第15話 気心

気心きごころ


 爛々らんらんと一際鋭く輝く瞳に、鷹の前の雀のように震駭しんがいすることも出来ない。その上、見えざる手に喉元を締められているのかと疑いたくなるほどに、息苦しい。けれども、何も首など触れていない。肺は、確かに空気を吸い込み、吐き出している。では、何故窒息しそうな心地なのか? それは、二人を取り巻く空間を満たすあらゆる物質が、少女の器に閉じ込められた由々しい存在に怯え、逃げ惑っているからであった。特に、ほとんどの生物が必要とする酸素が退避したからであった。酸欠ゆえの眩暈めまいに、鍛え上げられた肉体でも立ち続けることは出来なかった。

 クラリと後方へ傾く体をぎょっと顔色を変えた少女が弾かれるように腕を掴み前に引き戻す。同時に、それぞれの手から離れた白い片刃の神器と紋所が水面に落ち水しぶきを上げる。


「ちょ! 大丈夫?」


「すいません。少し眩暈が」


 返事をするも、たまらず片膝を付き、頭を深く下げる。ついた膝を水がしみしみと昇るのを目にしながら、深呼吸を繰り返す。同時に、周囲の空気は、災難が去ったとでも言わんばかりに、何食わぬ顔で元居た空間に戻りつつあった。リアトリスは一呼吸のたびに苦しさが引いていくのを感じていた。意識が徐々に明瞭めいりょうになり、さっきは何が起きていたのかと思考しようとするが、再び意識が解かれるのを感じ諦めた。


「ねえ、本当に大丈夫?」


「はい。少し立ち眩みがしただけです。お心遣いありがとうございます」


 はたから見れば奇妙なやり取りだ。かたや罪人を連行する聖警士せいきょうしかたや連行される極悪人。二人の立場とこの会話は、あまりにも不適で万人の笑いを誘う滑稽こっけいな演目のようだ。


「体調悪いところ申し訳ないんだけどさ、私にまつわる話はこんなところで終わりにしない? 人工魔生の話がしたいんだけど? 私がどこのどちらさんかを、自分の立場が危険に曝されることを知りながら、明かした。これは、誠実さの証明にならない?」


 さらに、滑稽度合いが増した。道化どうけが自身の運命を左右する者の前で気ままに振舞い続けている。リアトリスは、片膝を付き首を垂れたまま少女の話を聞いていた。

 

「これでも、あたしが上げた情報は証拠能力無い? あ! 念押しだけど、私の素性と関連付けるのは無しだよ。さっき、君も認めてたでしょ? この件の発端に無関係だって」


 もともとは、提供された数々の情報(記憶紙)に証拠能力があると裏付けるために、少女は自らの素性を明かし、自身の誠実さを示すのが目的であった。まあ、その素性が全てを吹き飛ばすくらい衝撃的で、本来の目的から逸れてしまったのは許して欲しいものである。

 自らの誠実さを示すために自身への不利益を許容した振る舞い。それも自分の命を捨てるような不利益だ。そんな行いを出来る人が何人いるだろうか? 赤の他人のために。誠実を越えて、至誠しせいではないか?

 リアトリスは、流水に浸される白い刀と黒塗りの紋を見ていた。鞘の上に黒い紋所が重なり、互いの色の対比が鮮明だ。白黒はっきりさせたがる持ち主に似たのか、その逆か。逸れた考えにごく小さく、くすりと笑う。

 刀と紋所を手に立ち上がり、純粋に気になったことを尋ねる。


「なぜ、他人のために、そこまでするのですか?」


 旅人である彼女にとって、通りすがりの町の知りもしなかった子供のために、どうして身を危険に曝す行為をするのか? 不思議でならなかった。


「あのさ、私の問いに答えないで、なんでそっちが聞くのかね? 普通、問われたら答えて、それで自分も尋ねて、答えてもらうもんでしょうが。違う?」


 大いに不満だと主張する相手に、確かにそうだと思う。答えてもらうためには、どんな方便ほうべんを駆使しようかと思案し、言葉にしていく。


「ええ、そうですね。では、私が今からする質問に対する答えで、貴方への答えを決めましょう。ですから、お答え願います」


 未だ納得いかない表情を浮かべたままだったが、押し黙ったのでリアトリスは了承したと判断し、再び問いを投げかける。


「どうして、ご自身をないがしろにするのですか?」


「変な質問だな。それに、さっきの質問と違うじゃん」


「いいえ。同じですよ。ご自身でそう感じていなくても、私にはそう見えたのです」


「あっそ…………言い直した質問は的外れだから答えないよ。理由は一つだ。私のためさ。私は、どうにも御節介おせっかい性質たちでね。気にかかることがあると放っておけない。一つでも何か心残りがあるとで居られない。だから、首を突っ込むのは私自身のためなのさ」


