第2話 奴隷の少年

奴隷の少年


数日前


 ここ数ヶ月で、罵詈雑言ばりぞうごんには慣れた。殴られるのも慣れた。


「おい! 何、ほうけてんだ! ダレン!」


 怒鳴り声は、5つ上の先輩。礼儀がなってないと言いがかりを付け、人をぼかすか殴りやがる。今は、宿舎脇の壁で俺のことを恫喝どうかつしている。


「調子に乗んなよ。ちゃんと礼する時は、頭を腰の位置に下げんだよ!」


 いつも年下をいびるとき、普段より声を低く響かせる。見た目から入るタイプのようだ。


「調子に乗ってなんか無い。それより、先輩。あんた恥ずかしくないのか?」


 やめときゃ良いのに、いら立ち任せに言葉が滑り出る。先輩も感情に任せる馬鹿だが、俺も大概大馬鹿らしい。


「何がだ」


「あんたは、俺に何故いらだってるのか? 何で俺を殴るのか? しつけだ、教育だ、理由を付けるが、見え透いてる。あんたは、嫉妬してんだ。そうだろ? 俺がオーナーの気に入りだから、腹が立って仕方がない。そうだろ。新入りの俺が、古株のあんたより先に、奴隷剣闘士身分から上がるのが耐えがたい。そうだろ?」


 図星を突かれた先輩は、顔を真っ赤に染めた。鼻息荒く、まるで沸騰したヤカンみたいな音が聞こえそうだ。


「あんたは、何も分かってない。オーナーの傍付きか、奴隷剣闘士だったら、一万歩譲ってもこっちだ。あの野郎の近くなんて反吐が出る」


 グイっと胸倉を掴まれ、持ち上げられる。足が宙に浮いて、首元が詰まる。


「分かってないのは、お前だ! 俺は、自分が恵まれてるのに、気づかねー馬鹿野郎が大嫌いなんだよ! あの人に気に入られてんのに、なんだよその態度!」


 真っ赤な顔が目前に迫り、口から唾がかかって不快だ。相手の怒声に負けじと声を張り上げる。


「幸せな奴だな! あんたは! あんな狂人を尊敬できるなんて! それとも、救いようのない馬鹿か?」


「っ! クソガキが! なま言ってんじゃねー!」


 どたんと鈍い音と共に壁に押し付けられる。後頭部を打って、頭がぐらぐらするためか、罵声を浴びせる声が鈍くくぐもるって聞こえる。


 それなのに、どうしてか、その声は、はっきりと聞こえた。


「おいおい、穏やかじゃ無いね、君たち。剣闘士仲間なら、もっと連帯意識持ちなよ」


 顔を上げると、すぐそばの塀の上から上半身だけ出して女が見下ろしていた。市場側の塀で騒いでいたため、部外者に聞かれてしまったようだ。


「おい、クソアマ! これは、俺たちの問題だ。よそ者が口を出すんじゃねー」


 先輩がよそ者と言う通り、女の服装は、この辺りのものではない。それどころか、文化圏も違いそうだ。手首の裾が広く、胸の下あたりに巻いた布で服を留めている。


「そんな怒んないでよ。イライラされると、こっちも気持ちが荒くなっちゃうでしょうぅっが!」


 女は、塀の上に立つと一思いに飛び降りた。あっけにとられた先輩の顔の上に着地し、そのまま地面にめり込ませる。


「いや、あんた、何してんの」


「何って、可哀そうな子供を助けてあげたんだよ。言わないと分かんない?」


 いたずらっ子のような、ニヤリとした顔で先輩の顔を踏みしめる。よく見ると、皮靴ではない。顔から降りると、木と土が擦れる独特な音がする。靴は木製だ。赤く塗られたサンダルのような靴は、つま先がむき出しで、足の爪が見え、かかとが上がっている。


「ところでさ、この街に詳しい? さっきここに来たばっかりで右も左も分んないんだよ。だから、道案内してくんない?」


 俺が唖然としているのをいいことに、勝手に話しを進める。


「昼前だし、最初は、ご飯処を教えてよ」


 ふと太陽の香りが鼻を掠めたような気がした次の瞬間。女は俺の手首を掴むと、勢いをつけて、塀の向こう側に投げやがった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「悪かったよ。ちょっとの高さだし、着地できると思ってたんだ。悪気はなかったんだよ!」


