第10話 虫喰い

虫喰むしく


「出身地は? どうして、孤児院に来ることになったの? ミーナを連れてきた人は誰?」


「だから! わからないの!」


 落ち着いた問いかけに喉が切れそうな金切声が答える。とめどなく零れ落ちる水滴。一滴一滴にに溶け込む愁嘆しゅうたんが、透明な雫を白藍しらあいに染める。感情が流れ落ちる様は、形容しがたい美しさだ。しかし、それを見るために誰かを傷つけたいとは思えない。


「ミーナ、何も心配すること無いから」


 片膝を付いた状態から立ち上がり、鞘から剣を引き抜く。

 背後から困惑した声がかかるが、黙殺する。


「痛みなんて、感じる間もないから…………また、後で」


 誰かが肩に手を掛けたが、止めるには、遅すぎた。切っ先は小さな胸に、何の抵抗もなく差し込まれた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 目を見開く。先ほどと同じような真っ暗な空間に立っている。上半身だけを捻るように、あたりを見渡すと暗闇の中にぼんやりとした光を確認する。鞘から刀を引き抜き、万全の状態でゆっくり歩み寄る。近づくにつれ、少しづつ明るくなり、視野が取れるようになる。たどり着くと、それは光る糸だった。宿主と魔生を繋ぐ濁縁である。魔生側が一時的に消滅したためか、さっき見た時と異なり緩くたるんで、ところどころ絡まり玉になっている。しかし、それでも床につくことなく中空を漂い続ける。糸を良く観察すると一方の側がわずかに明るい。より明るい方に光る毬こと、生核せいかくがあるのだろうとあたりを付ける。


「こっち側に来るの久々。生核を傷つけないよう気を付けよ」


 光る糸を辿ること30分余りで、中空を舞う夥しい数の記憶の紙を見つける。それが、生い茂るジャングルの葉の如く視界を遮り、生核を見つけることは、未だ出来ない。濁縁を見失わないように幾度も位置を確認しながら進み続ける。途中、記憶の紙にも軽く目を通す。すると、そのどれもに穴が開き、人物はミーナ以外判別できない。たった今、加わったであろう自身や、リアトリスと名乗った青年が描かれた紙は、綺麗な状態だ。


「見たところ、直近の記憶には影響はなさそうだね。にしても…………私、こんなに人相悪いか?」


 自身が描かれたと思われる紙。濃紅の髪を高い位置で纏めた少女が賊顔負けの笑みで好青年に刀を向けている。


「衝撃だわ。子供からは、こんな悪人に見えてるなんて」


 あまりにもな容貌に苦笑いが零れる。


「あたしゃ山賊かっての。それに引き換え、こっちはキラキラな印象で覚えられて」


 山賊少女と相対する青年は、どこかの品行方正な王子様といった様子だ。


「罪な奴だこと」


 眺めていた紙を手放し、歩き出す。中心に近づいているのか、紙が漂う空間がどんどん狭まってくる。ついには、人が通れる隙間も無くなり、手でかき分け、散らしながら歩く。それを一時間ほど繰り返し、いら立ちが募る。


「いつになったら、着くんだよも~」


 やけくそに片手を大ぶりし一気に紙を四散させる。すると開けた視界の中に、忽然と光る球が出現する。三角形が格子状に繋がり、球体を形成している。その内部には、ユラユラと揺らめくが浮いている。鴇色ときいろともしびは、小さく、けれども力強く燃えていた。その様は、生きようと必死に打ち鳴らす鼓動のようでもあった。


「やっとだよ。もう帰りたい気分だよ」


 長い道のりに多少の愚痴が出るが、そのくらいは許して欲しいと思う。


「……居た居た。お前だな」


 緋桜が見上げる生核の上に、我が物顔で横たわるモノが居た。丸々と太ったブヨブヨとした肉感の胴体と小さな複数の足。胴体に見合わない小さな目。そいつは、寝そべりながらムシャムシャと何かを食む。

 緋桜は高く飛び上がり、光る糸の上に降り立つ。糸はたるみもせず、何事も無かったように中空に漂い続ける。距離が近づくと、何を美味しそうに貪っているか明らかになった。今より幼いミーナを後ろから抱きかかえる女性が描かれた紙。すでに女性の顔の部分は綺麗に食べられ、誰であるか判別できない。


「ミーナの母親かな? 私も大概だが、お前さんも酷いもんだな」


 言葉を解さないのだろう。相も変わらず食べ続ける。


「前々から思ってたことだったが、これではっきり立証されたってわけね。その点は、感謝するよ」


 魔生は宿主の心の闇(負の感情)から生まれる。心の闇とは、宿主の辛い経験から生じる。しかし、辛い経験がいくらあろうとも、闇を抱かない者もいる。様々な心の内を垣間見た緋桜には、ある仮説があった。


「どんなに悲惨な過去が有ろうとも、それと同等か打ち消すほどの思い出があると、魔生は落誕らくたん出来ない」


 糸からさらに飛び上がり、芋虫の目前に舞い降りる。


「今回の有様は、お前がミーナの明るい思い出を喰らいつくしたからだな」


 ムシャムシャと口を動かしながら、つぶらな瞳が緋桜を見返す。


「だが、まだ足りない。例え、自身を支える過去を無くしても、酷烈こくれつな経験が無ければ、心に闇は広がらない。お前、まだ腹に一物抱えているな?」


 なおも、食い漁る。しかし、目は一心に少女を見つめ続ける。


「そんなにふくよかになっちゃって。美味しかったか?」


 不相応な問いかけを最後に刀を構え、菱形の窓から切り伏せる相手を見据える。


「天上に昇る白日はくびを司るは、この奇傑子きけつこひがの世を照らすは、我が宿世すくせとここにだむ。白日日和」


 白いともしびを纏う白刃が振り落とされ、ゴトンと首が落ちる。生核の側面を転げ、床につく前に燃え尽きた。


🔸用語メモ🔸

🔸生核せいかく

全ての生き物に備わる光る毬状の物体。中心部には、人魂のような灯が浮いている。外観は、光り輝く格子状の球体。格子の形や、灯の色は、個々人で異なる。ミーナの場合は、三角形の格子構造で球体を作り、中心に浮かぶ灯は優しいピンク色の鴇色だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る