『スリラー』
北海道にしては厳しい残暑の中、ゆきの勤務先である蓮香斎場の食堂には夜に担当の葬儀を控える升本部長と千秋主任がいた。
「ご家族への説明は千秋くん頼むよ。花輪の設置場所は俺がお偉いさんと打ち合わせるからさ」
升本部長はこの斎場の創立時からの従業員で地元の有力者への顔も広い。
どんな葬儀でも失敗するわけにはいかないが、とりわけ升本部長の抱える案件で何か問題が発生した場合は取り返しがつかない。
ゆきのような新人の首などいくつあっても足りないくらいの葬儀の大きさなのだ。
そんな事もあって部長の担当葬儀で新人社員が手伝える事などはただの1つもなく、主任クラスの従業員がその役割を担う事になっている。
今夜の葬儀では、ベテランの佐藤千秋主任が補佐役だ。
冷奴を口にしかけた所で ゆきの携帯に着信音が鳴り響く。
ディスプレイ画面に浮かぶのは =事務所 里奈さん= の文字。
「あら、ゆき ちゃん。お昼もゆっくり出来ないね〜」
そんな升本の声を着信音が掻き消す。
休憩中の社内電話など正直言って嫌な予感しかしないが恐る恐る出る。
「里奈さん、お疲れ様です!」
社内に佐藤姓が多い為下の名前で呼ぶ事になっているのだが、ひと回り上の先輩をそう呼ぶのは未だに慣れない。
「林さん?里奈です。こんな時にあれだけど…やっぱり入っちゃった。夕方にはご遺族がいらっしゃるので、申し込み諸々よろしくね」
事務局長である佐藤里奈の声がなんだか遠くに聞こえる。
入っちゃった、というのは病院や遺族から葬儀依頼の電話が入ったという事。
普段ゆきが葬儀担当を受け持つ事はないが、ここ数日あまりにも葬儀が立て込み他の先輩達も皆 それぞれの現場についている為その可能性はあった。
ゆきの教育係である坂元も例外ではなく、坂元の手があく夜までに依頼が入った場合 葬儀申し込みやオプションである”お別れビデオ”を希望する場合はそのデータの作成を担う事になっていた。
「やっぱり入りましたか…わかりました!すぐに事務所に戻ります!」
(せめて冷奴くらいは食べきりたかったな)
そんな事を思いながらも足早に片付け席を立つと、升本と千秋が揃って手を振るのが見えた。
***
「あの人、マイケル・ジャクソンが好きでねぇ…」
斎場の応接室で、数枚の写真とCDを手に 喪主である関野スミ子が微笑む。
「マイケル…ですか」
里奈が準備してくれていたビデオ作成用ノートにメモを取りながら、マイケル・ジャクソンの曲を数曲頭に思い浮かべてみた。
マイケル・ジャクソンは ゆき自身も好きでよく聴いている。
壮大なバラードも多いし確かにお別れビデオに合うかもしれない。
CDは持っているので改めて購入に走る必要も無い事にホッとする。
(これは比較的スムーズにビデオ作成が出来そうだな…)
そう思った矢先、スミ子の口からは思いがけない曲名が出てきた。
「『スリラー』であの人のビデオを作ってくれない?」
「『スリラー』…ですか」
葬儀でかけるには意外な選曲で思わず口籠もる。
その他の簡単な打ち合わせを済ませ、ビデオに関しては一旦保留にして貰いスミ子を見送った。
いくつかの事務業務を済ませた後、『スリラー』を用いた"お別れビデオ"に関して考えてはみたが良い案が浮かばない。
大まかな流れすらも決められないまま時間だけが過ぎていき、既にシフト上での退勤時刻を過ぎていた。
このままここで考えていても大きな進展は見込めないだろう。
気分を変える為にも早々に帰宅する事にした。
***
「まさかこの曲でくるとは…」
ニャー
「あ、ピースごめんね。なんでもないよ」
数枚の写真を手に途方に暮れているうちについ声に出してしまっていたらしい。
飼い猫にまで心配されている事がなんだか可笑しくて、思わず笑ってしまった。
こちらを見ながらまだ少し心配そうにしているピースにご飯をやり、珈琲を飲みソファーで一息つく。
(さて、もう一度頭から構成を考えてみよう…)
ゆきは今まで升本や坂元が作成した映像を数多く観てきたが、それはどれも感動的な内容だった。
果たして 『スリラー』で感動的なものに仕上がるのか?
名曲なのは間違いないしスミ子からは 2人の思い出の曲だとは聞いている。ただそれが、参列に来た他の人達にもうまく伝わるのだろうか?
