18節 楔
玉座に腰掛けているのは、見た目にはアレニエさんと同年齢程度の女性だった。
うなじの辺りで切り揃えられた髪は、血のような暗い赤。両の瞳は、部屋を照らす炎の色と同じ、紫だ。
肌は白い。人間とあまり変わらない、色素の薄い綺麗な肌だった。色白で豊満なその身を、赤と黒を基調としたドレスで飾り付けている。
ただし、耳は尖り、頭部には二本の捻じれた角が生えている。魔族であるのは疑いなかった。角の片方には小さな王冠が掛けられていた。
「お前たちが、ルニアが言っていた半魔と人間――アレニエとリュイス、だな。招待に応じてよくここまで来たな。この城に客人を招くのは初めてのことだ。歓迎しよう」
見た目通りに若い女性の声。けれど見た目にそぐわない尊大な口調。頭は軽く混乱し、さらに部屋を埋め尽くすような濃密な魔力に息が詰まる。彼女が――
「あなたが――魔王?」
すぐ隣から聞こえてきたアレニエさんの声に、呪縛から解けたような安堵を覚える。ただ、その声は少し意外そうな響きを帯びていた。
「そうだ。
魔王――ヴィミラニエは名を告げると、次には口元に笑みを浮かべながらアレニエさんに問いかける。
「意外そうな顔をしているな。醜悪な怪物の姿でも想像していたか?」
「んや。どっちかっていうと……綺麗だな、と思って見てた」
その言葉に魔王は――
「フ――ハハハ! 綺麗か! ハハハ! 妾にそんな台詞を吐いた者は、これまで誰もいなかったぞ! ハハハハ! ルニア、お前の言う通り、面白いやつだな、こやつは」
「恐縮です」
賛辞を受けたルニアが
「わたしたちが、初めての客人? 勇者は?」
「奴らは城に忍び込む暗殺者にすぎん。招いた憶えはなく、客人でもない」
「そっか、確かにあなたから見ればそういうものかもね」
納得するんですかアレニエさん。
「中でも先代の勇者は血気盛んだったな。会話は通じず、とにかく我らを殺すの一点張りだ。聞けば例の『戦場』で散々魔物たちを殺し回ってから、この城までやって来たというではないか。よほどの恨みがあったのだろうな」
「あ~……」
アレニエさんが仕方ないというような声を上げる。彼女自身、先代勇者と遭遇したことがあるため、その様子が脳裏に浮かんでいるのだろう。
その際には彼は、アレニエさん(まだ十歳程度の子供だった)が半魔だと判明した瞬間、殺意を露わに斬りかかってきたという。それがましてや、相手が魔物たちの王ともなれば。それに向ける殺意がどれほどのものか、私では想像もつかない。
「さて、こちらの招待に応じたということは、お前たちにも何か望むものがあるのだろう。今の妾は気分がいい。遠慮せずに申してみよ」
「そう? それじゃあ、魔王――って呼ぶのもなんだかな。ヴィミラニエ――も、ちょっと言いづらいかな」
「好きなように呼ぶがいい」
「じゃあ、ミラで」
怖いもの知らずですか、アレニエさん……!?
「構わんぞ。愛称で呼ばれるのも初の経験だな」
いいんだ……
「じゃあ、ミラ。本題の前に、ちょっと気になったことがあるから聞きたいんだけど……あなたはこれまで、自分から城の外に出てどこかに攻め入ったことは、一度もないよね。どうして? 下手に外に出て勇者に討たれないように、とか?」
「ふむ、それか……当たらずとも遠からずだが」
魔王は、一拍置いてから口を開いた。
「妾はな、この城を出られぬのだ」
「出られない? それは、状況的に……?」
「物理的にだ。この城から出ようとすれば、城に張られた結界によって、妾の身は押し戻されてしまう」
「魔王でも、破れない結界……?」
そんなもの、一体誰が……
「妾は、この物質世界に打ち込まれた
楔……物質世界……?
混乱する私たちをどこか面白そうに眺めながら、魔王が口を開く。
「生物が、肉体と精神から成っているのは理解しているか?」
「それくらいは、まぁ」
「非物質の世界については?」
「えーと……前にイフがそんなこと話してたような……世界に触れる手を失った神さまは、同じ非物質の精神を介さないと、この世界に干渉できないとかなんとか」
「そうか。ならば話は早い。世界は二つある。今我々がいる物質世界と、神々や死した精神が偏在する非物質の世界――いわば霊的世界だ。ここまではいいか?」
「うん、なんとか」
私も、なんとかそこまでは……
「二つの世界は重なり合っているが、基本的に互いに干渉はできない。今お前が述べた通り、霊的世界にいる神々は、物質世界にいる我々に直接手出しができない。例外は、この物質世界にありながら非物質なもの――つまり精神だ。精神を介した現象は、互いの世界に干渉できる」
「精神を介する……神への祈りや、魔術など、ですか?」
気になってつい口をついて出てしまった。しかし魔王は気分を害した風もなく、私の疑問に答えてくれる。
「それに加護もだ。あれは個人の精神に術式を刻み込み、神々の権能の一端を間接的に貸し与える技法だからな」
私は思わず右目に意識を向ける。今の話からすれば、私という精神に〈流視〉の術式が刻み込まれてる、ということ?
