第12話 誰かの痛み
誰かの痛み
涼し気な音。サラサラと流れる音が、閉じられた空間内の至る所から聞こえる。みずみずしい空間だが、湿っぽさは感じない。心の内を潤すような清廉さは、授かった者の在り方を体現でもしているのだろうか? ボーっと思いながら、冷水に浸かる足の冷たさに身震いをした。
「さて、お答えいただきます」
人をこんな水の檻に連れ込んだ張本人は素知らぬ顔で本題に入る。時たま、雫が頭や肩を濡らす。程よい滴量で不快ではない。
「本人の了承も得ずに閉じ込めて、しかも当然と会話続けようとする?」
少女は、握られた手を振り払うと、数歩後ろに下がりリアトリスと距離を取る。
二人は、直径5メートルほどの半球の内側に居た。この半球は、リアトリスの加護によって形作られ、流水が常に対流することで巨大な水の
「お答えいただくまでは、貴方を帰すことは出来ないので。このような手を使ったことは、率直に謝罪いたします。それでは、一つ目です。何があったのですか?」
少女は持っていた剣を鞘に戻すと再び腰紐に刺した。空いた両腕を組み、片足に重心を掛けて立ち、楽な姿勢を取った。
「少し話が長くなるが、まあ構わない? いつもと違う点があったもんでね」
少女は自身が目にしたことについて語り始めた。
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ごとり。ごろごろ。
頭が
剣を鞘に戻し、しゃがみ込む。カツンっと鞘が生核に当たるが、気にせず見つめる。左手は膝に沿え、右手で重なり合った紙をずらしながら、一枚一枚に目を通す。
「
生核の格子をすり抜け、
鏡に映し出された一枚一枚には、一人として同じ人が写っていない。歯が生え始めた赤子から、枯れ枝のような
緋桜は一枚を両手の平に乗せ、立ち上がる。顔の前に上げた掌を少しずつ前方に倒すと白い灯花と化した一枚が零れてゆく。生核の上部に残っていた他の紙に燃え移り、さらにぱちぱちと弾け勢いを増す。溢れんばかりの白い小花が生核の格子を滝のように流れ落ち、床に重なる記憶の紙も呑みこんでいく。
目を潰してしまう程の光を少女は、ただ見下ろしていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「あたし以外で心に入った奴は初めて。そちらさんは何もかも初見なわけだから、一から説明しようか」
少女は、自身の神器が魔生を退治する方法から順を追って明かした。
「さっきちょっと話した通り、魔生を落誕させる心の闇。それを抱く原因になった経験を本人の中で無かったことにする。言い換えると、記憶を消すってのが、この神器、
神器とは、神があたえし
「この度は、異なったのですか?」
「そう。何の説明も無しに行動して悪かった。
少女は、リアトリスに背を向けると自身を閉じ込める水の壁へ歩き出した。
「それは、ミーナ自身の記憶の欠落から判断したのですね」
少女が矢継ぎ早に聞いたことに、ミーナは一つも答えられなかった。自身の両親のことすら、答えられていなかった。後ろから見ていたリアトリスもその様子に違和感を覚えていた。
「宿主となった後は精神異常をきたすのが普通ですが、ミーナの場合は記憶の混濁が出ているのかと思っていました」
「そうね。私も何も無かったら軽く流してたかもしんない。でも、その前。魔生側に原因になりそうな記憶が見つかんなくて、考え込んでるときに……濁縁を誰かが揺らしたんだ」
濁縁は、宿主と魔生を繋ぐ線のことである。それが心の内側である生核にまで繋がっているのは、リアトリスにとって初耳だ。聖警士では、天眼結晶製の眼鏡で魔生と宿主の胸の中心を繋いでいることしか知れられていない。皇国で発表すれば、間違い無く世紀の大発見となるだろう。
「一つ気がかりもあった。どうして今だったのかってこと。それは、ミーナ自身の心に入った時にはっきりした。先客が居たんだ。まあ、先客って言っても人間じゃあ無かったけどね。そいつが、ムシャムシャ記憶を食べ散らかしてたわけ」
水壁の目前で立ち止まり、白日刀を抜く。
「丁度ミーナの母親らしき人の顔を食べつくしてたよ。それで、ピーンっと来た。心に闇を抱えた宿主から魔生は、落誕する。でも、どんなに悲劇の中を歩いても、そうならない人もいる。そういう人は、みんな幸福な過去がある。不幸な体験・経験が闇を抱かせるように、幸せな体験・経験は闇から自分を守るのだろうね」
「…………ミーナを守っていたのは、母君の思い出だったのですね」
自身がどこで生まれ、誰の子で、どのように生き、どんな人たちと関わっていたのか。そのすべてを失うとは、なんと哀しいことなのか。リアトリス自身、自分のこれまでの全てを忘れたらと想像し、背筋が凍る心地になる。戻すことが出来ませんか?と聞きたくなる。
少女は、剣を目前の水壁に高く掲げる。
「
切っ先を水壁になぞらせるように浸すとそこから白い
「これは」
乳白色の水面にゆっくりと精巧な画が浮かび上がる。
「ッ…………!」
一目見たリアトリスは、堪らず口を押える。流水を物ともせず、一つの場所に漂い続ける画たち。どれもが水程度では薄めることが出来ないほど
「自分を支えてくれる幸福な過去が無くなっても、悲惨な過去が無ければ闇は生まれない。ミーナ自身の過去に、闇を抱えるほどの悲劇は無かった。だけど、
一枚 誰にも見送られることなく、路地裏の泥の水たまりで溺死する老婆。
二枚 母の手で
三枚 身を売られ、春を
四枚 悪意ある同僚に怪我をさせられ生計が立てられず、ロープ一本でこの世から去った男性。
五枚 血と泥に汚れ戦い。その果てに、何も勝ち取れず、
六枚
「
痛みを耐えるように眉間に皺を寄せるリアトリスを振り返ると、少女は続ける。
「人種も国もバラバラ。世界中から集めた
ミーナは、一命をとりとめた。しかし、無くしたものは幼い少女にとってあまりにも大きすぎた。その非情に飽き足らず、多くの命を奪った重荷をも背負わせる。この世は、どうしてこうまで非情になれるのか? 人間など、残酷な世にわずかに爪を立てることしか出来ない。小さな人である自分が出来るのは、ミーナの今後に手を貸すことくらいしかない。
「ミーナの今後について、ご心配には及びません。皇教が運営する孤児院で引き取ります。これほどの騒ぎになってしまいましたから、この町での生活は難しいでしょう」
孤児院で魔生が生まれたことは、町中に知れ渡っている。一人だけ生き残ったとなれば、あらぬ噂を立てられるのは必至だ。良い噂より、悪い噂が広がりやすいのは世の常だ。
「その方が良いんじゃない? ミーナを狙う奴も聖警士の下に居るとなれば、簡単に手出しは出来ないでしょう?」
ミーナを狙う奴? 一体何の話かとリアトリスの表情が曇る。
「私に隠し事なんて出来ようがないのよ。作為が見え透いてる」
獲物を見つけた獣のように、瞳が鋭さを増していた。
🔴語句メモ goo国語辞書より引用(小学館大辞泉)
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🔴春を
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