二章 野卑闘技

第16話 剣闘士ホリホック

剣闘士けんとうしホリホック


 まず初めは、渇き埃っぽい砂の匂いに鼻がむずつく感覚。鼻の奥に力を入れないとくしゃみが飛び出しそうで集中が途切れそうになる。続いて、割れんばかりの歓声。眼下がんかの勝負に興奮のままに声を上げる。ここまでなら、健全な試合に観客が白熱はくねつしていると思うだろう。残念なことに、大抵の平凡な想像を裏切るのは、命が零れた色。鉄さびの匂いがするその色は、快晴の青空と燦々さんさんきらめく白い太陽とは、不安な調和をする。に染入る命は湿り癒着ゆちゃくした砂を新たな器とする。それも、いずれ雨に流され、深く深くに染入り跡形もなくなることだろう。


 命が容易く消える闘技場のこの地は、際限なく血を求め続ける。


 円形闘技場の中心に立つ小柄な少女は、最小限の布しか身につけず手足はもちろんのこと腹もさらけ出している。粗悪な皮のブーツに、腰を布で覆い、麻のさらしを胸元に巻きつけたいで立ちが彼女が剣闘士であることを示している。剣闘士の服装は、かなりの軽装を求められ、これにはいくつかの理由がある。一つは怪我の有無が分からなければ、勝敗を決められないことだ。八百長やおちょうを防ぐためと考えれば理に適う。誰の目にも明らかに怪我をしていれば、疑う余地がないからだ。二つは、観客は血に熱狂するのだから防具は野暮やぼだそうだ。剣闘士という職業は、観客が観戦のために金を払うことで成り立つ商売だ。つまり、観客の求める需要を供給する限り成立する。嫌な話だが、観客は、闘技場に普段は見られない命のやり取りを見に来る。二人の剣闘士の息をつかせぬ剣劇の応酬おうしゅうに、僅かな油断で絶たれる命への緊張感を味わいに来ている。


 剣闘士の装束しょうぞくを身に着けた少女は、片足に体重をかけた状態で立つ。機敏きびんに動くために、腰を落とすこともしない。どこか気の抜けた立ち姿で剣を片手に握る。剣先が地面擦れ擦れまで下げられた剣は、さびに塗れ、まともに用途を果たせるのか疑問に思うほどに劣等れっとうさまだ。


「すぅー……はー」


 息を吸い込むと肩が上がり、吐き出すと下がる。二三度繰り返す。吸い込んだ乾いた空気に肺を満たす蒸し暑い憤懣ふんまんを逃がすことに少女は注力している。彼女にとってこの場は好ましくないらしい。赤く湿った土を踏みしめる革靴から素足に不快な湿り気が伝わり、嫌そうに眉間に皺が寄る。すると一際、明瞭な声がその思考を遮る。


「さあさ! バッテルケデス闘技場にお越しの皆様方! お待ちかね! 新進気鋭しんしんきえいの女剣闘士ホリホックだ! 初戦で見事な戦いぶりを見せた彼女は、二回戦も一撃で相手を倒すのかぁ⁈ 可憐なる乙女に相対あいたいする相手は、身長2.5mの大男! 巨漢のロブ! これまで対戦相手を尽く再起不能にしてきた戦鎚せんつい餌食えじきがまた一人増えるのかぁ!」


 実況の紹介に、巨漢のロブは丸太くらい太い両腕で力こぶを作り雄たけびを上げる。観客はさらに興奮を高め、歓声を上げる。


「ロブ! 今日も相手の頭勝ち割って見せろよ!」


「あんたに、一か月の給金賭けちまったんだ! 負けやがったら許さねーぞ!」


「ロブ様ぁ! あんな小枝娘、軽くひねっちゃてよぉ」


 幾人かが巨漢のロブに声援を送れば、幾人かが競うようにホリホックに声援を送る。


「ホリー! デブ野郎に負けんな! また痛快つうかいな戦いを見せてくれ!」


「ホリーちゃーん! 女だって負けてないってところ知らしめちゃってぇ!」


「ぶっ倒せ! ホリー!」


 少女の内情を知りもしない観衆は、場の雰囲気に飲まれるままに騒ぎ立てる。耳に届く声援も罵声ばせいもどれもが神経を逆なでする。いら立ちを鎮めるために繰り返す深呼吸が意味を無くしていく。ついには、諦め、瞳を見開く。虹彩は、鋭い灰色。鏡の瞳には、くっきりと相手の姿が映る。歓声に酔いしれ、興奮した神経では、正しく相手を見極めることは、もはやできまい。


