第5話 聖警士
ユラ大陸のほぼ中央に位置するこのラントの街は、東と西を行き来する行商人の重要な拠点であり、交易の中心都市であった。様々な人種が溢れ活気に満ちた場所であるが故、争いの種にもなっていた。近隣諸国は、この地域の帰属をめぐる争いを数百年と続け、何代にも渡って血で血を洗う戦が繰り広げられていた。しかし、約五十年前、ある西の国が勢力を拡大し、各王朝を
皇教は、高度な独立権を認められ、独自の戦力を有している。異教からの防衛や邪教の
時刻は朝方。ラント官憲の
「入ってくれて構わんよ」
「失礼します」
所長室唯一のドアから糸目の青年が現れる。発色の良い橙色の髪が印象深い。
「所長、今調査から小隊長殿がお帰りになりました」
小隊長とは、今この詰所で預かっている名家の青年のことである。初めは、親の七光りだけの坊ちゃんが実績作りに送り込まれたと考えたが、その実、恐ろしく有能であった。
「そうか。通してくれ」
糸目の青年ことエズラが扉を閉じ、数瞬後に再びノックがされる。今度は力強い音が二回鳴る。
「入ってくれ」
所長が入室を許可すると、一人の青年が礼儀正しい所作で入る。真夏の海を思わせる深く鮮やかな青の瞳と黄色にわずかに緑を混ぜ込んだ髪色の人物が敬礼する。
「アラスター・リアトリス、只今、帰還致しました」
所長は立ちあがると執務机の前に回り、同様に敬礼を返す。
「ご苦労だった。早速、報告をお聞かせ願おう。掛けたまえ」
「お言葉に甘えさせていただきます」
リアトリスと名乗った青年は、応接用ソファーに腰を下ろすと、調査結果について話始めた。
「例のローパ村ですが、間違いなく魔生が生まれていました。通報をした男性が言う通り、家々はすべて焼け落ち、見るも無残な有様で……
国の東端の基点を任されるオレグ所長は、目を閉じ、低く頷いた。
「痛ましいことだ」
「はい。全くです」
事の発端は、羊毛で生計を立てるローパ村の男性が詰所に駆けこんだことだった。男性は、羊毛の価格について町の卸業者と交渉をするため、山を下りたことで難を逃れた。
リアトリスは、村の様子を思い出しながら報告を続ける。
「
魔生とは、人が心に宿した闇から生まれる存在である。ゆえに、生み出した者のことを宿主と呼ぶ。宿主は、一人の場合もあれば、集団のこともある。今回は、複数の村人が闇を抱き落誕した様であった。余燼とは、宿主が死亡時に強烈な負の感情を残した時、それをもとに生まれる。
濁縁とは、宿主と魔生を繋ぐ糸のことで、
道指し鳥は、魔生が放つ穢れを感じる方向を向くとけたたましく鳴く習性を持つ。魔生の関与が疑われる場合には、必ず一羽連れる規則になっている。
「山中を進む途中で、ラノクの奴隷と思われる損壊した遺体を発見しました。あまりに原型をとどめていないので、正確に何名かは、判断がつきませんでした。最低でも、七名以上としか言えません」
「ラノクの奴隷? 何故そのような場にいるのだ? 移送中であったのか?」
奴隷は、通常住んでいる町の外に出ることは無い。例外は、他に売られた場合くらいなので、不信に思うのも無理はない。
「わかりません。林道でもない獣道だったため、移送では、無いと推察しますが、一度、確認のため赴こうと思っています」
「いや。君は、帰ってきたばかりだ。他に頼もう……その後、魔生を発見したか?」
すると、リアトリスは、今まで以上に真剣な顔になる。
「…………山から河原に出た辺りで見失いました」
「? どういうことだ? 鳥が見失ったのか?」
「いえ。河原の、ある一点に鳴き続けたのです」
「…………つまり、余燼は消滅していたということか? 煤汚れは確認できたのか?」
魔生も宿主が落命時に生み出される余燼も発生時と消滅時に黒煙をまき散らす。そのため、オレグ所長は、そのような問いをリアトリスに投げた。
「確認には、至っていません。道指し鳥も追跡できない程、跡形もなく消えました」
「不可解なことだ。一応、近隣の村や町に通知しておこう。消滅した確証はないからな。ご苦労だった。疲れただろう、今日は、もう上がってくれて構わない。後日、報告書を頼むよ」
「はい、お心遣い感謝いたします………オレグ所長、最後に一つよろしいですか?」
「なんだね?」
「発見した村人の遺体ですが…………すべて埋葬されていました。男性が村を出た後から私たちが着くまでに何者かが居た可能性があります」
