第14話 金色日華紋

金色日華紋こんじきにっかもん


 空気が重みを増したのは、湿気の所為か、相手の心の変化の所為か? 

 それとも、私自身の心境の変化のためなのか? 


 答えのない問いを考えるときは、昔のことを思い出す癖がある。今も、在りし日を思い出していた。日方の国で外を見ずに生きてた頃。侍者じしゃ達のいさめの言葉を聞き流していた頃。


『いいかい? 外の彼らにとって、は世を滅ぼす悪の末柄。君が何をしても、その考えは改められない。僅かな期待もしてはいけないよ』


 薄い藤色の唇から羽衣はごもろのように柔らかい音が紡がれる。その音が作る言葉は、いつも優しく言い聞かせてきた。日没間際の空を思わせる不思議な瞳は好きだった。甘味を一緒に食べてくれるのも好きだった。優しく頭を撫でてくれるのも好きだった。でも、笑顔で命を摘み取るのは、嫌いだった。私に毒を注ぐように、外界の話をするのは嫌いだった。


『外界の奴らは、たわけ者の集まりだ。己たちが全てにおいて正しいと妄信する滑稽こっけい者。争いばかり繰り返す野卑やひの衆。緋嬢ひじょうが気にすることは無い』


 若竹のように姿勢よく立つくせに、口を開けば、侮蔑ぶべつ語録が冴えわたる。神算鬼謀しんさんきぼうの若人は、とうに呆れ返り、視界の端ですら、写そうとしない。まっすぐな堅物にとって、外の有様は耐えがたく許しがたいのか。何を聞いても、知らなくていいの一点張りには、頭に来た。


此方こなたが貴方様にお話することは、ございません』


 二つの満月をはめ込んだ顔は、想像を絶する造形美。美の女神が恥ずかしさのあまり、自らの顔を隠すほど美を体現したおもて。どんな時も、感情を表に出さない紙のように白い面。無感動な心に当然の如く、外への関心は無く、どこまでも私の陰にあろうとする。僅かな気配も無い佇まいに、本当に居るのかいつも不安に思った。


 その他、城の全員が、外の世界について悪いことしか言わない。だから、この機会に自分の目で確かめることにした。誰かの主観が入った言い聞かせではなく、自分自身の体験で判断したかったから。


 いずれ滅ぼす世界のことは、自分の目で見たかった。それが、私の罪科ざいかであると思っていた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「深淵に囲まれた島国。そこは、奈落の申し子を信仰する地上で最も由々ゆゆしいもの達が住むと皇教の聖典に記されています。その島の人々は、悪しき神を崇拝し、世界の終末を望んでいる。彼らが信じる神こそ、地底の底に幽閉ゆうへいされしみ子。かつて世界を滅ぼしかけた破滅そのものです。貴方が、日方ひなたの国から来たのなら、その事実だけで死に値します」


 なんとなんと、日方の国出身というだけで、殺されてしまうなんて、外はなんと物騒な場所なのか。こりゃ、口酸っぱく言いつけてくるわけだ。それも目の前の青年に明かしたからには、徒労とろうになってしまった。追いつかれたら、拳骨で済むだろうか?


「ほほぅ。じゃあ、何かい? 君は、私のここまでの尽力を無視して、殺そうと言うのか?」


「いいえ。貴方を殺すことはしません。連行します」


 リアトリスは、もう一度視線を紋所もんどころに移す。金色日華紋こんじきにっかもん。奈落の申し子に仕え、世界を滅ぼす寸前まで傾けた一族の証。三千年前、夜空の星々を失った日を境に深淵によって外界から封じられた島。その島を治める恥知らずな裏切り者の氏族しぞく


「貴方が朱山あけやまの者なら、もはや人工魔生の話は、そちらの企てで皇国を内部瓦解させるための策略に思えます」


「はぁー! もーため息出ちゃうよ。君は、君の世界の常識に沿うように考えて、私が何やら陰謀をやらかしてると思うんだろうね。でもさ、よく考えてよ。そんな企てをしてるのに、君に明かすようなことするとでも? 馬鹿もいいとこでしょ、そんなん!」


 確かに、裏工作を自ら暴く真似をするのは可笑しなことである。しかし、人工魔生の件に全く関りが無いとしても、少女が朱山家の者であることは変わりがない。


「確かに、貴方が人工魔生に関わっているのは理屈が通りません。その件について無関係であることは、理解します。ですが、今重要なのはそこでは無いのです。貴方がどんなに善人であろうが、関係ないのです。貴方の祖先が一度世界を滅ぼしかけた。その行いが問題なのです」