 ガンガンと打ち鳴らされる銅鑼どら。低く体の中心を振るわせる音が死闘の始まりを告げる。けたたましい音に紛れ、正面から巨体が駆け寄る。金物の音に遮られ、足音は聞こえないが、踏みつける振動が地面から届く。走るロブは、大きく両手を振り上げる。その手には、頑強がんきょうな戦鎚が握られている。柄の頭に直角に接合された鉄の塊。一方は、平たく打ち付けることに特化している。他方は鋭利な円錐構造を成す。今は、平たい面が少女の頭に向けられている。どうやら、そのままかち割るつもりらしい。


 ロブは、少女がたじろぎもしないのは怖気づき身を守る行動すらもとれないのだとほくそ笑む。一思いに終わらせてやろうと肩に力を入れ、全力で打ち下ろす。頭蓋骨が割れる鈍い音が聞こえる。続けざまに、自身の足に生ぬるい液体がかかる。それが、いつものお決まりだ。


キーーーーン


 お約束が破綻はたんする強烈な叫びが歓声にかき消されることなく、響き渡る。叫んだのは、劣等な錆びた細身の剣。鼓膜を鋭く裂く音色に、大男は胸を突き刺されたかと慌てて胸を押さえた。片手は、振り下ろしたままの戦鎚を握ったまま。強く抑えた胸は、脈動を続け、まだ生きていると教える。ひとまず胸を撫でおろした男は、何が起きたのか知るため自身の戦鎚に目をやる。特注の相棒は、自分の体格に合わせ平均より二回り以上巨大にあつらえ、打ち付ける金属部は人の頭以上の大きさである。木製の柄に施してあるのは細かな意匠。自身が所属する闘技団の紋章が彫り込まれている。一見何の変哲へんてつもない。ずっしりとした重みを伝え…………? 指の腹と柄の接触面がこそばゆいことに初めて気づく。なんだと指先に意識を集中させる。すると、柄が小刻みに揺れている。あまりに微小な震えのせいで今まで分からなかった。震えの元は何かと戦鎚の平側の方をのぞき込む。


 その光景にロブは絶句した。


 粗悪な剣が僅かなたわみもなく鉄塊を押し支えている。しかも、その剣は小枝のような片腕に握られている。この重量を支えるだけの筋力を見て取ることが出来ない細い腕。何故、軟弱なはずの腕で耐えられるのか?と困惑していると自身の鼓膜がなおも甲高い叫びに刺されているのを感じた。キーンという音が細い針となって脳に差し込まれる感覚に思わず飛びのく。そのまま数歩あとずさりして距離を稼いだ。

 離れる相手を追わず、支える物を失ってもなお腕を高く上げたまま少女は気だるげに立っている。ロブは、得体のしれない相手と対峙しているのだと漸く気付かされた。見た目に反する実力。それは、理を凌駕りょうがしていることと相違ない。一介の剣闘士である男だが、常人よりは、危機察知に優れているようだ。不安を押し殺し、やみくもに突っ込もうとはしない。それどころか、どのように無難ぶなんに負けようかと考え始めていた。それほどに、相手の立ち振る舞いは、戦士としての格を見せつけていた。

 同様に、審判の一人は、その異常さを感じ取っていた。少女の後ろ側にいる彼からは、錆びた剣の切っ先が戦鎚の打撃面に刺さっている様子が明瞭に見えていたのだ。しかし、それはおかしいのだ。なぜなら少女が振るう剣は、闘技場からの貸し出し品で、まともに肉すら切れない不良品だからだ。その劣悪品が、少女が手にすることで一流の武器に変容していたのだ。


「おい、じょーちゃん。どうやってそんな力つけたんだ?」


 ロブは、打ち倒された後では聞けない疑問を今のうちに尋ねておこうと話しかける。


「そんなん修練以外に何があるっての」


「本気か? 12、13歳にしか見えないが、その若さでたどり着ける領域かよ」


 少女の力には、何か裏があるのではないかと勘繰かんぐらずにはいられない。


「失礼だな。これでも15歳だわ」


「あんま変わんねーよ」


 にしても…………本当に努力のみで、成人にも満たない若者が到達できる境地きょうちか? 一瞬、武器を交えただけで、十分に分かった。俺との力量差は、ハッキリ言って大人と子供のそれだ。マジででどうなってんだ。見た目と実力が比例しないなんて何かあるとしか思えない。


「なあ、じょーちゃん。まさか、選民せんみんか?」


 選民。それは、神に選ばれし人間を指す言葉。この質問から男が明らかにしたい疑問は、『神から授けられた何かがあるのか?』ということだ。『神の力を収めた器』か、『神からくわえられた護り』か、その両方を持つのか?

