19節 魔王①
私は一度目を閉じ、右目に意識を――そして魔力を集中させる。彼女に言われた通り、この『目』で魔王の動向を見極めるために。瞳を開き、視界に二人の姿を収めたところで――
「まずは、小手調べだ」
言葉と共に、魔王が頭上に掲げた戦斧の先に膨大な魔力が集まり、黒い光のようなものが灯っていく。その様はまるで……
「(まるで、闇が凝縮されていくみたい……)」
それはやがて、人間の頭ほどの大きさの黒い球体となり……アレニエさんが立つ場所目掛けて、撃ち出される。
フオン――
速さはあまりない。ルニアの雷撃などに比べれば、避けるのは容易いだろう。実際アレニエさんはその場から飛び退き、危なげなく黒い球体から身をかわす。ただ……
気になったのは、球体の大きさに対して、アレニエさんが必要以上に大きく避けているように見えたこと。未知の攻撃に触れないよう念を入れたのか。それとも彼女の動物的な勘が、はっきりとした危険を訴えたのか。
果たして、球体が先刻までアレニエさんが立っていた地面に到達し、触れた瞬間――
ズアア――!
封じ込められていた闇が爆発したように膨れ上がり、周囲を一瞬で呑み込んだ。
「――!」
戦慄する。と共にアレニエさんの
もし私が初めから戦いに参加していたなら、あの黒い球体に対して法術の盾で身を護ろうとし……爆発に呑まれていただろう。込められた魔力の量を思えば、触れて無事に済むとは到底考えられない。実際、爆発した箇所は大きく抉ら……
「……あれ?」
……れてはいなかった。玉座に続く路――外壁と同じく石とも金属ともつかない素材でできた床には、傷一つついていない。
「この城は、魔王様を閉じ込める物理的な結界ですから」
急に聞こえてきた魔将の声にビクリとしながらも、気になったことを聞き返す。
「城自体が、結界?」
「はい。城を形作る全ての建材が、魔王様のお力にも耐える未知の素材でできているのです」
「それで、床に傷もつかずに……力づくで城を出ることも叶わないんですね……」
その状況と、総本山に軟禁されていた自身の境遇とをにわかに重ね合わせて見てしまう。いや、彼女に比べれば、私のほうがよほどマシだ。〈流視〉を秘匿するという条件はあるものの、こうして外に出ることを許されているのだから。
そんな話をしている間にも、戦況は推移していく。
魔王は再び斧の先に黒い球体を生み出していた。今度は二つ同時にだ。それらはアレニエさんを左右から挟み込むように飛来するが……
「……ふっ!」
アレニエさんは手品のように投擲用のダガーを二本取り出し、短い呼気と共に二つの球体それぞれに投げつける。ダガーが球体に触れた途端、その場で闇が膨れ上がり、二者の視界を遮る。
その瞬間を逃がさず、アレニエさんが大きく横に跳んだ。魔王の視界の外に逃れ、そこから一気に接近し……抜き放った愛剣で、魔王の首目掛けて一閃する。
キン――!
「お――……?」
魔王がわずかに驚いた声を発する。その首と胴は確かに断ち切られ、遅れて胴体から落ちそうになる。が……
ズズ……
生き物のように
アレニエさんはその結果を認識しているのかいないのか、剣を振るった体勢から即座に反転。いつのまにか左手で抜いていた短剣を魔王の心臓に突き立てる!
「ぐっ!?」
首を斬られた時より苦しげな声を漏らす魔王。その身に突き立てられた短剣には見覚えがあった。あれは、イフとの戦いでも使っていた――
「ク、ハハ……! 一撃で首を落としたうえに、銀か! ケンカと言っていた割に、容赦がないな!」
「どうせあなたは、それくらいじゃ死なないでしょ!」
「ああ、そうだ!
二人は斬り結び合いながら声を投げ掛け合う。魔王が片腕で振るった戦斧をかわし、アレニエさんが後方に下がる。
「だが痛みはある。――グっ……! ……クク、久方ぶりの痛みだ。先代の勇者以来ということは十年ぶりか」
魔王は言いながら胸に刺さった銀の短剣を引き抜き、放り投げる。傷口から赤黒い血が噴き出し、玉座の間の床に小さな血溜まりを作る。が、流血はすぐに止まり、傷も塞がってしまう。それを見たアレニエさんがわずかに渋い顔をする。
「十年ぶりの痛み、もっと噛み締めたら?」
「そう言うな。ルニアと違い、妾は苦痛に悦びを見出す
「……そうだね。傷を癒すだけでも、あなたは魔力を消耗する。確実に弱っていく、はずなんだけど……まだまだ先は長そうで、ちょっと嫌になるなぁ……」
「ハハ! そうとも! まだケンカは始まったばかりだ!」
笑い飛ばしながら、魔王は
同時に五つ、魔王を取り囲むように並んだそれらは、次には地面と水平に、アレニエさんの退路を塞ぐように広がって飛来してくる。
アレニエさんは右手に握っていた愛剣を鞘に戻し、両手で次々とスローイングダガーを取り出し、迫る球体目掛けて投擲していく。目標に到達する前に迎撃され、爆発していく黒い球体たち。が……
その奥から、新たな黒球がいくつも生み出され、アレニエさんへ狙いを定めていた。
これまで見た通り、彼女の腕ならさほど迎撃は難しくない。が、そのための道具には――当然ながら――数に限りがある。
アレニエさんもそれは理解していたのだろう。新たに迫る球体に対して迎撃ではなく、回避を選ぶ。決して球体に触れないよう逃げ回りながら、左手の黒い篭手に右手を添え、唱える。
「《――獣の檻の守り人! 欠片を喰らう
