『球根』
11月某日。
この日は朝から身体が重かった。
前日まで姉と強行スケジュールで地元・埼玉に帰っていた為、心身ともに疲れが溜まっていたのかもしれない。
着いてすぐさま両親のお参りを済ませ、その日の夜から翌日の夜までの限られた時間の中で生前にそれぞれが深交の深かった数人に会い、今朝早い飛行機で北海道に戻ったというのも大きく影響していると思う。
高校で古典の教師をしていた 父。
お茶とお華の教室を開いていた 母。
仲の良い夫婦で、逝く時も一緒だった。
***
1年前。
高速道路で突如横転したトラックにタクシーが追突した。
タクシーの後ろにトラック・バス・トラックと続いたそれは、あわせて5台を巻き込んだ不幸な玉突き事故だったが、トラックの間に挟まれた形になったタクシーとバスの被害は特に大きかったらしい。
バスはエンジン付近から炎上。
火の消し止めにも時間を要し、乗客の大半が身元の特定が出来ない程に損傷が激しい状態で発見される事となる。
その中に、ゆきの両親がいた。
就職活動中だったゆきにとってその日は最終面接の行われる日で、いざ大学から出発しようとしたその時に緊急の電話が入り、それから先の事はほとんど覚えていない。
両親が夫婦水入らずの旅行に行く道中での事故である。
普段は自分達で運転して出掛ける2人だが、たまには運転せずにのんびりしたいという事で珍しく申し込んでいたバスツアー。
朝早くから楽し気に出掛けて行く2人を見送ったのが最期になった為、また2人で「ただいま」と元気な姿で帰宅するような錯覚を起こす。
辛うじて父の弟と母の妹が遺体を確認したが、ゆきも姉のこのみも両親の姿を確認させて貰えないほどの状態だった。
そのせいもあってか、私たち姉妹は年が明けてからもなかなか両親がいないという事実を受け止めきれないでいた。
当時のゆきには高校時代から付き合っていた相手がいたのだが、予想だにしていなかった慌ただしさと両親の死を受け止め説明する気力が生まれないという両方から、全く連絡を取らない状態になりすっかり疎遠になっていた。
無情にも時間は過ぎていき、2月になると姉のこのみは婚約者の登が札幌へ転勤するのをきっかけに北海道に移住する事を決めた。
このみがゆきにも北海道での就職を薦めてきたのは、いまだ立ち直れずにいる妹が心配だった故だろう。
事故以降就職活動がストップしていたゆきは、姉と共に北海道に行く事を決心した。
同学年の友人達から比べるとかなり遅れての就職活動再始動となったが、学校サイドの協力もあり蓮香斎場への就職が決まる。
相続諸々の手続き・家族で暮らしていたマンションの解約…そのほとんどをこのみがやってくれたのがありがたかった。
3月には一足先に札幌へ引っ越した姉が登との同棲をスタートし、その後すぐにゆきの住むアパートの契約にも動いてくれた。
無事卒業式を終え、その日の内に北海道へと向かう。
そこまで決まってからようやく、ゆきは彼氏に連絡を取って一方的に別れを告げた。
何度もかけてくれていた電話にも出ず、メールも返さず、会う事もせず、それでも諦めずに連絡し続けてくれた彼。
何故彼に頼ろうとしなかったのかはわからないのだが、1年以上経った今改めて考えるとあの時はまだ現実を受けとめきれていなかったのだと思う。
事故の事も引っ越しの事も何も話せなかったのだが、あれだけニュースになった事故だったのだから両親が亡くなった事はわかっていただろう。
母にも気に入られていて何度も両親と顔を合わせていた彼だから、もしかすると葬儀にも参列していたかもしれない。
それでも結局自分の口からは何も伝えられなかった。
北海道に向かう機内は空いていて、ゆきの隣には誰も座っていなかった。
窓側の席からは空港の滑走路の光が綺麗に見える。
夜の滑走路はこんなにも美しいんだなぁ…とぼんやりと思う。
いよいよ離陸するという時に雨が降り始め、窓に当たる雫で夜景が滲んだ。
機内で聴ける音楽チャンネルではTHE YELLOW MONKEY特集をやっていて、母の引き出しから勝手にCDを借りて聴いていた時の事を思い出す。
「あぁ、全部夢だったらいいのに…」
目を閉じそれをゆっくり聴きながら、機内で少しだけ泣いた。
***
ほんの僅か遅延した羽田からの便が新千歳に到着する。
そのまま急いで快速電車に飛び乗り、帰宅後すぐに準備をしてひと息つく間もなく出勤した。
今日の役割は坂元が担当する葬儀の補佐役だ。
坂元と同い年の男性で、進行性のガンで余命が半年と宣告を受けた彼は勤めていた会社を退職。
体調の良い時には自由になったその時間を使って夫婦で旅行に出掛けたと言う。
結果的に宣告を受けてから1年半後に亡くなった。
葬儀では奇しくもTHE YELLOW MONKEYの『球根』が使用された”お別れビデオ”が映し出された。
亡くなる3日前。
自分の葬儀の際にはこのCDをかけて欲しいと奥様に頼んだらしい。
病室に持ち込んでいたラジカセで、その日は2人でこの曲を聴いたそうだ。
その時に握ったご主人の手の温もりはこの曲と共に一生忘れられないものになった、と打ち合わせの時に話してくれた事を思い出す。
いつでも力強く引っ張ってくれていたその手はすっかり細くなってしまっていたけれど、その温もりは変わらないものだったと泣いていた。
今日、お別れビデオを見つめる奥様の横顔には涙は流れていない。
優しい眼差しでお別れビデオを観てくれていたその表情は、なんだか忘れられそうに無かった。
「ゆきちゃん」
帰り際、従業員用駐車場で坂元から不意に声を掛けられる。
「はい、呼びました?」
「うん。今日はお疲れ様。ゆきちゃんにも、希望の水があるハズだからね」
それは球根の歌詞を受けての言葉だった。
「ふふ、ありがとうございます」
「うまく言えなくてごめん、本当に、お疲れ様」
一礼して坂元の車を見送る。
坂元の優しさに救われた反面、なんだか少し苦しくも感じた。
「希望の水か…根が枯れる前に探し出せるかな」
1人きりになった駐車場で思わずそう呟いた。
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