 自身に指をさしながら少女は、にんまりと答える。


「はっきり言うと、私の成すことすべては、全部が全部、私個人のためさ。他人のためにしたことなんて一度も無い。まあ、口では誰かのためって言ってるときもあるけどね」


 さらに付け足し、自己本位じこほんいをあけっぴろげに話す。


「次の質問は?」


 腕を組み、さっさと聞けと言いたげな尊大な態度で促す。


「はい。ラントから北東に位置するローパと言う村を知っていますか?」


「いやー、土地勘は全くないから。私が知りもしない村のことで何が聞きたいわけ?」


 リアトリスは、村で落誕が確認されたこと、自身の隊が追跡したが下流の河川で見失ったこと、道指し鳥が川原の一か所を執拗しつように示したこと、消滅時に残る煤汚れが確認できなかったことを伝える。


「先ほど、貴方が魔生を倒した時のように、塵一つ残っていなかったのです。何かご存じありませんか?」


「尋ねる必要ある? もう自分の中で答えが出てるのに、時間の無駄でしょうが」


 つっけんどんな返しをしたかと思えば、「あ」と何かを思い出したように狼狽うろたえる。


「あ! いかん! そうだった! バタついててすっかりすっぽ抜けてた。いかんいかん」


 あわあわと腰もとに手を添えるが、また思い出したという様子でぎぎぎっと顔をリアトリスに向ける。


「一瞬でいいから、その、刀返してくれない? ほんとに、逃げたりしないから。その証拠に、鞘は持ったままでいいから」


 気まずげに人差し指同士をくっつけたり離したりを繰り返す。なんだかもう可笑しくて、噴き出すのを堪えながら、リアトリスは神器を手渡す。少女は、ばつが悪そうな表情で受け取ると刀を抜き、素直に鞘を返す。切っ先を水面に浸し、言霊ことだまを唱える。再びいくつかの画が浮かび上がり水面に漂う。


「コホン。えーと、では気を取り直して。ローパ村だっけか? その村についても提供できる情報があります」


 新たに浮かび上がった画は三枚。一枚目、真っ白な石膏せっこうの面をつけ、黒に近い紫のマントに身を包んだ者たちが家屋に火を付けて回る。二枚目は、広場に引きずり出された大人たちが首を切られ、焚火にくべられている。三枚目には、数珠じゅずつなぎにされた三人の子供が見える。


「これは、余燼よじんの内側にあった記憶紙。見るからに事件性バリバリだったから、ついでに話そうと思ってたんだけどね。うっかりしてた」


 落誕した魔生が余燼であったことを言い当てられ、やはり彼女が関わっていたのかと納得する。


「この子供たちは―」


「男の子二人に、女の子一人。大体、7つか9つかそこらかな? 戸籍でも調べたら分かるでしょ? この子たちの捜索もお願いしたいんだけど、よい?」


 男児の一人は、体格も良く気性も荒そうで石膏面の一人に蹴りを食らわせている。女児は、呆然と燃え盛る焚火を見つめ、もう一人の細身の男児が泣きべそをかきながらも寄り添っている。


「私は、皇国の聖警士ですよ。自国民の保護も職務に含まれます。必ず見つけ出しますよ」


「そりゃあ心強い」


 他にも、花畑に埋められた遺体や真新しい墓石についても尋ねたかったが、それこそ時間の無駄だと思いなおす。これまでのやり取りで彼女の人となりは理解した。これ以上、煩わせるとへそを曲げ、何も答えなくなりそうだ。その代わりに、聖警士としては正しく無いだろうが、アラスター・リアトリス個人としては言うべきであると意を決して伝える。


「貴方の行いには、心より感謝を申し上げます。皇教では、余燼を生み出した魂は、その余燼が消えるまで天の国に受け入れられないと言われます。貴方のおかげで、彼ら、彼女らは、救われたでしょう」


 倒すべき悪に感謝を述べるなど、他の聖警士に見咎みとがめられるだろう。それで構わないと思う。この言葉は、恥ずべきものではないと迷い無く言える。


「言ったでしょ。私のすることは、全部自分のためだって。感謝されることじゃないの」


 少女は、なおも腕を組んだまま答える。感謝が欲しくてやったことではないと示すように。


「それでも、貴方の行いが彼らを救ったことには変わりがありませんので」


 リアトリスは、返された鞘を再び少女に手渡し、次の問いを投げかける。


「どうして私に素性を明かしたのですか?」


「また、可笑しな質問。そもそも、聞いたのはそっちでしょう」


 渡された鞘に刀を納めつつ、訳が分からないと言いたげだ。


「そうですね。言い方を変えます。とは、どういった意味だったのでしょうか?」


 紋所を取り出す直前に言った言葉である。


「ああ。あれは…………君みたいな奴でもを抱いてはダメなのか?って問いの答えを出すため。まだ答えは出てないけどね」


 少女は、目を伏目がちに横に流す。遠い日々を思い出すように。


「それはつまり、私を試したと言うことですね?」


「君が、今私にしてることと同じだろう?」


 リアトリスは、幾つかの問いの答えで少女への答えを決めようとしていた。つまり、証拠を採用するか否かを。同様に、少女も何を目的としてかは、あずかり知らぬが、リアトリスを試していると言う。


