第9話 心の内

心の内


 突き下ろした刃が何の抵抗もなく沈む。もはや力を込めるまでも無い、手は柄に沿えるだけ。刀が自重に落ちるに任せる。朱山あけやま緋桜ひさは不思議に思う。この瞬間だけは、肉を切っている手ごたえがまるでない。目を閉じていると空を突いていると錯覚する。

 この刀は、いつも私の望み通りに振舞う。もはや体の一部と相違ないほどに、意のままに従う。だが、この瞬間だけは、この白日刀はくじつとうが私の手を掴み向こうに引き込む。血が滲みもしない刺し口を見つめ、ゆっくり両目を閉じ、再び開く。視界には何もない真っ暗な空間が広がる。わずかに明るい方へ小走りに進むと白い光を放つ球体の前で立ち止まる。人の背丈ほどの直径の玉。その玉は、球体の表面に紙がペタペタと張り付いたまりのようだ。毬の中心から光る一本の糸も伺える。


「不思議なもんだな。ここで見るとこんなに光ってるのに、あっちで見ると髪の毛と変わんないんだから」


 片手で毬に触れるとハラハラ花びらのように紙が舞い降り、空中に漂う。一枚一枚に目を通し、すぐに異変に気付く。


「これだけ?」


 緋桜が異質に感じたことは、ミーナの記憶の紙が数枚しかないことである。記憶の紙は、年齢と共に枚数が多くなる。通常、ミーナほどの年齢なら平均で千枚、非常に少なくても五百枚は魔生の側に流れ込む。例外は、魔生が余燼よじんであった場合だ。落誕と同時に宿主が死亡するため、記憶の紙は死亡直前直後のみとなる。

 それなのに、


「たったの五枚? 普通、落誕後は、ほとんどの紙が魔生の側に来るもんだと思ってたけど、ミーナ本人の方に残っているのか? だから、正気を保てるってわけ?」


 記憶の紙は、魔生の落誕後個人差はあれど、特に原因となった記憶が魔生側に流れ込む。異常に少ない枚数が些か気になるが、気を取り直して五枚を眺める。どれもごく最近の孤児院に来てからのものだ。


1枚

孤児院の食堂で他の子供達と食事をとっている。年長の男の子がミーナのパンを横取りし、大人に怒られている。


2枚

他の女の子たちと空の食器を並べおままごとをしている。父親役の子は、煙突の煤でちょび髭を書き役作りに余念がない。


3枚

豪勢な小包の箱が開けられ、中から繊細なレースがあしらわれたワンピースが見える。ミーナはすごく喜び床を踏み抜いてしまいそうなほど跳ねている。


4枚

夕食の席。ミーナは、胃の中のもの全てを出し切るほど盛大に皿に戻している。きっちりとしたお下げ髪の女性が、背中に手を当て擦っているようだ。子供の一人はバケツを抱え、一人はポタポタ水を垂らすタオルを握っている。


 ここまでは、いたって普通の日常風景。不自然なとこは皆無だ。

 五枚目に視線を落としたところで、緋桜は目を細めた。一見何の変哲もない光景。ミーナが孤児院に来た日のものだ。問題は、ミーナを連れてきた相手。体格的に背の高い男性ということは、分かるがそれだけだ。目の色も、髪の色も、顔のパーツも、全く分からない。頭の部分だけが、虫食いにあったかのように穴が開いている。


「何だこれ? 初めて見た」


 何か不自然な点が無いか、じっくり眺める。孤児院の管理者だろう男は、やけに腰が低くく応対している様子が見て取れる。加えて、大ぶりの宝石がついた指輪を10本すべての指に嵌めている。かなり身分が高い人物か、正当でない商売で稼ぐ輩がミーナを連れてきたのだろうか?そう考えながら他に何かないか探すが、不審な点は見当たらない。

 諦めた緋桜は、別のことを考え始める。これまでの経験上、今居る心の内側に入れるのは、自分だけであり、記憶の紙に手を加えられるのも自分だけだった。


「これは、私以外に入れる奴が居て、しかも記憶に何らかの方法で干渉できるってことかね~」


 一つの仮説が持ち上がったところだが、自分が今すべきことは、原因となった記憶の焼白しょうはくである。それが出来なければ、魔生を消滅させることが叶わない。言い換えれば、ミーナを殺さなければならないのだ。


