「もし。そのお二方ふたかた如何いかがなさいましたか?」


 優し気な声が、不可思議と困惑を含み話しかける。互いから視線をその声に向けると、40歳くらいの細身の男性が立っていた。手元にはオレンジ色の揺らめくランタンを持っている。


「そのように、ののしり合って。何か苛立つようなことがございますのか?」


「こいつの行き当たりばったりの所為だ! 夜中じゃ、何処の宿も開いてないんだ。疲労困憊ひろうこんぱいだっていうのに、朝まで野宿だ!」


「疲労だ? ふん! 人に担がれてただけの奴がどうして疲れるのさ?」


「俺は、あんたと違って繊細せんさいだからな! 体力馬鹿とは違うんだよ!」


「そんな軟弱なくせして、ついて行きたいって言ったのはどこの誰かなぁ? 自分を守る術をあたしから学ぶつったのは? たった半日、山道を運ばれた程度でぶー垂れてる奴が言った言葉とは思えないなぁ」


「っ…………」


 葵の最もな言葉がダレンの口を縫い付けた。言い合いは、葵に勝ち星がついた。


「お二方。お話し合いに口を挟み申し訳なく思いますが、おそらく明日の朝でも宿は取れませんよ」


 話の隙間を逃さず、男は関心を引くことを告げる。


「三日後から開催される闘技祭とうぎさいのために国中から多くのお客様を受け入れていることでしょう。もう日付が変わりましたから、正しくは二日後でした。この広場の屋台も観戦客向けの軽食、飲料が殆どです。嘘ではありませんよ」


「闘技祭? ここはバッテルケデスか?」


 てっきり宿が取れない事実に、さらに怒るかと思われたダレンは、別の点が気にかかったようだ。


「はい。闘技の町として名を馳せる武の町です。もしよろしければ、一晩の宿を提供いたしますよ。今は、患者も居ませんのでベッドに空きがございます」


 察するに、男は個人経営の医者なのだろう。子供二人が夜道に残ることを不憫ふびんに思い、御親切にも宿の打診だしんをしてくださる。


「そんなご迷惑おかけできません!…………と言いたいところですが、正直言いますと非常にありがたいお心遣いです。大変恐縮ですが、一晩だけお願いできますでしょうか?」


 ダレンを言い負かした分ご機嫌な様子で葵は、男性に向き直る。口調も丁寧で口論していたのが嘘のようだ。相手の親切心に報いようと努めて礼儀正しく振舞う。


「ええ、構いませんとも。申し遅れましたが、わたくしはビリーと言います。しがない開業医でございます」


「私は葵と言います。この子はダ―「ダリルです」


 葵が名を口にするのを遮るように、ダレンが偽名ぎめいを名乗った。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「何か必要な物がございましたら、まだ起きていますのでお声かけ下さい」


「いえいえ、そのような必要はありませんよ! お疲れでしょうから、気にせずお休みください」


「そうですか。お言葉に甘えさせていただきます」


 パタンと扉が閉まると、キシキシと足音が離れていく。


「…………ねえ、さっきの何?」


 家主が離れたことを確認すると葵は皆まで言わずに問いかける。


 カーテンで遮られた両隣のベッドに葵とダレンは居た。葵は、頭の後ろで腕を組みながら仰向けに寝転ぶ。ダレンは、葵と反対の方を向き横たわる。


「何が?」


 不貞腐ふてくされた声がつっけんどんに答える。


「分かってんでしょ。どうして嘘つくの」


 葵は、ダレンが偽りの名を親切なビリーに言ったことを尋ねている。当然、ダレンも分かっている。しかし、今さっきまで言い争いをしていた相手と話したくないのだ。同じ空間に居るだけでもムカムカするくらいなのだ。ダレンは、絶対に話してなるものかと口を閉じる。