 皇教は、その成立以来、幾度も深淵の海を越えようとしてきた。その試みは何度も巨大な深淵に飲み込まれ、空を駆ける蛇に阻まれ続けた。だが、ここに一人、その海を越えた者が居る。深淵の海を踏破できる証である。聖警士せいきょうしは、その方法を喉から手が出るほど求めている。それが叶えば、地上を安住の地へと変える悲願が達成できる。

 ある光景がリアトリスの頭をよぎり、剣を握る力が自然と強まる。幾度も目にしたその光景。鼓動を打つだけの嬰児えいじを抱きしめ嗚咽おえつをもらす母親。いくら声を掛けても、産声すら上げてくれない。生まれそこなった子。


「貴方には、深淵の海を越えた方法を教えていただきます」


 心を待たない、空の器として誕生する赤子が皇国の出生数の約半分を占める。この国のみならず、どこの国も頭を悩ませる恐ろしい病。亡心ぼうしん病。奈落の申し子が残した呪いの一片であり、皇教が何度も深淵の海を越えようとした理由の一つ。


 初代啓皇けいおうが皇神からの天啓を書き記した聖典『皇典こうてん』の預言よげんの章の一節には、以下の記述がある。

「奈落の忌子いむこ果てる刻。天下てんげの神統べる安寧の世が訪れ、錦の鳥が楽園へ導く。すめらぎの民は赦免しゃめんされる」

 この一節の解釈は、様々有るが、一つの点に関しては、どの学者も一致した見解を示している。それは、奈落の申し子の死によって地上の数多ある災いが鎮まるという釈義しゃくぎである。


「越えて、どうするって言うの? 」


皇神こうじんの名のもとに、日方の国を聖断せいだんします。そして、奈落の申し子を葬り去るのです」


 聖断とは、異教の神に纏わるすべての事柄を根絶することを意味する。言い換えれば、他民族の粛清と異教の神をまつる全てを滅ぼすことである。特に、皇国の聖断は、徹底しており、かつて異教徒が住んでいた建物や飼っていた家畜、異教徒が書いた書籍に至るまでを滅せねばならないのだ。そのため、このラントの町に、かつてこの地域を統治した国の面影はまるでない。一度、全てを破壊し、皇国の文化に即した建築様式へと変わっている。


「少しは、話が通じるかと思ったけど、残念。あたしの思い違いか」


 少女は、目を閉じて、息を吐きだし大げさに肩を落とすと、すっと顔を上げる。上がった面には、それまでの笑顔が嘘のような冷ややかな眼差し。邂逅かいこうの時と同じ威圧感が滲みだす。決闘の時には、すでに鳴りを潜めていた圧迫感。


 リアトリスは、柄を握る手が急速に冷えていくのを感じていたが、剣を形作る水が冷やしているだけだと、言い聞かせた。不思議なことに、心の内を占めたのは、強者に対峙した緊張感というよりは、失望されたことへの焦りだった。震えそうになる手を必死に抑え、なおも少女に切っ先を向け続ける。いつ斬り合いになっても良いように息を吸い、心を落ち着ける。しかし、リアトリスが予期した事態にはならなかった。

 少女は、鞘ごと剣を右手に持つと迷い無く突き出す。


「はい」


「…………ぇ?」


 思わず拍子抜けした声が漏れ、瞠目どうもくする。


「なに? そっちが連行するって言ったんでしょ? 皇国では、武器を持たせたままにするっての? 危なくない?」


 少女こと朱山あけやま緋桜ひさは、当然であると言った様子で神器をリアトリスに突き出していた。


「固まってないで、早く受け取ってよ」


 少女は、青年の胸に押し付けると手を離す。重力に従い、落下するのを慌てて拾い上げたところで、やっと放心状態から戻る。


「貴方は、ご自身がどのような身であるか、分かっていますか?」


 あっさりと武器を手渡す。自分を捉えようとする相手へ。捕まれば、唯で済まないと分かっていながら。


「ああ。分かってるよ。きっと痛い目に合う。そんで、最後は、民衆の前で処刑されるんだろう?」


「恐ろしく無いのですか? 貴方は、死ぬのですよ? さらには、貴方から深淵の超え方を聞き、いずれは士団庁所属の聖警士が聖断のために日方に押し寄せるのですよ?」


 はて?と首を肩につくほどに傾ける。この人は、何を言ってるのかと言いたげな様子。


「生まれてこのかた、死ぬことに特段の感慨かんがいはないな。たかが、一度の果てだ」


 生まれた命は、皆一秒でも長く生きようとする。その生への渇望は、最も根源的な生命の本能だ。時間が現在から過去に戻らないように、生き物にとって絶対的な摂理のはずだ。それを、そよ風に飛ばされる塵やほこりと相違ないと言い切る。そんな生者せいじゃが、目の前に居る。


