17節 謁見

 走り続けていた馬車が少しずつ速度を落とし、やがてゆっくりと停止する。


「到着しました。――どうぞ、お嬢様方」


 そう言うとルニアは一足早く馬車を降り、私たちが降りるのに合わせて扉を開け、外へと招く。


「よっ、と。んんー……」


 先に降りたアレニエさんが、身体をほぐそうと伸びをする。長い馬車旅で強張ったその身からは、あちこちからパキポキと音が鳴っていた。

 私も後に続いて馬車を降り、着地する。が、


「っ、とと」


 ずっと乗り物に乗っていた反動か、地に足がつかないようなふわふわした感覚があった。慌てて車体に手をついてバランスを取る。


「大丈夫? リュイスちゃん」


「……はい。もう平気です」


 アレニエさんに返答し、しっかりと自分の足で立つ。彼女の隣に並び立つと誓ったばかりなのだ。心配ばかりかけていられない。


 改めて、周囲を眺める。


 私たちが今いるのは小高い丘のような場所で、他より一段高くなっており、周囲の景色がよく見えた。

『戦場』の噂で聞いていた通り、辺りは草木も生えない荒野だった。乾いた土と、まばらに地面に散らばる岩が私たちを迎える。


 その荒野に、街があった。


 パルティールやハイラントの王都と比べれば規模が小さい(住民の数が少ないのかもしれない)が、人間の街と同じように建物が一か所に集中している。知能の低い魔物が建設するとは考えづらいし、魔族の居住区なのかもしれない。


 街の外では大小様々な姿の魔物たちが闊歩かっぽし、一様に西の方角に向かって歩みを進めている。その先にあるのは〈無窮の戦場〉だろう。私たちは今、人類軍が渇望する係争地、その向こう側に足を踏み入れているのだ。そして、なにより……


「……」


 間近にそびえ立つその城を見上げる。


 高さは、六階か七階ほどだろうか。ギザギザに尖った山のようにも見えるその外観は、いくつもの尖塔が並んでいるためにそう見えるみたいだ。


 黒い外壁は石材とも金属ともつかず、地面との継ぎ目も分からない。まるで大地から直接生えてきたかのようだった。


 城壁はなく、堀もない。城を護るための施設は何もないように見える。

 そして城門は、非常に巨大だった。大型の魔物でも入れるようにだろうか?


 どこから見ても違和感のある城の偉容に目を奪われ、私はしばらくそれを眺め続けた。 


「お二人共、長旅でお疲れでしょう。まずは城内でお休みください」


 その声に、慌てて気を引き締め直し、城の入口に足を向けた。


「じゃあ、行こうか。リュイスちゃん」


「……はい」


 先導するルニアが近づくと、城門がひとりでに開き始める。私たちは彼女の後に続いて、魔王の居城に足を踏み入れた。



   ***



 応接室(があることに少々驚いたが)に荷物を置き、そこで少しの間待つことになった。


「こちらにも、少々準備というものがありますので」


 そう言いながら、ルニアは私たちにお茶を振る舞い(アレニエさんが念の為にと毒見していたが、大丈夫だった)、しばらく休むことを勧めてから退室した。準備が整ったら呼びに来るということなのだろう。

 体を休め、心を整え、武器をあらため……その時が来るのを待った。

 やがて、再び訪れた雷の魔将に連れられ、私たちは城内を移動する。


 コっ、コっ、コっ――


 ルニアが打ち付ける規則正しい足音が、広い廊下に響き渡る。

 それが気になる程度には、城内は静かだった。移動の間、他の魔物や魔族の姿も見かけない。


「静かですね……誰もいないんでしょうか」


 不安を吐き出すように、隣を歩くアレニエさんに声を掛けると、


「いや、いるみたいだよ」


「おりますよ」


 いるんですか。


「少しだけど、視線とか物音とか匂いとか、あちこちから感じてる。遠巻きにこっちを見てるみたいだね」


「ええ。なんと言っても、お二人は魔王様の客人ですからね。皆様興味津々のようですよ」


 そう言われて改めて気配を探ってみると……アレニエさんの言う視線や物音などは分からなかったが、魔力は遠くからかすかに感じられた。しかも……


「……なんだか、結構な数の気配を感じるんですが……」


 もし、ここで一斉に襲い掛かられたら……


「ご心配なく。客人に手を出さないよう、魔王様から厳命が下っておりますからね。お二人に危害を加えることはありませんよ。――さて、到着いたしました」


 ルニアが指し示す先に現れたのは、城門と同等に巨大な扉。城の外壁と同様、石とも金属ともつかない素材のその扉は見るからに重く、内部と外部を隔絶する結界のようでもあった。そして――


「――っ……!」


 扉越しにも感じるのは、膨大な魔力。それも、傍にいる魔将のものより遥かに強大で、禍々しい……


「ここが、玉座の間です。この先で魔王様がお待ちしておりますよ」


 ルニアが扉に近づくと、やはり城門と同じように、重厚な扉がひとりでに開いていく。重々しい音を立てながらゆっくり開くのに合わせ、内部から漏れ出す魔力がさらに濃密になっていく。……背筋が冷え、足がすくむ。


 思わず縋るようにアレニエさんを見る。魔力を感知できない彼女は、平然としているようにも見えたが……


「(……アレニエさん、緊張してる……?)」


 魔力は感じられなくとも、なんらかの物理的な圧力は感じているのかもしれない。その表情はわずかに強張り、頬から一筋汗を垂らしていた。彼女は、徐々に開く扉に視線を向けながら……


 ギュっ


「……!」


 私の手に指を絡め、握り締めてくる。強く、強く、不安を抑え込むように。


「……」


 考えてみれば、当たり前かもしれない。

 特異な生い立ちと類稀たぐいまれな実力はあれど、彼女は超人じゃない。全てを救う絵本の勇者でもない。その精神の根幹は、あくまで私と同じ人間のものだ。通常であれば出会うはずのない魔王という存在に、わずかにでも気後れしたとしてもおかしくない。


 そして……そんな時のために、私がいるのだ。私も扉に顔を向け直し、彼女の手を握り返した。強く、強く、安心させるように。


「――」


 彼女の手から強張りが消えた気がする。次には優しく握り返してくる。それを待っていたように、目の前の扉が完全に開き切った。


「どうぞ、こちらへ」


 私たちは手を離し、先導するルニアに続いて扉を潜る。


「――……」


 広い空間だった。天井は高く、壁までが遠い。ちょっとした運動場ほどはあるかもしれない。

 壁には等間隔に炎が灯り、内部をほのかに照らしていた。火は不可思議な紫色で、明るさよりも不気味さを感じさせた。

 そして最奥に、玉座へ続く階段があった。それは謁見する者を上から睥睨へいげいする、支配者の象徴にも思える。

 ルニアはその階段よりかなり手前で立ち止まったため、私たちも歩みを止めた。


「アレニエ様とリュイス様をお連れしました……魔王様」


 魔将が深く頭を下げるのとは反対に、私たちは階段の上を見上げた。

 段上に置かれた玉座は、所有者の地位に比べれば簡素な造りに見えた。傍らには長大な両刃の戦斧が立て掛けられている。そこに座す主は、大儀そうに口を開き……


「――ご苦労だったな」


 堅い、威厳に満ちた口調。しかし存外、声は高い。そこにいたのは――

 アレニエさんとそう歳の変わらない見た目の、女性の魔族の姿だった。

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