 その問いかけに少女は、無言を貫いた。数秒間待ったが、答えるつもりがないのだとロブは諦めた。

 いつまでも再開されない戦いに観客から野次が飛び始める。


「おい! 早く戦え! いつまで待たせんだ!」


「金払ってんだぞ! 早く殺し合え!」


 ついには、果物の皮などのゴミが投げ入れられる。


「全く、お客様には困ったもんだ」


「様付けするべきか?」


「じょーちゃんは、流れ者だからな。俺みたいに闘技団所属の奴らにとっちゃ、おまんま食わせてくれる神様に違いねーからな」


 ロブは、戦鎚の円錐部を正面に持ち替える。


「なあ、一つ頼みを聞いちゃくれねーか? 本気出せとは、言わねーが、もうちょっとそれらしく振舞ってくれよ。じゃなきゃ俺がすんごく弱く見える。このままだと、仕事も無くなっちまうくらいにな」


「いいよ。こっちも我慢できないから早く終わらせたい」


 剣先をロブの頭に向けるように構える。


「外野から見て、そっちの落ち度に見えないようにかつよ」


 少女の一言が合図となる。ロブは、再び正面から駆け寄り、戦鎚を振り下ろす。今回は円錐の棘が向けられている。少女は、再び片腕で剣を突き出す。寸分の狂い無く、棘の中心に合わさる。すると、どういうことか。戦鎚は、木製部の柄を残して砕け散ってしまった。


 ロブは、「そういうこっちゃ無いんだがなー」と哀れな木の棒だけになった相棒を片手につぶやいた。


「なんだ? 武器が無くなっての敗北は、不名誉とはならんだろ?」


 ロブは、打って、躱して、斬って、躱してのそれっぽい死闘の演出を期待していたんだと言いたいが、もう今更だ。

 不満げな男の顔を不思議そうに見ていた少女は、何かに思い当たったのか、おもむろに地面に落ちていた割れた盾に歩み寄る。直前の試合で持ち主を守る役目を果たせなかった哀れな盾だ。少女は、ロブと盾を間に挟んで向き合う。盾の縁を勢いよく踏み抜き、反動で高く浮き上がらせる。くるくると回転しながらまっすぐ落下する盾を、上半身を後ろに倒し上がった足で前方斜め上に狙いを定めて蹴りだす。薄い革靴越しに木の盾が打撃に対して独特の鈍くスカスカした振動を伝えると目測通りの地点へ吹っ飛んでいく。スコーンと思いの他、軽い音が大男の頭から鳴る。

 ロブは、薄れる意識の中「それでも無いんだよなー」と思いながら、仰向けに倒れた。再び銅鑼が打ち鳴らされ、試合の終了を教える。


「よくよく考えてみれば、武器が無くても殴り掛かれるんだから、戦闘不能とはならないわな。いい案だと思ったんだけどな~」


 少女は、昨日教えられた勝敗の規定を思い返す。相手が死亡、若しくは戦闘不能となったところで勝敗が決する。てっきり、武器が無くなれば良いと思ったのは勘違いだったようだ。今後の試合のためにも、もう一度自分の認識が正しいのか確認を取らなければと思い巡らす。

 二度目の対戦でも無血勝利を収める新顔に会場内は熱狂に包まれた。その声援を無いものとし、少女は足早に入場口に戻る。突然、立ち止まると両手で顔の中心を押さえる。


「はっくっしゅん!…………あー、我慢できなかった」


 鏡の瞳に濃紅の髪の少女は、ズルズルと鼻をすすり、門を潜った。



🔸用語メモ🔸

🔸剣闘士

闘技場で戦う戦士。観客への見世物として戦うことが仕事である。死亡率は、各町の闘技場や大会で異なる。

🔸バッテルケデス

闘技の町として有名な皇国の西にある都市。ラントから東に徒歩で三日に位置する。闘技場の興行が街の主な収入源となっており、年に一度の闘技祭りでは、皇国中の富裕層が観戦に来る。

🔸加護

神からくわえられた護り。皇国において、加護を持つのは、皇神に選ばれた人間。加護は、人知を超えた力を授かった者に与え、その種類は無数だと言われている。しかし、実際の保有者は皇国人口の1%にも満たない。