「二度とすんな! あんたは、猿かなんかか? どこの世界に、5mをちょっとの高さっていう奴らがいるんだ!」


「えぇー、そんなにか弱いと思わなかったんだ。ごめんねー少年君」


「謝るか、けなすか、どっちかにしてくんないか?」


 石畳が敷き詰められた道を女と歩く。見慣れない女の靴は、カランコトンと音を立てる。腹が減ったと女が言ったので、とりあえず町の中心部にある市場に来ている。なんでここまで来ているのかというと、塀を越えてた時(※超えさせられた時)、豪快に頭から落ち、気絶した俺を、女が背負って市場まで運んだためである。意識があったら、絶対来なかった。


「ねえねえ、少年君。この町に来て長いの?」


 二人は、市場が見下ろせる階段に座って、黒パンをちぎっている。時刻は、正午過ぎ。


「そこまでじゃない。数か月だ。しかも、塀の外に出たのは、今日が初めてだ」


「なに? そうだったの? それじゃあ、詳しくないわけだ。ごめんね、役立たずって言って」


 こいつ、それで謝ってるつもりか? これで許される環境ってなんだ? しかし、腹は減ったので、不満を堪え、自分もパンを口にする。少しパサつくが奴隷用のカビパンよりは、断然良い。


「にしても、この町の奴ら、可笑しな人ばっかりだね。奴隷だからって店に入れないなんてさぁ。奴隷とあんたらの何が違うって言うんだか」


「可笑しいのは、あんただ。一般的に奴隷は、仮に主と一緒でも公共施設には、入れない。例外は、ヴィネリアの芸術奴隷の一部くらいだ。戦闘用奴隷なんて連れて行かない」


 言いながら、首に嵌った首枷が重みを増したようで、肩が痛む。


「へぇー、気に入らない常識だこと。ところで、少年君は、何で奴隷なの?」


「……あんたに繊細さって無いのか?」


「何? 傷ついた?」


 はあー。深いため息が意図せず零れる。この女、なんとも疲れる。人の心にずけずけ上がり込もうとする。


「よくある話だ。家族が死んで、天涯孤独になったから」


「ほうほう。それは、災難—」


 災難? ああ、そうだ。俺は、運が無かった。一人残されたのも、奴隷に身を落としたのも全部、全部、自分の所為じゃ―


「災難だ、なんて言うと思うか? が、現状は、お前の所為だろうよ」


「……は?」


 思わず、顔を女に向ける。なんてことを言うんだと、声を荒げてやろうと思った。そのはず、だった。けれども、首を回し、数段上に座る顔を見上げた途端、咽喉がカラカラと水気を無くし、声が出せなかった。

 それは、さっきまでのおどけた風貌ふうぼうがウソみたいな、侮蔑ぶべつ冷眼れいがんだった。鏡面きょうめんの瞳には、口を開けたまま、動けない自分が映っていた。


「耳が悪いのか? もう一度言ってあげよう。君が奴隷なのは、君が、それに甘んじると、決めているからさ。安易な安定のために、を放棄しているからさ」


 階段の踏み板に横向きに座り、片足は、行儀悪く下段に降ろす。上段の足は、膝を立て、そこに肘をついて、傾いた頭を支えている。顎が上がり、より一層、視線が俺を見下す。


「この世界は、お前がどんなに可哀想でも『はい、そうですか』でお終いだ。同情こそくれても、それだけよ。だからな、お前が自分から変えないと、何も変わりゃしない。誰も、助けやしないよ。誰も彼もが、自分で精いっぱい。お前なんか、気に掛ける暇もありゃしないんだ。自分を救えるのは、結局のところ自分以外無いんだよ」