 葵の言葉から30分ほど沈黙が支配しているが、未だに待っているのだろう。重たい空気が立ち込めている。眠気から気力を削がれたダレンは、ようやっと口を割る。


「ここがバッテルケデスだからだ。俺は、あんたに会う前は奴隷だっただろ。それも奴隷剣闘士だった。訓練生だから試合に出た経験はないけど、所属してた闘技団が東部じゃそれなりの強豪だったからな。闘技祭となれば、顔見知りも居るかもしれない。だから、ダリルって言った」


 死んだはずの奴隷剣闘士がひょっこり出てきたなら、連れ戻そうとするだろう。ダレン自身がどれ程興行こうぎょうの集客に役立つかは分からないが、当然食わせた分の回収はするだろう。連れ戻されて、もし見込みがないと判断されれば、余興試合で使われるか、獣の餌に変わる未来しかない。それくらい貪欲で無ければ闘技団で利益を上げるのは難しいのだ。だが、そんな場所に戻るつもりは毛頭無いのだ。


バサッ!


 天井に留められているカーテンが勢いよく引かれ、向こう側に立つ葵の姿が現れる。突然の行動に思わず身を起こすダレンの前で、葵は床の上で正座をする。握り拳を膝の上に置いたまま深く頭を下げる。


「悪かった。君をこの町に連れてきてしまったのは、私の過ちだ。心から謝罪する」


 さっきまではかたくなに非を認め無かったのに、まるで別人のように誠心誠意謝っている。


「ダレン君が言った通り、この辺りに明るくないのに無謀むぼうだった。その結果、君にとって好ましくない場所に連れてきてしまった」


「何で急に謝る気になるんだ?」


 広場での葵は、年相応に振舞っていたように感じる。なのに、今、目の前で話す葵は、完全にを抑え込んだように見える。同一人物に見えないほどの変わりように、ダレンは酷く困惑する。

 おかしいだろ。厚顔無恥こうがんむちな子供かと思ったら、滅私めっし棟梁とうりょうに早変わりする。まるで二人の人と話してるみたいだ。普通、そこまで簡単に気持ちを切り替えられるか? それも、自分のことを非難した相手に。大抵、自尊心が邪魔をして謝るなんて出来ない。何よりムカついて無理だ。


「? 私が間違えたのは確実だ。それを分かりながら、過ちを認めないのは愚劣ぐれつだろ? 私は、そんな馬鹿になりたくない」


 頭を上げ、下からダレンを見上げる葵には一切の不満もいら立ちも無い。完全に憤懣ふんまんを消化している。未だに、イライラが胸に残る自分が何だか恥ずかしく感じられる。

 何なんだよ。謝られたら、許さないといけないだろ。俺の内心を置いてけぼりにして。謝られたから、怒りも収めなきゃならない。それがどんなに大変か、あんたには分かんないだろうけど。


「責任を持って君をこの町から連れ出すことを約束するよ」


 俺は、葵と違って簡単に許せる性質たちじゃない。許すためには、対価が必要だ。それが無いといつまでも心にしこりが残る。だから、これは正当な取引だ。


「謝るなら、悪いと思うなら、行動で示せよ」

 

 その自責じせきの念につけ込んでやる。


「俺をあんたの弟子でしにしろよ」


「随分と、大きく出るな」


 正座を崩すことなくダレンを見る。イラつきが一瞬瞳を通り過ぎたが、それ以上とどまることは無い。どうやら、怒りが自責の重さに押しつぶされたようだ。拾っただけの他人にそこまで責任を感じるなんて、まるで理解できない心情だ。そんなんだから、こんな卑しい子供に利用されるんだ。


「良いだろう。だが、足の怪我が完治した後でだ。先に言っておくが、君を殺しかけた余燼よじんほど、私は優しくないぞ」


 そう言うと葵はカーテンの向こう側に消えていった。


 よく言うよ。見ず知らずの子供を身の危険を冒して助けて、医者に見せ、安全な場所に届けようとする奴が。そんな奴が特段優しくなくて、当たり前にそこら辺に居るなら、もっと世界は俺に優しいはずだろが。世界がもっと優しかったら、俺はこんな悪知恵思いつかないはずなのに。