走り去る彼女を追って、黒球が床に触れる。爆発するように膨らむ闇を背に、彼女は詠唱を続ける。
「《
封印を解くための四行詩。彼女の声と言葉を鍵に、それは眠りから目覚める。
「起きて……〈クルィーク〉!」
彼女の左手の黒い篭手――〈クルィーク〉が起動し、アレニエさんが半魔の姿を
〈クルィーク〉はアレニエさんの魔族化を防ぐため、普段は休眠状態で彼女の魔力を全て食べ続けている。彼女が魔力を持たないのは、それが理由だ。
そのため彼女は、魔力を感じる感覚器官――魔覚に、なんの感触もないままで、日々を過ごしている。視覚で言えば、ずっと目を閉じているようなものだ。そして、使わない感覚は鈍っていく。
今、半魔の姿を解放した彼女は、閉じていた目を急に開いたようなものなのだろう。玉座の間に溢れる魔王の魔力をその身に感じて、身体が驚いたのだ。恐怖すら覚えたかもしれない。
けれど彼女は、それらを振り払って魔王に立ち向かっていく。背後から追って来ていた黒球を肥大化した左掌で受け止め――
ズ……
触れた際の爆発も押さえ込み、その魔力を喰らっていく。〈クルィーク〉の特性の一つ、『魔力の吸収』だ。
「それが、お前の半魔としての姿か! ならば、これはどうする!」
魔王が前方に掲げた斧の先に、先ほどよりも数を増した黒い球体が生み出され、射出される。全部で八つ、九つもあるだろうか。それらは網のように広がり、アレニエさんを呑み込まんと迫ってくる。
足を止めた彼女はそれを冷静に眺め、左手を前方に掲げる。その手の先に、先ほど喰らった魔力が集まり、無数の短剣の形状をとって中空に並び――撃ち出される。
もう一つの特性、『魔力の操作』。それによって生み出された短剣は、風切り音を鳴らして飛び、黒球を迎撃、爆破させる。連なって爆発するその様を見て、宙に黒い花が咲いたようだと、場違いな感想を抱く。
その黒い花の側面に向かって、アレニエさんは再び短剣を生み出し、射出。大きくカーブさせて向こう側にいる魔王を狙う。
そしてアレニエさん本人は、未だ視界を遮っている黒い花に向かって跳んだ。魔力の足場を生み出し踏み台にすることで、疑似的に空を駆けていき、膨れ上がった闇を飛び越えて向こう側に侵入する。
「効かぬぞ、この程度っ!」
爆発を迂回させて飛ばした短剣が、魔王の元に到達。彼女はそれをあろうことか素手で受け止め、容易く防ぐ。その視界は今、消失しかかっている闇の側面に向けられており……
アレニエさんはその隙を突き、遥か高度から魔力の足場を蹴って急降下。落下の勢いを乗せた斬撃を振るう。
ザン――!
斬撃は、魔王の左肩から胴体までを、一気に切り裂いた。
「なっ……!」
視界の、そして意識の外から降ってきたアレニエさんに、魔王が驚きの声を漏らすのが聞こえた。その声が消える前に――
「しっ!」
いつもの逆手から順手に持ち替えたアレニエさんが、剣を横一閃に振り抜く。
「ぬ……!」
十字に切り裂かれた魔王の身体から、赤黒い液体が噴き出す。その傷を即座に再生しながら、魔王は右手一本で戦斧を振るう。が、アレニエさんは後ろに大きく跳び
「ぐ……!」
アレニエさんは止まらない。斬りつけ、魔力の足場を造り跳躍。反転して左の鉤爪を振るうと、足場を蹴って別の方向に跳び、相手の視覚から逃れながら再び斬撃を加え……
魔王の周囲を縦横無尽に跳び回り、剣と爪を全身に浴びせ続けていく。まるで斬撃の檻だ。いつの間にか魔王は防戦一方になっており……
「アレニエさん……すごい……」
その姿に見惚れ、思わず私は呟いていた。半身が半魔とはいえ、それ以外は彼女は人間と変わりない。人の身であれだけの動きができるものだろうかと、驚きよりも感嘆が
「確かに素晴らしい動きですが、おそらく長くは保ちませんよ」
メイド姿の魔将にそう言われ、激しく動き続けるアレニエさんの姿を注視すると……
「……あっ……!」
ちらりと見えた彼女の顔、その鼻から、一筋の血が流れていた。
それで気づいた。あの激しい動きを続けるだけでも、身体への負担が相当に大きい。そのうえで……
高速移動で目まぐるしく変わる景色。相手からの反撃への警戒。適切な箇所に魔力の足場を造ることもこなさなければいけない。
それらは身体と同等かそれ以上に、脳への多大な負荷となっている。鼻から流れる血がその証なのだろう。
「っ……!」
最後に魔王の首を切り裂くと、アレニエさんは攻撃の手を止めて着地し、獣のような前傾姿勢で相手に向かい合う。負荷が限界に近かったのか、すぐには動けず、わずかに肩で息をしていた。流れていることに気づいたのか、右手の甲で鼻血を拭う。
「はぁ……はぁ……すぅー……ふぅー……。……ふっ!」
そしてわずかの間、呼吸を整えると、低い姿勢で再び駆け出し、接敵しようと試みる。
「ああ――」
そうして向かってくるアレニエさんを視界に収めながら、魔王が吐息を漏らした。
「ああ、愉快だ。お前の技は初めて見るものばかりで新鮮な驚きに満ちている。ならばこちらも見せよう。呪文を一節進めようではないか――」
魔王は手にする戦斧を垂直に立て、石突きで床を突き、カツンと音を鳴らす。そして――
「《――我が名は『魔王』である》」
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