🔸神器

神の力が収められた器。この世の理を逸脱する力を持つ。初代啓皇けいおうが皇神から地上を治める正当な民族の証として神授しんじゅしたと伝えられてる。現在、多くの神器が国外へ行方不明となっており、聖警士はこれらを集めることも任務の内となっている。


🔷キャラクターメモ🔷

🔷ホリホック

新人の女剣闘士。錆びた粗悪な剣を闘技場から借りている。初戦も二戦目もたった一撃で相手を打ち倒し続けている。鏡の瞳と濃紅の髪をしている。

🔷巨漢のロブ

バッテルケデスでは、それなりに実力を認められた剣闘士。戦鎚の使い手で、豪快に頭を割る戦い方が人気。


🔴語句メモ goo国語辞書より引用(小学館大辞泉)

🔴眼下がんか:見下ろした辺り一帯。

🔴白熱はくねつ:雰囲気・感情などが極度に熱を帯びた状態になること。高温に熱せられた物体が白色光に近い光を出すこと。また、その状態。セ氏1300度以上に熱した場合などにみられる。

🔴燦々さんさん:太陽などが明るく光り輝くさま。彩りなどの鮮やかで美しいさま。

🔴癒着ゆちゃく:本来は分離しているはずの臓器・組織面が、外傷や炎症のために、くっつくこと。好ましくない状態で強く結びついていること。

🔴さらし:漂白した麻布または綿布。晒し布。

🔴八百長やおちょう: 勝負事で、前もって勝敗を打ち合わせておいて、うわべだけ真剣に勝負すること。なれあいの勝負。

🔴野暮やぼ:人情の機微に通じないこと。わからず屋で融通のきかないこと。また、その人やさま。無粋 (ぶすい) 。言動や趣味などが、洗練されていないこと。無風流なこと。また、その人やさま。無骨。

🔴応酬おうしゅう:互いにやり取りすること。また、先方からしてきたことに対して、こちらからもやり返すこと。

🔴装束しょうぞく:衣服を身に着けること。装うこと。また、その衣服。装い。いでたち。

🔴機敏きびん:時に応じてすばやく判断し、行動すること。また、そのさま。

🔴劣等れっとう:等級・程度などが水準より劣っていること。また、そのさま。

🔴憤懣ふんまん:怒りが発散できずいらいらすること。腹が立ってどうにもがまんできない気持ち。

🔴新進気鋭しんしんきえい:その分野に新しく現れて、勢いが盛んであること。また、その人。

🔴戦鎚せんつい:ウォーハンマー。打撃用武器。つちをより武器に適した形に作り替えたもの。※引用元無し

🔴餌食えじき:動物のえさとして食われる、命あるもの。野心や欲望のための犠牲となるもの。くいもの。食物。食料。

🔴痛快つうかい:たまらなく愉快なこと。胸がすくようで、非常に気持ちがよいこと。また、そのさま。

🔴銅鑼どら:打楽器の一。青銅などでできた金属製円盤を枠につるし、ばちで打ち鳴らす。ゴング。

🔴頑強がんきょう:がっしりとして丈夫なさま。

🔴たじろぐ:相手の勢いに圧倒されて、ひるむ。しりごみする。ひけをとる。劣る。

🔴怖気おじけづく:恐ろしいという気持ちになる。恐怖心がわいて、ひるむ。

🔴ほくそ笑む:うまくいったことに満足して、一人ひそかに笑う。

🔴破綻はたん:破れほころびること。 物事が、修復しようがないほどうまく行かなくなること。行きづまること。

🔴あつらえる:自分の思いどおりに作らせる。注文して作らせる。

🔴意匠いしょう:絵画・詩文や催し物などで、工夫をめぐらすこと。趣向。 美術・工芸・工業製品などで、その形・色・模様・配置などについて加える装飾上の工夫。デザイン。

🔴変哲へんてつ:普通と変わっていること。違っていること。また、そのさま。

🔴凌駕りょうが:他をしのいでその上に出ること。

🔴無難ぶなん:危険のないこと。また、まちがいのないこと。また、そのさま。無事。欠点のないこと。特にすぐれているわけではないが、格別の欠点も見当たらないこと。また、そのさま。

🔴修練しゅうれん:人格・学問・技芸などが向上するように、心身を厳しく鍛えること。

🔴勘繰かんぐる:あれこれ気を回して悪い意味に考える。邪推する。

🔴境地きょうち:その人の置かれている立場。ある段階に達した心の状態。 芸術などの、分野・世界。場所。土地。環境




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る