「僅かな期待とは、具体的にどのような意図が含まれていると?」


「人って、自分が属する社会の常識を基に価値観を形成するじゃない。すると他の社会の価値観と衝突する時があるでしょう? その時に、『あちらさんは、そうなんだ』って受け入れられるのか? それとも、けしからんと攻撃するのか? それを知りたいのさ」


 朱山家は、私欲に溺れた末に皇神を裏切り、破滅をもたらす悪に鞍替くらがえしたと伝えられている。その認識は、皇国の一般常識だ。リアトリス自身も例に漏れず、朱山家だけでなく、治める日方の国も悪と信じている。


「特に、そのけしからんことが、自分の信じてきたものを真っ向から否定する時。どんな風に振舞うのか? 知りたかった」


 しかし、その公然たる事実が自分の中で覆されつつあるのを感じていた。それは、硬貨の表裏をひっくり返すような転瞬てんしゅんではなく、銅像から埃よけの布をもったいぶった手つきでじわりじわりと引き下ろすような緩慢かんまんな時間をかけた切言せつげんだった。


「以前の自分を否定することであろうとも、受け入れられるといいなぁって期待してんの…………ところで、私は、君が思い描いていた粛清すべき偶像ぐうぞうと相違ないか?」


 ぴんと立てた人差し指は、少し反りながら少女自身の顔に向けられる。今までで一番、優しい眼差しで、柔和な笑みで問いかけた。目を合わせると心まで見透かされると咄嗟とっさに両目を閉じ、尋ねる。


「…………最後の質問です。私は、貴方を連行すべきですか?」


 見当違いも甚だしい。滑稽もここまで極められるのかと言いたくなるほどに可笑しな問いだった。犯人に貴方を捕まえるべきかと尋ねる警察が居ようか? けれども、緋桜は、先ほどまでのぞんざいな返しはしなかった。鞘に納めた刀を突きだし告げた。


「君の目で判断しなよ。誰かの弁舌べんぜつじゃなく、君自身の耳で聞いたことを、目で見たことを、君自身の心で感じたことを、基に君が決めればいいだろう? 君は、自分でモノを考え、決めることが出来るんだからさ」


「…………ふ、ふふ。はっはっはっはっは!」


 静かな水の檻に少年のような無邪気な笑い声が響く。

 

「ええ。そうですね。まったく弱りました」


 この日。忠実な聖警士が一人。仁義じんぎある愚行ぐこうを犯し、かつての自分に疑いを抱いた。



🔴語句メモ goo国語辞書より引用(小学館大辞泉)

🔴気心きごころ:その人が本来持っている性質や考え方。

🔴震駭しんがい:驚いて、ふるえあがること。

🔴明瞭めいしょう:はっきりしていること。また、そのさま。

🔴道化どうけ:を笑わせるようなこっけいな身ぶりや言葉。また、それをする人。

🔴誠実:私利私欲を交えず、真心をもって人や物事に対すること。また、そのさま。

🔴至誠しせい:きわめて誠実なこと。また、その心。まごころ。

🔴方便ほうべん:人を真実の教えに導くため、仮にとる便宜的な手段。 ある目的を達するための便宜上の手段。

🔴御節介おせっかい:出しゃばって、いらぬ世話をやくこと。また、そういう人や、そのさま。

🔴自己本位じこほんい:物事を自分中心にして考えたり、行ったりすること。

🔴尊大そんだい:威張って、他人を見下げるような態度をとること。また、その様。高慢。横柄。

🔴狼狽うろたえる:不意を打たれ、驚いたり慌てたりして取り乱す。狼狽ろうばいする。

🔴見咎みとがめる:悪事や欠点などを見てそれを非難する。また、見て不審に思い問いただす。見つける。また、見てそれと知る。

🔴偶像ぐうぞう:木・石・土・金属などで作った像。神仏をかたどった、信仰の対象となる像。あこがれや崇拝の対象となるもの。

🔴転瞬てんしゅん:瞬きをすること。また、瞬きをするほどの短い時間。

🔴緩慢かんまん: 動きがゆったりしてのろいこと。また、そのさま。

🔴切言せつげん:相手のために熱心に説くこと。厳しく言うこと。また、その様。

🔴弁舌べんぜつ:ものを言うこと。また、ものの言い方。話しぶり。

🔴仁義じんぎ:道徳上守るべき筋道。他人に対して欠かせない礼儀上の務め。

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