11節 氷花、散って

「アレニエさん、忘れ物って、この短剣でよかったん、です、か…………え………」


 こちらに駆け寄ってきたリュイスちゃんは近づくにつれ、地面に血塗れで倒れた誰かの姿に気づき、言葉を失う。そして、それが誰なのかに気づいた途端……


「リーリエさん!?」


 その名を呼び、倒れた少女に向かって駆け出そうとする。


「リュイスちゃん、ストップ!」


 こちらを素通りしようとする彼女を、わたしは慌てて手を掴んで引き止めた。


「アレニエさん、離してください! リーリエさんが! このままじゃ……!」


「そうだね。放っておけば、助からない。分かってるよ」


「なら……!」


 彼女は振り向き、わたしを責めるような視線を向ける。その目に、抜き身の剣を携えたままのわたしの姿が映る。


「……その剣……まさか、アレニエさんが、リーリエさんを……? どうして……!?」


 問い詰める彼女に、わたしは冷酷に告げる。


「彼女が、事件の――神官殺しの、犯人だったからだよ」


「……リーリエさんが……? そんな……でも、だからって、殺さなくても……! ……!」


 失われつつある命を目の前に、その死を拒否し、助けようとする衝動が駆け巡っているのだろう。リュイスちゃんはわたしの手を振り払い、リーリエちゃんの介抱に向かおうと駆け出す。それを――


 ドンっ


「あう!?」


 わたしは咄嗟に、彼女を横から突き飛ばした。


「つっ……ア、アレニエさん……? 何を……」


 倒れたリュイスちゃんがこちらに抗議しようと顔を向けるが、その視線の先には……


「え……?」


 いつの間にか、倒れているリーリエちゃんの手元から生み出された氷の槍が、地面から斜めに伸び、先刻までリュイスちゃんがいた空間を貫いていた。止めなければ今頃は、走り寄る彼女の腹部に穂先が突き刺さっていただろう。

 彼女の目の前で、ガランと氷の槍が倒れ、地面に落ちる。そしてすぐに消失する。最後の力を振り絞ったのかもしれない。


「ちぇ……最期に、リュイスさんだけでも、と思ったんですが……ダメでしたか……」


「な……何が……何を……?」


 地面から体を起こし四つん這いになった彼女は、訳も分からず狼狽え、わたしとリーリエちゃんを交互に見る。事態についていけず、混乱している。

 その姿を倒れたまま見据えながら、リーリエちゃんが突き放すように口を開いた。


「――近づかないでください」


 それは、死に向かっている者とは思えないほど強く、冷たい口調だった。


「あたしは、神官に助けられるなんて、絶対にごめんなんです。たとえ、あなたがどんなにいい人で、善意からであっても、神官である限り、あたしはあなたを拒絶するし、殺そうとしますよ。だから……近づかないで、ください」


「そんな、どうして……どうして、そこまで、神官を……」


「丁寧に説明したいところ、なんですけど……ぐぶっ……! はぁ……。その余裕は、ないみたい、なので……アレニエさん。あとで、適当に、話しておいて、ください」


「……分かった」


 視線を合わせ頷くと、彼女は血の気の引いた顔に、どこか満足そうな笑みを浮かべてみせる。


「どうせ、あたしの行き先は、アスティマの元なんで、しょうけど……先に、『橋』に行って、待ってます、ね」


 その言葉を最後にして……桃色の髪の少女は、動くのを止めた。


「……リーリエ、さん……? ……リーリエさん! う……うう……あ……」


 堪え切れず、リュイスちゃんは嗚咽を漏らし始める。

 忌避していた目の前での死者。しかも、一日だけとはいえ共に行動し、憎からず思っていた相手。その心痛は相当なもののはずだ。涙をこぼし続ける彼女の姿に、こちらも胸を締め付けられる。けれど――


「(後悔は、しないよ)」


 握っていた剣を鞘に納め、自分に言い聞かせる。


 リーリエちゃんは強く神官を憎み、またそれを自覚したうえで、止まる気が一切なかった。実際彼女はこの街だけでも、もう三人の神官を殺害している。

 ここで彼女を斬らなければ、その矛先はやがてウィスタリア孤児院のライエたちや、なによりリュイスちゃんに向けられていた。それはわたしにとって、剣を振るうのには十分すぎる理由だ。ただ……


「(やっぱり、後味は悪いものだね……)」


 理由があったとしても、相手が殺人鬼でも、人を斬るのに抵抗を感じないわけじゃない。すぐには割り切れない。それが、わたしと同じ半魔であれば、なおのことだ。彼女は、わたしがとーさんに出会えず復讐に狂っていた場合の姿、そのものかもしれないのだから――


「……?」


 不意に、新たな人の気配を感じ取り、反射的に警戒を示す。路地の入口に、誰かがいる?