「ただ、日方の国を滅ぼそうとするのは、見過ごせない。でも、それは私が渡り方を話せば、起きること。私の口は堅いからね。それに…………」


 不敵な笑みを浮かべる口元に、常人より鋭利な犬歯が覗く。


「深淵を超えたところで、勝ち目なぞあろうものか。踏み込んだが最後、死の淵まで滑落するだけよ」


 両腕を組んだ堂々とした佇まいは、じめりとした湿気を霧散させ、徐々に空気の密度を薄めていった。



🔸用語メモ🔸

🔸朱山あけやま

奈落の申し子に仕える裏切りの一族。金色日華紋を家紋としている。

🔸奈落の申し子

大昔、世界を滅ぼしかけた生命の敵。現在は、地の底に幽閉されているらしい。

🔸亡心ぼうしん

生まれながらに心を持たない病気。自己意識というものが存在しない自失状態で改善の報告は無い。亡心病を患った命は、生命維持に必要な栄養を摂取することも出来ないので、生後三日ほどで衰弱死する。

🔸初代啓皇けいおう

皇神からの天啓を聞き、それを基に聖典『皇典こうてん』を記した。


🔴語句メモ goo国語辞書より引用(小学館大辞泉)

🔴侍者じしゃ:貴人のそばに仕えて雑用を務める者。おそば。おつき。 仏・菩薩また師僧などに近侍する者。

🔴いさめる:主に目上の人に対して、その過ちや悪い点を指摘し、改めるように忠告する。諫言 (かんげん) する。 いましめる。禁止する。

🔴たわけ者:おろかもの。ばかもの。また、人をののしっていう語。

🔴妄信もうしん:むやみやたらに信じること。ぼうしん。

🔴滑稽こっけい:笑いの対象となる、おもしろいこと。おどけたこと。また、そのさま。あまりにもばかばかしいこと。また、そのさま。

🔴野卑やひ:言動が下品でいやしいこと。また、そのさま。

🔴侮蔑ぶべつ:見くだしさげすむこと。軽蔑。

🔴神算鬼謀しんさんきぼう:人知の及ばないような、すぐれた巧みな策略のこと。

🔴堅物かたぶつ:きまじめで、融通の利かない人。かたじん。かたぞう。

🔴此方こなた:一人称の人代名詞。わたくし。

🔴おもて:顔面。顔。

🔴主観: その人ひとりのものの見方。対義語:客観

🔴罪科ざいか:法律や道徳、また、宗教などのおきてに背いた罪。法律により処罰すること。しおき。

🔴由々ゆゆしい/忌忌ゆゆしい:程度がはなはだしい。また、重大である。容易ならない。神聖で恐れ多い。慎むべきである。忌まわしい。不吉である。いまいましい。うとましい。すばらしい。りっぱである。

🔴み子:望まれない子供。不吉な子供。嫌われている子供。※引用元なし

🔴忌子いむこ:神に奉仕する童女どうじょ

🔴徒労とろう:むだな骨折り。無益な苦労。

🔴氏族しぞく:共通の祖先をもつこと、あるいは、もつという意識による連帯感のもとに構成された血縁集団。父系もしくは母系のどちらか一方の血縁関係によって結ばれている。

🔴嬰児えいじ:生まれたばかりの赤ん坊。

🔴嗚咽おえつ:声を詰まらせて泣くこと。咽び泣き。

🔴赦免しゃめん:罪や過ちを許すこと。

🔴釈義しゃくぎ:文章・語句や教えなどの意義を解釈し、説明すること。また、その内容。※goo国語辞書より引用

仏語。経典などの、その本来の意義や個々の内容、文句などを解釈すること。※コトバンクより引用(精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典)

🔴邂逅かいこう:思いがけなく出あうこと。偶然の出あい。めぐりあい。

🔴感慨かんがい:心に深く感じて、しみじみとした気持ちになること。また、その気持ち。

🔴根源:物事の一番もとになっているもの。おおもと。根本。 物事の始まり。

🔴摂理せつり: 自然界を支配している法則。キリスト教で、創造主である神の、宇宙と歴史に対する永遠の計画・配慮のこと。神はこれによって被造物をそれぞれの目標に導く。

🔴生者せいじゃ:生きてるもの。しょうじゃとも。

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