 言葉が流れるにつれ、声は小さくなるのに、重さは増していた。最後の一言が、どうしようもなく胸に食い込んで、息が詰まった。


「……っ、俺のこれまでも知らないくせに、俺と同じ経験をしてきていないくせに……」


 唾を呑みこみ、必死に声を押し出す。頭に浮かぶのは、低いんだか高いんだか分からない独特な笑い声と、水が鼻を逆流する痛み。二度と笑いかけてくれない、家族だった肉塊。


「あんた何様のつもりだ! 分かったような事言いやがって!」


 女の目には、睨み付ける自分の顔が映っている。必死さがにじみ出て、なんとも様にならない。子猫が威嚇いかくするようなものだった。

 すると、女は両目をゆっくり閉じ、息を深く吸い込む。


「そうかい。確かにそうだな。それは、それは、失礼した」


 冷やかさは鳴りを潜め、最後のパンを口に放り込み、立ち上がる。


「私は、君のことは何も知らない。それなのに、君を意気地なしの根性無しと決めつけるなんて……礼儀に欠いていたな。今日は、引きずりまわして悪かった」


 そう言うと階段を下る。

 肩透かしを食らった気分だ。てっきり、もっと俺の性根を暴くような言葉を並べてくると思っていた。


「なんだよ。不気味なくらいあっさり引くんだな」


 女は、階段を下り続ける。やはり、木材のカランコトンと打つ音が響く。


「こう見えても、おねぇさん、先を急いでんの。一雨来そうだから、もう町を出なきゃなんないの」


 何を言っているんだ? 空は、快晴。雲一つない。仮に、雨が降るとしても、その言動は不自然だ。雨が降るから町を出る? 普通、雨が止むのを待つものだろう。


「雨宿りしないのか?」


 人を意気地なし、根性無しと言いやがったことを責め立てたい気持ちもあるが、再び、あの目に眺められるのは、避けたい気持ちが勝った。


「この時期、普通雨は降らない。だから、ただの通り雨だろう」


 全然降りそうもない空だが、話を合わせてやる。


「私が君を知らないように、君も私を知らない。あたしにとって、唯の通り雨にならないのがあんのよ」


 しとしと。しとしと。青い空から、細い糸のような雨粒が落ちる。


「しのげる傘でも、あれば良いけど。そんなもん、無いんでね」


 階段の一番下に降りると、ようやく後ろを振り返る。

 それまで、何故、気付かなかったのか分からない。


「ほんとは、君ともう少し話したいところだけど、もう町を出る。今日は、連れまわして悪かった、そしてありがとう…………最後に、これだけもう一度。肝に命じな」


 見上げる瞳には、快晴の青を背景に凍える青の髪と二対のモーブの目がはめ込まれた少年の姿が写り込む。


「自分を救えるのは、自分だけだよ、少年」


 背を向けて歩き去る。その腰もとには、剣と思しき代物が違和感なく結ばれていた。



🔸用語メモ🔸

🔸ヴィネリア

青い海が自慢の芸術と娯楽の町。ガラス工芸など様々な美術的工芸品が有名。主な輸出品目は美術品。芸術文化が盛んで特にオペラなどの歌唱劇が有名。

🔸美術奴隷

芸術を作り出す、若しくは、自身が芸術となることが求められる奴隷。美芸奴隷と美人奴隷に分かれている。美芸奴隷は、主に音楽や絵画などの芸術作品を作ることが役目。美人奴隷は、見た目の美しさが求められる。公共施設への立ち入りが許可されるのは、高名な美芸奴隷と美人奴隷だけである。


🔹キャラクターメモ🔹

🔹ダレン

奴隷剣闘士の少年。先輩と折り合いが悪い。町に来て数か月。薄い青の髪とモーブ色の瞳。

🔹五つ上の先輩

ダレンがオーナに気に入られていることに嫉妬している。度々、年下をいびっている。

🔹オーナー

ダレンが所属する奴隷剣闘士団の所有者。ダレン曰く、狂人らしい。

🔹鏡瞳の女

異郷の女。袖が広く、胸の下のあたりに帯を巻いて服を留めている。赤い木製のサンダルを履いている。太陽の香りがするらしい。ちなみに、5mの高さは、飛び越えるのに大したことない高さらしい。


◇事象メモ◇

◇天気雨

晴れているのも関わらず、雨が降った。鏡瞳の女は、この雨がしのげる傘が無いから、町を出ると言った。何か理由があるのだろうか?

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