 そちらに視線を向けると、相手も気づかれたことに気づいたのか、素直に姿を現す。数は、四人。そのうちの一人は、見知った人物だった。青い髪を編み上げ、頭の上でまとめた女性……


「ソニア……」


 呟きに引き寄せられたかのように、彼女がこちらに近づいてくる。少し遅れて、同行者の三人が後に続く。一人は、白い帽子に白の聖服を身に付けた男性神官。あとの二人は、揃いの兜と鎧を身に纏った衛兵だ。


「どうして、ここに?」


 問いかけはしたが、答えは半ば分かっていた。

 尾行されていたこと。こちらの仕事を信用されていなかったこと。現場を見られたこと。その全てが今は癇に障る。咎めるようにソニアに視線を向けると、彼女は少し気まずそうに口を開く。


「申し訳ありませんが、リュイスさんを尾行させていただきました。昨夜の貴女の様子も含めて、気にかかっていましたので」


 ソニアは次に、地べたで泣きじゃくるリュイスちゃんと、血溜まりの中に倒れるリーリエちゃんに目を向ける。


「……リーリエさんが、事件の犯人だったのですね」


 それは問いのようでもあり、確認するようでもあった。


「彼女は……魔族、だったのですか?」


 人間とほとんど変わらない遺体を見て、ソニアは疑問を呈する。


 正直なことを言えば、今はあまり口を開きたくなかった。この手にかけた同族に対して、胸の内に複雑な感情が駆け巡っている。


「(と言っても、この状態で誤魔化すのはさすがに無理か……)」


 既に現場を押さえられていては、取り繕うこともできない。陰鬱な気持ちを抱えながら、わたしは控えめに告げた。


「……半分だけね」


「半分……ということは……なるほど。街に入り込めたのも、手掛かりが少なかったのも、それが理由でしたか」


 彼女はそれだけを告げると、次には傍で控えていた三人に声を掛ける。


「後の処理はお願いします」


「承知しました」


 神官の男と衛兵の二人が、地面に投げ出されたリーリエちゃんに向かって歩き出す。これから遺体の穢れを浄化し、どこかの墓地に埋葬するのだろう。通り過ぎる最中、彼らの小さな呟きが耳に届く。


「まさか、半魔の仕業とは――」


「穢れた半魔に、貴重な神官が三人も手にかけられ――」


「汚らわしい――」


「汚らわしい――」


「……」


 彼らが漏らす言葉に拳を強く握り、奥歯を噛み締める。


 ああ、そうだ。リーリエちゃんに指摘された通りだ。わたしには、彼女の気持ちが分かってしまう。

 人間たち、特に神官は、魔に属する者とその穢れを決して許さず、嫌悪し、見下す。そしてわたしが幼い頃に向けられた、あの目を。あらゆる負の感情を混ぜ込んだような、あの視線を、わたしたちに突き付けてくるのだ。それを許せず、復讐に狂った彼女のことを、わたしは否定する気になれない……


「……あ、あの!」


 地面にうずくまっていたリュイスちゃんが、そこで唐突に声を上げる。一瞬わたしに向けてかと思ったがそうではなく、遺体の前に集まった男たち――特に、神官の男に向けたもののようだった。

 彼女は立ち上がり、泣き腫らした目に決意を込めて口を開く。


「リーリエさんの浄化は、私にやらせてもらえませんか」


 リュイスちゃん……?


「貴女に……? なぜですか?」


「短い間ですが、彼女は共に依頼をこなした、友人、でしたから。私の手で『橋』に送ってあげたいのです」


「……シスター。友人などと軽々しく名乗ってはいけません。よく考えて発言してください。この娘は穢れた半魔で、神官を殺し回った殺人犯ですよ? それでも貴女は友と呼び、自身の手で浄化することにこだわるのですか?」


「それでも、です。どうか、私にやらせてください」


「……」


 神官の男は数秒考えこむ様子を見せるが……しばらくすると、ため息をつきながら了承する。


「……分かりました。貴女に任せましょう。私としても、半魔の穢れに触れずに済むのであれば、それに越したことはありませんからね。ですがシスター。貴女の言動は、穢れを容認していると取られてもおかしくない、神官としての道に外れた考えだということは、忠告しておきますよ」


「はい……覚悟の上です」


 神官の男と衛兵たちは、困ったものを見るような視線を向けた後、リーリエちゃんの遺体から離れた。入れ替わるようにリュイスちゃんが遺体の前に立ち、両手を組み合わせ、祈る仕草をとる。そして――


「……私で我慢してくださいね、リーリエさん……」


 祈る前に漏れ聞こえた彼女の呟きが、わたしの耳にかすかに届いていた。

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