二章 野卑闘技
第16話 剣闘士ホリホック
まず初めは、渇き埃っぽい砂の匂いに鼻がむずつく感覚。鼻の奥に力を入れないとくしゃみが飛び出しそうで集中が途切れそうになる。続いて、割れんばかりの歓声。
命が容易く消える闘技場のこの地は、際限なく血を求め続ける。
円形闘技場の中心に立つ小柄な少女は、最小限の布しか身につけず手足はもちろんのこと腹もさらけ出している。粗悪な皮のブーツに、腰を布で覆い、麻の
剣闘士の
「すぅー……はー」
息を吸い込むと肩が上がり、吐き出すと下がる。二三度繰り返す。吸い込んだ乾いた空気に肺を満たす蒸し暑い
「さあさ! バッテルケデス闘技場にお越しの皆様方! お待ちかね!
実況の紹介に、巨漢のロブは丸太くらい太い両腕で力こぶを作り雄たけびを上げる。観客はさらに興奮を高め、歓声を上げる。
「ロブ! 今日も相手の頭勝ち割って見せろよ!」
「あんたに、一か月の給金賭けちまったんだ! 負けやがったら許さねーぞ!」
「ロブ様ぁ! あんな小枝娘、軽くひねっちゃてよぉ」
幾人かが巨漢のロブに声援を送れば、幾人かが競うようにホリホックに声援を送る。
「ホリー! デブ野郎に負けんな! また
「ホリーちゃーん! 女だって負けてないってところ知らしめちゃってぇ!」
「ぶっ倒せ! ホリー!」
少女の内情を知りもしない観衆は、場の雰囲気に飲まれるままに騒ぎ立てる。耳に届く声援も
ガンガンと打ち鳴らされる
ロブは、少女がたじろぎもしないのは怖気づき身を守る行動すらもとれないのだとほくそ笑む。一思いに終わらせてやろうと肩に力を入れ、全力で打ち下ろす。頭蓋骨が割れる鈍い音が聞こえる。続けざまに、自身の足に生ぬるい液体がかかる。それが、いつものお決まりだ。
キーーーーン
お約束が
その光景にロブは絶句した。
粗悪な剣が僅かな
離れる相手を追わず、支える物を失ってもなお腕を高く上げたまま少女は気だるげに立っている。ロブは、得体のしれない相手と対峙しているのだと漸く気付かされた。見た目に反する実力。それは、理を
同様に、審判の一人は、その異常さを感じ取っていた。少女の後ろ側にいる彼からは、錆びた剣の切っ先が戦鎚の打撃面に刺さっている様子が明瞭に見えていたのだ。しかし、それはおかしいのだ。なぜなら少女が振るう剣は、闘技場からの貸し出し品で、まともに肉すら切れない不良品だからだ。その劣悪品が、少女が手にすることで一流の武器に変容していたのだ。
「おい、じょーちゃん。どうやってそんな力つけたんだ?」
ロブは、打ち倒された後では聞けない疑問を今のうちに尋ねておこうと話しかける。
「そんなん修練以外に何があるっての」
「本気か? 12、13歳にしか見えないが、その若さでたどり着ける領域かよ」
少女の力には、何か裏があるのではないかと
「失礼だな。これでも15歳だわ」
「あんま変わんねーよ」
にしても…………本当に努力のみで、成人にも満たない若者が到達できる
「なあ、じょーちゃん。まさか、
選民。それは、神に選ばれし人間を指す言葉。この質問から男が明らかにしたい疑問は、『神から授けられた何かがあるのか?』ということだ。『神の力を収めた器』か、『神から
その問いかけに少女は、無言を貫いた。数秒間待ったが、答えるつもりがないのだとロブは諦めた。
いつまでも再開されない戦いに観客から野次が飛び始める。
「おい! 早く戦え! いつまで待たせんだ!」
「金払ってんだぞ! 早く殺し合え!」
ついには、果物の皮などのゴミが投げ入れられる。
「全く、お客様には困ったもんだ」
「様付けするべきか?」
「じょーちゃんは、流れ者だからな。俺みたいに闘技団所属の奴らにとっちゃ、おまんま食わせてくれる神様に違いねーからな」
ロブは、戦鎚の円錐部を正面に持ち替える。
