師弟

今思えば、私は田舎から出てきたばかりのトロクサイ少年でした。少なくとも人目にはそう見えていたはずです。


私が通う学校は国家資格を得るための学校で、隣接する技術系の会社で実習を受ける必要がありました。

学生をマンツーマンで指導する担当の職員は課長が決めるのですが、私の担当になった職員は目つきの鋭い木村という人でした。

この人の隣に席を作ってもらい、助手として仕事を手伝いながら技術の習得をするのです。


で・・ですね・・

この木村さんのことなんですが。


目つきが鋭い・・

頬が痩けている・・

私服が黒シャツに赤ネクタイ・・

東京育ち・・

早口で喋る・・

口が悪い・・

課長に嫌われている・・

腕はいい・・

僕のことを名前で呼ばない・・

「おい」とか「こら」とか「ばか」と言う・・

すぐに「お前なんか田舎に帰れ!」と言う・・

とまあ、こんな感じです(笑)


ともかく嫌な感じの人でしてね。

ところが他の同級生に付いている職員は皆、優しい人なんですよね。


・・なんでだよ、何で僕だけあんな人なんだ!・・


噂では木村さんは課長に嫌われていて、そのせいでこれまで学生の指導から外されていたらしいのだ。

今回始めて僕の担当になったらしい。


こういう人の下では緊張する。

緊張すると失敗も増える。

すると「バカ!! 田舎に帰れ!!」と怒鳴られる。毎日、毎日それの繰り返じゃあ嫌んなりますよ。

こんな所に来るんじゃなかったって後悔しました。


それでもね・・

一年たってみれば、僕もそれなりにサマになってきたんです。

そんなある日の事でした。

「おい! 今日仕事すんだら予定あるか?」

「いや、別に何も・・」

「じゃあ俺についてこい!」

「はあ・・」

「はあ、じゃあなくて、はい!だろう!?」

口うるさい人なんですよ。


会社の門の外で待っていると木村さんがやってきました。


黒いペラペラのスーツ・・

黒のシャツ・・

渋い赤ネクタイ・・

痩けた頬・・

そして、肩をゆするチンピラ歩き・・


「今日はな、良い事が有ったんで石原君と飯食おうと思っ

てさあ。」

「あ・・はい!」


ええ!!  どうしたことだ!・・今日は「石原君」だよ。

初めて名前で呼んだんじゃあないかなあ・・


連れていかれたのは新宿の末広亭の近くの店でした。

ノレンをくぐると、なんと運悪く満席です。

店主が・・

「すみません木村さん、満席なんですよ。」

と申し訳なさそうに言う。


しかたないから出ようとしたその時、

「あっ、俺たちもう終わりましたので、どうぞ。」

と店の隅にいた若い客が立ち上がった。

この二人は、どう見てもチンピラ風だ。しかもこの二人は、まだほとんど食べてない。

木村さんに気を利かせているようなのだ。

すると木村さんは・・

「悪いなあ、後で礼はするからな。」

・・なんだ、知り合いかあ・・・


「石原君、何でも注文しろよ、気を使わないでいいから。」

そう言われて私はカツ丼を注文した。

すると木村さんは、

「俺は焼きそば・・大盛な!」


僕が、え!?って顔をしたので、それに気がついて・・

「そーなんよ、何の因果か貧乏人の食うような物が好きでね」

すると店の主人が・・

「木村さん、ウチの焼きそばは貧乏人の食い物じゃないよ!」

「何言ってんだよ。新宿界隈まで来て焼きそば食ってるような

奴は貧乏人だよ。 なーっ、そうだろ!」

と焼きそば食っている隣の客に振る。

客はウンウンって笑いながら頷いている。

・・木村さんはこの辺の人なんだろうか・・


「あのさあ・・」と木村さんが言う・・

「隣の課長にさあ、秘書みたいにくっ付いている女がいるだろ。」

「ええ、 牧さんでのことですね。」

「彼女から聞いたんだけどさあ・・・ウチの課長と隣の課長が

話していたらしいんだ・・お前のことを。」

「僕の事をですか!?」


「石原君さあ、、社内品評会に作品を出しただろ。」

「はい、木村さんに出せ出せって言われましたから・・」

「あれさあ、幹部の間ですごい評判が良かったらしいんだ。」

「誰の作品か調べると、学生の作品だろ、しかも一年生だ・・