応接室で聞いた思い出を頭に描きながらストーリーを考えてみるものの、やはり何も浮かばない。
アルバムを何度も聴いている内に日付が変わってしまっていた。
「あー…今日はもうダメだ。明日の朝スミ子さんに違う曲にしてみないかと提案してみようかなぁ」
うたた寝をしていたピースが目を覚ましたようで、片目だけ開いてゆきの顔を眺める。
「あ、ごめん、起こしちゃった。まだ少しかかるから先に寝ててね」
ピースはそのまま目を閉じて眠りについてくれた。
葬儀というのは前もって準備出来る方が稀。
友引などに当たらない限りは、依頼を受けてからの時間などほとんど無く1分・1秒が非常に重要になる。
依頼主の希望にはやはり忠実でいたい…
膝の上の体温を感じながらそうこう考えているうちにすっかり深い時間になっていた。
ここで迷っている時間はない。
解決法を見い出せずいるよりも…と、坂元の助けを借りる事を決心し電話をかける事にする。
「自分1人で判断出来ない事は抱え込まずに人に聞く事も大切な仕事」そう教えてくれたのが 他でも無い坂元だ。
(こんな時間に絶対迷惑だと思うけど…次のコールで出なければ切ろう)
その瞬間、穏やかな声が聞こえた。
「お、ゆきちゃん?遂に僕を頼りにしてくれたのかな」
その声が心なしか笑っているように感じる。
帰宅前に残した坂元宛の引継ぎメモには打ち合わせで話した内容と、ビデオに関しては今日1日持ち帰って考えてみるた書き残してきた。
それを読んだ時点で、ゆきがビデオ作成に苦戦している事はお見通しだったのかもしれない。
「こんな時間にすみません…助けて下さい」
坂元はやはりさすがだった。
「ゆきちゃん、関野さんの馴れ初めは聞いた?」
「馴れ初めですか?『スリラー』が思い出の曲とは聞いてますが、馴れ初めは伺ってないです」
「関野さん達は職場結婚で、そのキッカケが職場の皆で出場した 仮装盆踊り大会だったらしいよ」
昨夜 現場の仕事を終えた坂元は、ゆきの引き継ぎメモを見てから関野夫妻が以前勤めていた会社の社長にいくつかのエピソードを聞いておいてくれていた。
2人は当時、建築会社 ホッカイホームで働いていたらしい。
毎年夏に開かれる市内の大きな仮装盆踊り大会に出場した時のホッカイホームの仮装テーマが『スリラー』だったという。
他の事務員と共に衣装係として社員全員分の仮装衣装を担当していたスミ子さんは、日夜練習に励む営業部の人達を見ている内にムードメイカーの関野さんの事が気になるようになった。
関野さんもまた、慌しい中においてもいつも社員達に優しい笑顔で接し、冷たい飲み物やタオルを渡すスミ子に好意を持った。
皆を盛り上げながら全力で踊ったラストのキメのシーンで関野さんのスボンが破れ、真っ赤なパンツが見えた所が子供達に大ウケし審査員特別賞を受賞したらしい。
「俺の勝負パンツが勝敗をわけたな」とあまりにも自信満々に言うので、責任を感じていた衣装係も救われた事だろう。
この日の打ち上げで交際が始まったのだから『スリラー』が2人の思い出の曲というのは勿論の事、社員皆にとっても印象深い曲だった。
「スミ子さん、今でもずっとご主人の事を子供みたいに元気で やんちゃな人だって言ってたよ。参列してくれる人達には、悲しい顔じゃなくて笑顔で見送って欲しいって話してた」
「そういう事だったんですね…」
「ま、とりあえずゆきちゃんは今日はもう寝なさい」そう促され、ようやくゆきは安心して眠りにつく事が出来た。
翌朝、坂元と共に関野宅へ赴き更に数枚の写真をお借りする。
前日に用意してくれていた写真も笑顔が溢れるものばかりだったが、そこに仮装盆踊り大会の写真や野球大会の写真などが加わるとますます関野さんの人柄が伝わってきた。
野球大会の写真は泥だらけのユニフォームを着て腕に包帯を巻いた関野さんが真ん中で笑っている。
ホームへのスライディングで腕を骨折したそうだ。
関野さんの通夜で流れた ”お別れビデオ”は 参列者が皆大笑いしながら観てくれていた。
いつの間にか私は"お別れビデオ"というものの意味を履き違えていたのかもしれない。
涙を誘うような感動的なものを作らないといけないと心のどこかで思っていたのだ。
ムードメイカーだった関野さんの周りには、そんな彼を大好きな明るくて優しい人達が集まっているんだな…
そう感じる素敵な葬儀だった。
***
「お父さんとお母さんの葬儀の時に、”お別れビデオ”を作ってあげたかったなぁ…」
帰宅後すぐに電話で姉にそう伝えると「2人の曲の好みは違い過ぎるから、2曲分作らないとどっちかに怒られちゃうよ」と言われてしまって2人で笑った。
確かにあの人達ならそうかもしれない。
2曲分のビデオの作成は随分骨が折れる作業になっただろうが、今となってはもうそれすらも出来ない。
他の誰に見て貰うでもない、私たち2人の姉妹の為のビデオを作ろうと決めた。
蓮香斎場に入ってから、様々な別れと向き合い、多くの経験を得られている。
お葬式は悲しいもの。
それは勿論そうなのだが、故人に抱く想いは悲しいだけではないと知った。
思い込みにとも言えるような固定観念に縛られていた自分が恥ずかしくなった。
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