「話が逸れたな。今重要なのは、二つの世界における精神の移動だ」
「移動?」
「生物の精神は肉体が死した際、強制的に霊的世界に引き戻される。それが時を経て循環し、再び物質世界に降り立ち、肉体と生命力――アスタリアの火を得ることで、新たな命が生まれる。それはアスタリアが創り出した世界の
だが――と、魔王は言葉を継ぐ。
「だがアスティマは、そこに新たな仕組みを付け加えた。悪しき精神とアスティマの穢れが一つになり、魔物が生まれるという理を。そして妾という楔を打ち込むことで二つの世界を強引に繋ぎ、その理を加速させた。意図的に多量の魔物を生み出す術式……世界の法則を書き換える大魔術――魔法だ」
魔法……
「これが、妾が楔だといった理由だ。妾の存在を中心に魔物は生まれ、その後も増え続けていく」
「それが、魔王が目覚めると魔物が増殖する仕組み……でも、それと、この城に張られた結界の関係は……?」
アレニエさんの疑問に、魔王は少し自嘲気味に口を開いた。
「楔としての機能が発揮されるのは、この魔王の肉体が生きている間だけだ。つまり神剣によって妾が殺されることで、不自然な魔物の増殖は止まる。アスティマはそれを嫌がったのだろうな。お前の言う通り、妾が
魔王の表情が、かすかに歪む。
「忌々しい。おかげで妾は、この城以外の世界を知らぬ。わずかな楽しみは、配下からの土産話と、百年ごとに乗り込んでくる勇者どもとの戦いだけだ」
「それで娯楽に飢えてるんだ……ん? 勇者と戦うのは、一応楽しみにしてるの?」
「ほんの暇つぶし程度だがな」
「じゃあ、なんでルニアは、勇者に刺客を送り込んで何度も殺そうとしてたの? 城に招いたほうがミラは喜ぶんじゃ?」
「それはもちろん、魔王様の御身をお護りするのが
「こやつはな」
表情を変えずに発したルニアの台詞を、魔王が途中で遮った。
「こやつは、あえて妾の命に逆らい不興を買うことで、自らが罰を受けることが目的なのだ。妾の身を護るというのも本心ではあるがな」
えぇ……
「……そういやあなた、被虐趣味の人だったね」
「お恥ずかしい限りです」
ちっとも恥ずかしくなさそうなんですがこの人。
「さて、聞きたいことは他にあるか? お前はどうだ? 神官の娘。リュイスといったか」
「え……わ、私ですか?」
魔王に話を振られる人間って、もしかしたら私が史上初かもしれない……
そんなことを思い狼狽しつつも、私はここまでのやり取りを目にして、一つの可能性を抱いていた。全身にまとわりつく緊張や恐怖を振り払うように、彼女に視線を向ける。
「……その……それでは、魔王さん」
「その呼び方も新鮮だな」
「え、と……先ほどから見ていると、貴女からは、望んで戦をしようという様子はあまり見られない気がします。でしたら、貴女から命令すれば、魔物や魔族を退かせることもできるのではありませんか?」
「ほう? それは、人類と停戦し、共存しろということか?」
「そうできたら、とは思っています……」
私の言葉に魔王は、やはり面白そうに笑みを浮かべる。
「クク、まさか、我らを滅ぼすことを是とするアスタリアの信徒から、そんな提案をされるとはな。お前も面白い。……が、結論から言えば、それは意味がない」
「意味がない?」
「確かに妾は戦に興味がない――この城より外の出来事に関与できぬからな。そして妾が命じれば、一時的に戦は止まるかもしれぬ。だが、アスタリアの被造物を攻撃する、その本能を刻まれた魔物共を、いつまでも命令一つで押さえつけてはおけん。空腹の身で目の前の食事を我慢することは難しかろう?」
「……それは……」
「そして妾が生きている限り、妾の意思とは関わりなく、魔物は生まれ続ける。人間共は、それを放ってはおけまい。特に、お前たち神官は」
「そう……ですね」
少なくとも一般的な神官は、魔物を討つことを善行だと認識しているし、恨み憎しみから敵対する人も多い。そうでなくとも魔物を放置しておけば、必ずどこかで被害が生まれる。それを防ぐには、争いは避けられない……
「故に、意味がない。人と魔の争いは、なんらかの決定的な契機が訪れるまで、この先も
「……」
もしかしたら、と思ったけれど、やはり勇者と魔王の争いは避けられないらしい。なら……覚悟を決めるしかない。