「何者か? 穏やかではないな」
不可解な余燼の消失に加え、正体不明の先行者。
「詰所に通報を入れたローパ村の男性の話では、発見してからすぐにラントに来たと言っていました。なので、私は、てっきり、ご遺体などは、火にくべたまま野ざらしになっていると思っていたのですが、現場に着くと真新しい墓が作られていました」
リアトリス率いる小隊が村にたどり着くと、建物はすべて焼け落ち、家畜の羊まで殺されていた。遺体を確認するため、男性から聞いていた広場の焚火を確認すると綺麗に骨だけがなく、村のはずれにある花畑に真新しい盛土と墓石の代わりと思しき長方形に切り出された石があった。
「跡形もなく消えた余燼に、遺体を埋葬した何者か。一体、
「はい。是非とも同行させて頂きます」
報告が終わった時、その知らせが入ってきた。扉の向こう、廊下から慌ただしく靴音が近づいて来る。バタンとドアが開き、所長補佐のエズラが釈明も無しに報告する。
「所長! 魔生が確認されました!」
「何だと⁉」
空気が一気に張りつめ緊張感が漂う。
「先ほど孤児院から、様子のおかしい子供がいると通報があり、数名送っていたのですが、今早馬が来て、落誕を確認したそうです」
「すぐに全員を集めろ! 非番も呼び出せ! こんな市街地で発生したのだ、直ちに討伐しなければ、
魔生の落誕は、戦時下や
「一体全体、何が起きている。終末期の始まりか?」
「所長、私の隊は、今帰還したばかりですので、すぐにでも出動できます」
言葉の通り、アラスターが率いていた小隊は、遠征から帰ったばかりのため、準備が整っている。対して、詰所の人員は、ラノクの教会焼失の調査にほとんどが出払っている。残っている者たちも、街の
「そうか。疲れているところ申し訳ないが、今一度、魔生討伐の任を任せよう」
「はい! 再度任務に就かせていただきます」
アラスター・リアトリスは、折り目正しく敬礼をした。その背に重くのしかかる責任をまるで感じさせない
🔸用語メモ🔸
🔸ラントの町
ユラ大陸の中央に位置し、交易の中心地。かつては、帰属をめぐり周辺国に割譲されたりを繰り返されてきた。現在は、皇国の領土となっている。
🔸
ユラ大陸西方の大分部分を自国領に収める大国。別名
🔸
唯一神の
🔸
異教からの防衛や邪教の
聖断とは、邪教を信仰する人民やその者たちが育んでいた文化に至るまでを穢れたものとして破壊すること。
🔸
民に皇神の教えを遵守させ地域の治安を維持することを目的とする。現実世界の警察に宗教の取り締まりを加えた組織。
🔸
皇神からの天啓を地上の民に伝える役目を担う
🔸
皇教に属するすべての人員を総称して聖警士と呼ぶ。
🔸
人の闇から生まれる危険な存在。
🔸
魔生が生まれること。落誕時は、周囲に黒い煙を振りまく。そのため、周囲に煤汚れが残る。ちなみに、消滅時にも同様の現象が起きる。
🔸
魔生を生み出した者のこと。一人の時もあれば複数の場合もある。
🔸
宿主と魔生を繋ぐ黒い髪の毛のような糸。実態は無く、触れることは出来ない。
🔸
宿主が死亡した時に強烈な負の感情を抱いていた場合に落誕する。
🔸
特殊な無色の鉱物。非晶質で一見、ガラスのように見える。聖警士では、眼鏡に加工され、配布される。
🔸
魔生が放つ穢れに過敏に反応する習性を持つ。穢れを感じるとけたたましく鳴き、頭を上下するような振る舞いをする。
🔸ローパ村
羊毛で生計を立てる小さな村。惨劇の舞台となってしまった。ラントからは、北東に二日の距離。
🔸ラノクの町
ラントから東に三日の位置にある。ダレンが住んでいた町。
🔹キャラクターメモ🔹
🔹オレグ所長
皇国の東端の要と言えるラント官憲の責任者。最近、下っ腹が気になる。
🔹アラスター・リアトリス
物腰柔らかい好青年。非常に優秀で名家の嫡男。ラント官憲への派遣は、自らの意志で希望した。本来は、士団庁所属で、現在は出向扱いとなっている。外見は、青い瞳にわずかに緑がかった金髪。身長は、平均以上。
🔹エズラ
オレグ所長の補佐官。発色良い橙色の髪と糸目が特徴。
🔴語句メモ goo国語辞書より引用(小学館大辞泉)
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