それで、びっくりしたらしい。それでさあ・・」

と木村さんは続けた。

「でさあ、誰が指導してるんかって事になるわな。すると、俺だよな~。これは立派な不良社員だ! で、またまたびっくりしたって事なんだよ!ハハハハハハ」


「いやー、僕もびっくりですよ。はじめて知りました。」

「俺もびっくりよ! でな、普通指導者は一年で変えるよな。」

「そうなっていますよね。」

「ところが、俺たちは来年もこのコンビで行くらしいんだ。

 何だよ!  そんなにガッカリした顔するんじゃねえよ。」

「いや、ガッカリなんてことは無いですが・・」

「これは良い話なんだぜ。幹部たちは俺たち二人に期待して

いるわけよ。石原君がどこまで伸びるのか・・俺がどこまで指

導出きるのか・・もう1年やらせてみようという分けなんだ。」


話しているうちに店は客席が空いてきたようで・・

店の主人も側に来ました。

「木村さん、良い話じゃないの。」と店主。


そして僕に向かって・・

「あんたさあ、今頑張らなきゃいけないよ!。でないと木村さん

に恥をかかしちまう。あんた若いから分からないだろうけどね、

こういうチャンスは、人生にそんなにあるもんじゃあ無いからね。

ここが頑張りどころだわな。」

そう店の主人が言うと、木村さんは嬉しそうに・・

「大丈夫よオ! ばっちりしごいちゃうからよー。ハハハハハ!」


次の日から木村さんは、仕事場でも僕を石原君と呼ぶようになり

ました。そして指導内容はより高度になり、失敗も増えました。

私が失敗すれば後始末は木村さんの仕事ですから・・

当然のように木村さんの残業は増えていきました。


しかし失敗は貴重な体験です。何をしてはいけないか、どん

な考え方がマズいのか。 実体験で身に付きます。


そのような状態が一年も続くと周りの木村さんを見る目はあ

きらかに変わってきました。先輩達も私に一目を置いている

のが雰囲気で分かるようになりました。


そんな或る日の事、木村さんが私を食事に誘いました。

今度は新宿の高級料理店でした。

座敷の部屋で向かい合わせに座り、仲居さんが一人付きっ

きりです。

少し料理を食べたところで、木村さんが仲居さんに・・

「ちょっと話があるので・・」

「分かりました、御用がありましたら呼んでください。」

と仲居さんが席を外します。


「まあ、一杯だけ付き合えよ。」

と日本酒を。

「今日、課長に呼ばれてね。俺この会社に勤めて八年になる

けど、今日始めて課長に褒められたよ。」

「そうなんですか。」

「石原君をよくあそこまで育てたな、大したもんだってね・・

俺が教える事はもう無いって言われたんだ。」

「そんな事は無いですよ。」

「いや、無い。 ほんとうに無いんだ。石原君がみんな持って

いっちまって・・俺、からっぽになっちまったよ!ハッハッハッ

ハッハ」

冗談を言いながら木村さんは少し目を赤くしている。

こんな木村さんを見るのは始めてです。


「今日、課長の前でさあ、石原君のことを誇りに思ったんだ。

こんな事は初めてだよ。」

「僕も木村さんを誇りに思ってますよ。」

「そうかあ!? うまいこと言うなあ。」

「いや、本当ですって!」


「来週から安田課長が石原君を指導するからな。」

「来週からですか。急ですね・・・」

「おいおい、しけた顔すんなよー、食おうぜ! 」

「あ、はい!」


そのままずっと、木村さんと一緒に座っていたかった。

そのまま話し続けていたかった。

僕達は戦って来た同士のような信頼感に包まれていた。

一緒に戦った戦友のようにお互いを誇りに思っていた。


僕は知っている。いや、僕だけが知っている。

黒いペラペラのスーツの木村さんの・・

黒のシャツに赤いネクタイの木村さんの・・

痩けた頬のチンピラ歩きの木村さんの・・

本当の価値を。

それが嬉しかった。


この二年間の事は・・

この木村さんの笑顔とともに、僕の心に焼き付けておく・・

決して、一生忘れることはないだろう。

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