12節 レベス山へ

《火の章》で浄化されたリーリエさんの遺体は、彼女の半魔としての特徴である角が消え、ほとんど人間と変わらない姿になっていた。

 肉体を魔族化させていた原因である穢れを焼いたせいだろうか。魔具によって魔族化を抑えていたのも原因かもしれない。もう半分の人間の部分が残った形になったようだ。


 彼女の遺体は衛兵たちによって街の外の簡易墓地に運ばれた。街の人間用の共同墓地を利用するのは煙たがられたためだ。そこまで口出しする権利は持てず、私とアレニエさんは、地面に穴を掘っただけの簡素な墓地に彼女の亡骸が埋められるのを見ているしかできなかった。

 それでも、埋葬されただけマシというものだ。野晒しで放置されていれば、血の匂いに惹かれて肉食の獣や魔物が集まり、無残に貪り食われていただろうから。


 埋葬が終わり、ソニアさんと共に宿に戻る。道中は全員無言だった。特に私は、口を開く気力が湧かなかった。

 宿に帰る頃には既に日が傾いていた。帰り着いてすぐ、無事に事件を解決したということで、ソニアさんから報酬を受け取る。彼女はそこで、アレニエさんに何か言葉を掛けようとしていたようだが……


「何?」


「その……いえ、すみません……」


 柔らかく、けれど人を突き放すような笑顔の仮面を前に、ソニアさんは何も言えなくなっていた。

 彼女を置き去りにするように別れた私たちは、そのまま部屋に戻った。報酬は受け取ったので、明日はいよいよこの街を発つことになる。準備を整え、体を休めておきたい。


 準備といっても、荷物をまとめた後は特にすることもなく、手持ち無沙汰になってしまう。ベッドに腰掛け一息ついていると……


 ぽすっ


 鎧を脱いだアレニエさんが隣に座り、こちらの肩に頭を預けてくる。

 普段は私が彼女を頼ることが多いので、逆の立場は珍しい。前にこうやって甘えるような仕草を見せたのは、疎遠だった幼い頃の友人――ユーニさんと不意に再会し、冷たくあしらってしまい後悔した時以来だ。


 いつも微笑み泰然としている彼女でも、心の平衡へいこうを保てない時はある。今回そうなった原因は明らかだ。私が素直に肩を貸してしばらく過ぎてから、アレニエさんはぽつりぽつりと口を開き始めた。


 リーリエさんがアレニエさんと同じ半魔で、神官殺しの犯人だったこと。

 その生い立ちから神官を強く憎み、私にも手を掛けようとしていたこと。

 そして、神官を殺害することで憎しみを晴らすと同時に、それを愉しむようにもなってしまっていたこと……


「……」


 アレニエさんの話を、私は黙して聞き続けた。聞き終えた後も、沈黙から抜け出せなかった。


 彼女が剣を抜いたのは、凶行に走るリーリエさんを止めるため。そして、私を護るためだ。それは理解している。結局、彼女が決断した通り、止めるにはその命を奪うしかなかったのかもしれない。


 それでも私は考えてしまう。死を否定する神官としての立場が。死を拒否する心の衝動が。殺して止める以外の方法はなかったのかと。彼女が私のために手を汚したのを理解してなお、そう思ってしまう……


「……何も、言ってくれないんだね」


「……私は……。……」


 何を言うべきか迷い、口を開けずにいるうちに、アレニエさんは腰を上げ、自分のベッドに戻ってしまう。

 そうして気まずい空気を抱えたまま夜は更け、朝を迎えた。


 日が昇って間もない時刻。私たちは挨拶もそこそこに〈常在戦場亭〉を抜け出し、朝一番で出る乗合馬車に乗ってアライアンスの街を出発した。

 向かう先は、ここから南東に続くエンセラル山脈の一つ、レベス山の麓。勇者が魔王討伐に向かう際の進路の一つで、無事に山を登ることさえできれば、比較的安全に魔物領に辿り着くことができる。余談だが、この山は以前訪れた〈黄昏の森〉とは隣り合う位置関係になっていた。


 ガタゴトと、しばらく馬車の揺れに身を任せる。

 アレニエさんはあれ以降、不意に遠い目をしたり、何事か考え込むことが多くなっていた。馬車の中でも自分からはあまり喋らず、ぼんやりと窓の外に目を向けている。

 私も似たようなものだ。先日のリーリエさんの死相が頭から離れず、重い気分が続いて口を開けない。


 馬車には他に、護衛と思しき冒険者が数人乗っていた。こちらに気を遣ってか、彼らのほうからいくらか話しかけてくれたが、私は最低限の返事をするのが限界で、話は弾まない。反対にアレニエさんは、いつもの柔らかい笑顔を貼り付けて無難に応じていた。以前語っていた通り、そういう応対をするのが癖になっているのだろう。