「さて、初めての客人との会話も愉快だったが、そろそろ本題とやらに入るとしよう。妾の招待に応じたお前たちは、何を求めてここに来た?」
その問いに、私は身を固くする。アレニエさんもかすかに緊張しているのか、拳を握りながら笑みを浮かべる。
「わたしたちはね、あなたにケンカを売りに来たの」
「ほう、ケンカ? 殺し合いではなく?」
「神剣を持たないわたしたちじゃ、あなたは殺せない。殺し合いにはならないでしょ?」
「ならば、一方的な
「こっちも死ぬ気はないよ。わたしたちは、少なくとも二人の魔将を倒した実績がある。あなたが相手でも生き延びてみせるよ」
「クク……それは楽しみだ。なるほど、どちらも死なぬなら、それはただのケンカに過ぎないというわけか。そうか、ケンカか。これも初めての経験だな」
魔王の口調は少し楽しげだった。そして次には、不可思議そうに問いかける。
「だが……これはいわば、始めから勝ち目のない戦だ。お前がそんなものに挑む理由はなんだ?」
疑問はもっともだ。私も最初に聞いた時は耳を疑った。その時をなぞるように、アレニエさんは
「ちょっと、考えたことがあるんだよね。――「魔王は神剣でしか倒せない」。けど……他の手段でも、傷はつけられるんじゃないか、って」
「ほう?」
「もし傷がつけられるのなら、あなたはそれを癒すために魔力を消耗する。もちろん、攻撃のための魔術を使ってもそれは同じ。だったら、わたしでも、あなたを弱らせるくらいはできるかもしれない。そうすれば後は……これから来るはずの勇者が、あなたを倒してくれる」
「なるほど。お前はそのための犠牲になるというわけか。健気なことだ。そこまでの価値が、今の勇者にはある、と?」
「価値がどうとかは分からないけど……少なくともわたしは気に入ってるし、助けたいと思ってるよ。……で、どうかな。神剣以外じゃ傷もつけられないって言うなら、このままおしゃべりして帰るだけなんだけど」
「クク、そう言うな。折角の楽しげな申し出なのだからな。あぁ、お前の言う通りだ。通常の手段でも妾を負傷させることはできる。それならば、ここで戦う意味も生まれるだろう?」
「そう……なら、やるしかないよね」
魔王は玉座から立ち上がり、立て掛けてあった戦斧を片手で軽々と握る。それを手に、コツ、コツ、と靴音を響かせながら、階段を降りてくる。アレニエさんはそれを見ながら半身に構え、軽く腰を落とした。
階下に降りた魔王は、まず配下の魔将に顔を向ける。
「ルニア、お前は控えていろ。妾の楽しみを奪ってくれるなよ」
「承知いたしました」
するとアレニエさんもこちらを向き、私にとっては予想外の台詞を吐く。
「リュイスちゃんも、最初は下がってて」
「えっ……ど、どうしてですか……!? 私も、一緒に……!」
「ミラが――魔王が、どれだけの力を持ってるのか、わたしたちは全然知らない。だから、最初は様子見に徹したほうがいいと思ってさ。それには、わたし一人のほうがやりやすい。わたし一人で片が付くなら、そのほうがいいしね」
「でも……」
「それに……リュイスちゃんには、まず冷静に、ミラの動きを観察しててほしいんだ。きっと、その『目』で見ることに意味がある。そのあと、やっぱりわたしだけじゃ無理だと思ったら、いつでも参加してくれていいからさ」
「……」
こういう時のアレニエさんは頑固だ。もう意見を
「……分かりました。けど、それなら私が参加するまで、いえ、参加した後も、絶対に死なないでくださいね、アレニエさん」
「うん。頑張るよ」
「そういうことなら、ルニア。それまでリュイスを護ってやれ。気を取られて戦に集中できなくては困るからな」
「かしこまりました。それではリュイス様。こちらで共に観戦いたしましょう」
「え、あ、はい」
観戦って言ったよこの人。
魔将に連れられ、私は壁際まで下がる。それを見届けた二人が、互いに目線を交わし合い……
「行くよ」
「来るがいい」
なんの気ないその言葉が、開始の合図となった。――魔王とのケンカが始まる。
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