別段べつだん、原因となる記憶が無いな。しかも孤児院以降の記憶しかない。どーなってるんだ? 通例とは違い宿主側に原因となった記憶が残っているのか?」


 そこでふと、一つの疑問が浮かぶ。


「そもそも、何で今だったのかもわっかんないなー。孤児院の様子は、いたって普通。むしろいい環境に見えたけど。何が引き金になったんだか……………………は?」


 中空を漂う紙へ視線を流していた時。視界の端で、何かの揺れを捉え、弾かれるように振り向く。すると床に対して水平に伸びる輝く糸が視界に入る。一方は、光る毬に繋がり、他方は暗闇に続いている。

 真円の鏡がピンっと張ったその糸を写し続ける。確かにあった残映ざんえいを、もう一度捉えるため瞬きもせず。体感で10分ほどした時、ついに耐えかねたのか糸が大きく揺れる。

 きしり、きしり。耳障りの悪い音がきしむ度に鳴る。

 緋桜は、首だけをゆっくり回し、暗闇に続く細い糸を見つめた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 片刃の剣が魔生の胸に消えていく。たちどころに胸の裂け目から白いが上がり全身に広がると、数秒のうちに骨すら残さず、消滅時の黒煙も残さず、燃え去った。少女は、パシャパシャと水を蹴り歩きながら剣を鞘に戻すと、リアトリス達の方に近づいて来る。鞘は左手で握りしめたままだ。


「……………………」


「小隊長、小隊長」


「あ、すいません。少し疲れが溜まっているのかもしれません」


 自分を気に掛ける副官から、こちらにまっすぐ歩みを進める少女に目を移す。どう声をかけるべきか判然はんぜんとせず、当たり障りの無い感想やたわいない言葉が口をく。


「見事なものですね。ひょっとして、私との手合わせは、手を抜きましたか? 」


 パシャパシャ。

 リアトリスの言葉に無言で返し、依然歩みを止めない。


「…………申し訳ありません。馴れ馴れしい態度でした。謝罪いたします」


 パシャン。ジャリジャリ。

 水から上がり、小石の上を歩く。未だに口は開かれない。


「? あの、どうかなさいましたか?」


 少女は、一切目を向けず、真横を通り過ぎる。ある場所で、片膝を付き、目線を合わせる。


「ミーナ、私の質問に答えられるなら、答えて欲しい」


 ミーナの両肩を両手で掴み、告げる。


「ミーナ。孤児院に来る前のことは、何か覚えてる?」


 ミーナは、質問の意図が分からず、ぽかんとした表情で見返す。しかし、少女の真摯しんしな眼差しに促され、記憶を辿る。


 リアトリスは、横から少女とミーナのやり取りを見守る。少女の表情には、迷いがなく。揺るぎない仮説を証明しようとしていた。対して、初めは、きょとんとしていたミーナだったが、考える素振りを見せた後、徐々に不安気な顔つきに変わる。最後には、大きな目からボロボロと泪を零した。


「わからない。…………ッ、ここに来る前のこと、何にも覚えてない! お父さんも! お母さんも! 顔が思い出せない!」


 しゃくりあげた泣き声と共に吐き出した言葉は、ミーナ自身を酷く傷つけ、さらに涙を零させた。



🔸用語メモ🔸

🔸白日刀はくじつとう

神器の一つ。朱山緋桜が所有する片刃の剣(刀)。金属の光沢を持ちながらも陶器のような滑らかさを持つ純白の刀。鎺から少し上あたりに菱形にくり貫かれた孔がある。固有の能力として、他人の記憶を消すことが出来るようだ。また、リアトリスとの決闘から水などの物質も白い灯の子として消すことも出来るようだ。

🔸濁縁だくえん

宿主と魔生を繋ぐ糸。現実世界だと天眼結晶越しに黒い髪にように見えるが、心の内側では、光り輝く糸に見える。

🔸焼白しょうはく

白日刀はくじつとうの白い灯で様々なモノを消し去ること。


🔹キャラクターメモ🔹

🔹ミーナの付添人

ミーナを孤児院に連れてきた男。すべての指に大ぶりの宝石がついた指輪をしている。記憶の紙の欠損のため、顔は分からないがかなりの高身長であることは分かる。孤児院の大人が異様なまでに遜る様子から、身分が高いか危険な人物と思われる。


🔴語句メモ goo国語辞書より引用(小学館大辞泉)

🔴別段べつだん:特に異なること。特別・格別なこと。特にとりたてて言うほどではないさま。とりわけ。

🔴残映ざんえい:暮れ残った日の光。夕ばえ。消えていったもののなごり。

🔴真摯しんし:まじめで熱心なこと。また、そのさま。

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