「なあ、一つ頼みを聞いちゃくれねーか? 本気出せとは、言わねーが、もうちょっとそれらしく振舞ってくれよ。じゃなきゃ俺がすんごく弱く見える。このままだと、仕事も無くなっちまうくらいにな」
「いいよ。こっちも我慢できないから早く終わらせたい」
剣先をロブの頭に向けるように構える。
「外野から見て、そっちの落ち度に見えないように
少女の一言が合図となる。ロブは、再び正面から駆け寄り、戦鎚を振り下ろす。今回は円錐の棘が向けられている。少女は、再び片腕で剣を突き出す。寸分の狂い無く、棘の中心に合わさる。すると、どういうことか。戦鎚は、木製部の柄を残して砕け散ってしまった。
ロブは、「そういうこっちゃ無いんだがなー」と哀れな木の棒だけになった相棒を片手につぶやいた。
「なんだ? 武器が無くなっての敗北は、不名誉とはならんだろ?」
ロブは、打って、躱して、斬って、躱してのそれっぽい死闘の演出を期待していたんだと言いたいが、もう今更だ。
不満げな男の顔を不思議そうに見ていた少女は、何かに思い当たったのか、おもむろに地面に落ちていた割れた盾に歩み寄る。直前の試合で持ち主を守る役目を果たせなかった哀れな盾だ。少女は、ロブと盾を間に挟んで向き合う。盾の縁を勢いよく踏み抜き、反動で高く浮き上がらせる。くるくると回転しながらまっすぐ落下する盾を、上半身を後ろに倒し上がった足で前方斜め上に狙いを定めて蹴りだす。薄い革靴越しに木の盾が打撃に対して独特の鈍くスカスカした振動を伝えると目測通りの地点へ吹っ飛んでいく。スコーンと思いの他、軽い音が大男の頭から鳴る。
ロブは、薄れる意識の中「それでも無いんだよなー」と思いながら、仰向けに倒れた。再び銅鑼が打ち鳴らされ、試合の終了を教える。
「よくよく考えてみれば、武器が無くても殴り掛かれるんだから、戦闘不能とはならないわな。いい案だと思ったんだけどな~」
少女は、昨日教えられた勝敗の規定を思い返す。相手が死亡、若しくは戦闘不能となったところで勝敗が決する。てっきり、武器が無くなれば良いと思ったのは勘違いだったようだ。今後の試合のためにも、もう一度自分の認識が正しいのか確認を取らなければと思い巡らす。
二度目の対戦でも無血勝利を収める新顔に会場内は熱狂に包まれた。その声援を無いものとし、少女は足早に入場口に戻る。突然、立ち止まると両手で顔の中心を押さえる。
「はっくっしゅん!…………あー、我慢できなかった」
鏡の瞳に濃紅の髪の少女は、ズルズルと鼻をすすり、門を潜った。
🔸用語メモ🔸
🔸剣闘士
闘技場で戦う戦士。観客への見世物として戦うことが仕事である。死亡率は、各町の闘技場や大会で異なる。
🔸バッテルケデス
闘技の町として有名な皇国の西にある都市。ラントから東に徒歩で三日に位置する。闘技場の興行が街の主な収入源となっており、年に一度の闘技祭りでは、皇国中の富裕層が観戦に来る。
🔸加護
神から
🔸神器
神の力が収められた器。この世の理を逸脱する力を持つ。初代
🔷キャラクターメモ🔷
🔷ホリホック
新人の女剣闘士。錆びた粗悪な剣を闘技場から借りている。初戦も二戦目もたった一撃で相手を打ち倒し続けている。鏡の瞳と濃紅の髪をしている。
🔷巨漢のロブ
バッテルケデスでは、それなりに実力を認められた剣闘士。戦鎚の使い手で、豪快に頭を割る戦い方が人気。
🔴語句メモ goo国語辞書より引用(小学館大辞泉)
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🔴たじろぐ:相手の勢いに圧倒されて、ひるむ。しりごみする。ひけをとる。劣る。
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🔴ほくそ笑む:うまくいったことに満足して、一人ひそかに笑う。
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