 勢いよく毛布を被り身を隠すようにうずくまった。胸の奥底で頭をもたげた罪悪感を押し込むように。



🔶用語メモ🔶

🔸和灯籠わとうろう

和紙が上面と底面以外の四つの側面に配置され四角柱を創る。その内部に術者のともしびを入れることであかりとなる。ともしびとは、全ての生命が生核内に持つ命の灯のことであり、その色は千差万別である。

🔸闘技祭とうぎさい

バッテルケデスの年に一度の大規模な催し。国内外から猛者を集め、観客の前で死闘を演じさせる。本戦はトーナメント形式で、5回戦目が決勝となる。大会開催二日前から一般枠の予選がある。予選出場者を16のグループに分け、各グループ内で生き残った一人が本戦への出場権利を得る。一般枠16名、シード枠4名。シード枠は、三回戦から参加と優遇されている。シード枠に選ばれる基準は、様々な大会での戦績と所属闘技団のネームバリュー、大会主催者側へのコネである。

🔸余燼よじん

人の心の闇から生まれる魔生の中でも、宿主が死亡時に落誕する存在。宿主が死亡しているため、余燼自身を破壊するだけで完全に消滅させられる。


🔷キャラクターメモ🔷

🔹ビリー

バッテルケデスで開業医を営む。真夜中の広場で言い争いうをしていた葵とダレンを偶然見つけ、親切心から一晩の宿を申し出てくれた。


🔴語句メモ goo国語辞書より引用(小学館大辞泉)

🔴自責じせき:自分で自分の過ちを咎めること。また、自分に責任があると考えること。

🔴罪悪ざいあく:道徳や宗教の教えに背くこと。

🔴独善どくぜん:他人に関与せず、自分の身だけを正しく修めること。自分だけが正しいと考えること。ひとりよがり。

🔴繊月せんげつ:細い形の月。三日月とも。

🔴のきつらねる:軒を接して多くの家がぎっしりと立ち並んでいる。軒を並べるとも言う。軒(ひさし)とは、屋根の下段で、建物の外壁より外に突き出している部分。

🔴仁王立におうだち:仁王像におうぞうのように、いかめしく力強い様相で立つこと。

🔴威勢いせい:言語や動作に活気があること。意気の盛んなこと。人を恐れ従わせる力。

🔴応酬おうしゅう:互いにやり取りすること。また、先方からしてきたことに対して、こちらからもやり返すこと。

🔴疲労困憊ひろうこんぱい:ひどく疲れて苦しむこと。

🔴不憫ふびん:可哀そうなこと。憐れむべきこと。都合が悪いこと。かわいがること。

🔴打診だしん:相手の意向を確かめるために、前もって様子を見ること。

🔴興行こうぎょう:観客を集め、料金を取って演劇・音曲・映画・相撲・見世物などを催すこと。

🔴無謀むぼう:結果に対する深い考えのないこと。

🔴厚顔無恥こうがんむち:厚かましく、恥知らずな様。他人の迷惑など構わずに、自分の都合や思惑だけで行動すること。

🔴滅私めっし:私心を無くすこと。私利私欲を捨て去ること。

🔴棟梁とうりょう:一族、一門の統率者。集団の頭。一国を支える重職。

🔴愚劣ぐれつ:愚かで劣っているさま。馬鹿馬鹿しいこと。

🔴憤懣ふんまん:怒りが分散できずいらいらすること。腹が立ってどうにも我慢できない気持ち。

🔴悪知恵:悪い方面によく働く知恵。

🔴罪悪感ざいあくかん:罪を犯した、悪いことをしたと思う気持ち。

🔴頭をもたげる:隠れていたこと、押さえていたことが、考えや思いに浮かぶ。少しずつ勢力を得て現れてくる。台頭する。

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