『この木なんの木』

「千秋主任。この曲ってこんな素敵な歌詞だったんですね」

思わずそんな言葉が口に出る。

「懐かしいよねぇ。結構昔の曲だったと思うけど林さんも知ってるんだ?」

「どのくらい前に聴いたは思い出せないですけど…有名な曲ですよね。でも歌詞をじっくり調べた事は無かったです」

「確かに、私もそうだわ」


今回お別れビデオを依頼してきた斉藤さんは、以前ゆきがビデオの作成を担当した関野さんのご友人。もともと蓮華斎場の会員さんでもある。


ゆきの勤めている蓮香斎場には会員システムがあり、法事のプランニング・お悔やみやお供え、そしてお祝いの花ギフト・家族や本人の葬儀のプランニング・日頃の備品・線香や数珠などを会員価格で購入出来る。

その都度支払う事も出来るのだが、毎月一定額での積立をしておいて多額の費用がかかる葬儀の際にそれを元に執り行なうというシステムを利用する方がほとんどだ。

積立の年数を重ねる毎に割引ポイントがつくなどメリットも多く、利用者の評判も上々らしい。

会員になると選択出来る葬儀プランも増える為、自分の時に使って欲しいプランを相談したいと依頼を受ける事もよくあった。

その中で多いのが会員のみが利用出来るプランの1つ、『生前から”お別れビデオ”を考案出来る』というサービスに関して。

ゆきが請け負った案件もまさにそれで、入院中の斉藤トシさんの”お別れビデオ”の打ち合わせを今しがた終えた所だった。


ゆきにとって初となる担当葬儀。

入社して半年に満たないゆきが担当する為、上司である佐藤千秋が補佐役でついてくれた。

葬儀というのは急なものなので、通常は何をするにも時間に追われての作業になる。

遺族は勿論、斎場側としてもあまりじっくりと向き合うような余裕が無いというのが一般的だろう。

今回の依頼は存命中に自分の葬儀について少しでも決めておきたいというものだった。

世の終活ブームの余波がこういう所にもきているのだなと改めて感じる。


斉藤家の葬儀や法要は代々蓮香斎場が執り行っていて、2週間後に80歳の誕生日を迎える トシも蓮香斎場での葬儀を希望されている。

彼女からプランニング依頼がきて最初の打ち合わせをしたのが9月。関野さんの葬儀に出席してお別れビデオを観たことがきっかけだったらしい。

その後しばらくはトシの体調が優れず、2度目の打ち合わせは入院中のトシに代わり1人娘の倉田陽子さんとのものになった。

ゆきは千秋と共に斎場の応接室でいくつかの要望を聞いたのだが、その時に陽子から『この木なんの木』のCDを探して欲しいと依頼があった。


「この木なんの木、って曲がかかるCM 観た事あります?」

陽子からそう切り出された時、ゆきは広い大地に大きな木がゆったりと映し出されるあの有名なCMが瞬時に思い浮かんだ。

「あ、わかりますよ!あの大きな木の。あれって確かハワイにあるんですよね?」

「そう、オアフ島!両親の還暦祝いの時に家族3人でそこに行ったんです」

陽子が可愛らしく微笑みながら続ける。

「なんだかいつまでもあの旅行が忘れられなくて。父が亡くなる前の最後の家族旅行だったからなのかもしれません」


トシは10年程前にご主人を亡くし、それから命日には必ず陽子の家族とお墓参りに行っている。その際に必ず持って行くのがオアフ島で撮った家族写真だと言う。

「父はあのCMの会社に勤めていて、あの年に定年退職したから…ハワイ旅行は退職祝いも兼ねてたの」


トシのご主人がその会社に勤務していた頃、ここまで皆の記憶に残るCMになるとは思っていなかったらしい。

今ではCM自体 9代目にもなるそうで、初代CMはオアフ島の木ではなくアニメーションだった事に驚いた。

「すごく昔の曲だから、いざCDを探そうと思ってもなかなか無いんじゃない?って子供達が」

その読みは正しく、ゆきがCDを探し出し購入するまでに2週間近くかかった。

亡くなった当日に ”お別れビデオ”の依頼を受ける事がほとんどなので、もし今回がそれであったなら希望の曲での制作が間に合わなかった計算になる。


10月に入りゆきは斉藤家の葬儀プランと”お別れビデオ”の大枠の作成を終えた。

「誕生日までには元気に退院する」と宣言していたトシは見事その公約を果たし、誕生日前日に陽子と共に斎場に訪れた。

葬儀プランの見積もりと、ビデオ制作用に購入していたCDを渡すとトシが嬉しそうに言った。

「この曲が聴くのが楽しみで、いつまでも病院で過ごしていられないって思えちゃった」

柔らかい笑顔と弾んだ声色からも本当に楽しみにしてくれていた事が伝わる。

「お母さん、入院前よりも元気一杯で。林さんに色々プランを提案して貰ったけど、お母さんが実際にそのプランを使うのはまだまだ先になりそうで良かった」

微笑み合う母娘にゆきの心の奥深くが温かくなり、それと同時に微かな淋しさが押し寄せた。


誰しもに必ず訪れる"死"に対して前もって準備出来る事もある。

蓮香斎場で勤務して学んだ事だ。

こんな風に穏やかに笑い合いながら、家族と自分の最期について語り合えるのだという事。

「色々話しておきたかったな…」

今となっては決して叶わないその願いがポツリとこぼれ出てしまう。


 ***


数日後トシから再度お礼の電話がきたのだが、その際トシからもオアフ島での思い出話を聞く事が出来た。

最後の家族旅行となったあの時、実際に島に着いてみたらあまりにも沢山の大きな木がありどれがCMで映されているものなのかわからなかったらしい。

へとへとになるまで歩いた3人は、何となく似ている気がするからこれがあのCMの木だろうという事でそこで写真を撮った。

その木が本当にあの大木かどうかはわからない。それでも、充分過ぎる程に幸せな想い出になっている。

大きな木の下の3人の笑顔がそれを物語っていた。

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