 その会話の中で、勇者――アルムさんたちの動向も話題に上った。どうやら私たちと入れ違いのように、アライアンスの街に辿り着くところだったらしい。

 暗くなるまで馬車を走らせ、野営をし、朝になってからまたすぐに出発する。そうして丸一日ほど馬車に揺られ……


「着いたみたいだよ、リュイスちゃん」


「……ふえ?」


 耳元に聞こえるアレニエさんの囁きで、目を覚ます。眠ってしまっていたようだ。いつの間にか馬車は停まっていた。

 数秒ぼんやりと周りを見渡し、現状を把握してから、慌てて壁に預けていた身体を起こし、荷物を手に転がるように馬車を降りる。


「す、すいません、今出ますね……!」


「大丈夫だから、落ち着いて」


 アレニエさんは苦笑しながら御者に代価を払い、私に続いて馬車を降りた。それを見送ってから、護衛の冒険者たちが声を掛けてくる。


「ほんとにここでいいのか? この辺りにはそこのレベス山しか見るようなものはないぞ」


「それこそ、その山に用事があってね。ちょっと今から登るつもりなんだ」


「山を登るって、登った先は魔物の領土しかないぜ。勇者の進路の一つって話も聞いたことあるが……魔王でも討伐しに行くつもりなのか?」


「まさか。そもそも神剣がなくちゃ倒せないんでしょ?」


「あぁ、そうだったな」


 冗談のつもりだったのか、彼らはそう言ってひとしきり笑う。

 彼らの軽口に、私は内心ドキリとしていた。私たちはまさにこれから、〝魔王に会いに行く〟のだ。そして、その前に一つ、しなければならないことがある。


「まぁ、詮索するのも野暮か。でも、あんまり無茶するなよ。それじゃあな、嬢ちゃんたち。機会があれば、一緒に依頼でも受けようぜ」


「うん。またの機会に、ね」


 別れの言葉を置いて、馬車が走り去っていく。この場に残されたのは私たち二人と、これから登ることになるレベス山。


「じゃあ、行こっか」


「はい」


 荷物を背負い直し、山道の入口に足を向ける。

 土の地面が覗く入り口は緩やかで、勇者一行が通るのに備えてか、人の手で整備までされているようだった。


 山は、その多くが神が住まう禁足地とされている。

 天にある神々の国に近いからとする説や、アスタリアの力の結晶である星々に惹かれるからなど、様々な憶測が論じられる。下手に人が立ち入って危険に見舞われないための方便とする説も。


 また、レベス山を含むエンセラル山脈は、魔物の侵攻を物理的に防ぐ結界であり、そのために今の高さまで隆起したというおとぎ話も存在する。


 それらが真実かどうか、私には知る由もないが、実際に足を踏み入れた山の空気は清浄で穢れなく、魔物の姿も見受けられない。だから後の問題は、無事にこの山を登れるかどうかなのだけど……


 緩やかな傾斜の山道を、私は焦らず、一歩一歩確実に登っていく。

 こう見えて山には慣れている。居住しているパルティール自体がオーブ山の麓に築かれた街であるし、そこからさらに進んだ中腹に私が勤める総本山も建てられているからだ。空気が薄くなる感覚に少し懐かしさを覚える。


 先を行くアレニエさんも急がず、危なげなく歩を進めていく。彼女も山の危険性を理解しているのだろう。周囲に気を配りながら慎重に登っている。

 そうしてしばらく無言で進み続けた私たちは、やがて中腹に辿り着く。


 そこは、平坦な広場のような場所だった。小さな村くらいなら建設できそうなほど広い。まばらに草木が生えているが、ところどころ岩肌も露出している。

 向かって左側は巨大な岩山が立ち並び、山頂まで続いている。右側は崖になっており、眼下には鬱蒼と茂る〈黄昏の森〉が一望できた。


「ここがいいかな?」


「そうですね。通るはずですから」


 この台地を真っ直ぐ進み、下山すれば、その先はいよいよ魔物の領土に踏み込むことになる。既に今から心臓が跳ね始めている。


「さて。それじゃあそろそろ暗くなるし、野宿の準備だね」


 そう言うと彼女は荷物を下ろし、テキパキと支度を整える。適当な木を選び、それに布を張り、簡易のテントを設営していく。その間に私は枯れ木を集め、火を熾す準備をし……


 その日は夕食を取ってからすぐに就寝した。

 次の日を迎えても私たちはこの場を動かず、滞在し続けた。訪れるのを、待っていた。


 やがて再び新しい日が始まり、陽が中天に昇る頃。私たちは崖下に広がる〈黄昏の森〉に目を向けていた。

 かつてあの森のどこかで、私たちは風の魔将と戦いを繰り広げ、そして無事に生還することができたのだ。時間で言えばそこまで経っていないはずなのに、もう遠い昔の出来事のように思える。そこへ……


「――」


「――」


 私たちが登ってきた登山道のほうから、数人の足音と話し声がかすかに響いてくる。アレニエさんは即座に高所に登り、誰が来たのかを確かめてから、こちらに戻って頷いてみせる。そしてロープを括りつけていた荷物を、崖下に落とした。

 それからしばらくして――


「――この山に向かったって目撃証言が……」


「――だからといって、何も追いかけなくても……」


 やがて足音と共に近づいてきた声には聞き覚えがあり、現れた姿には見覚えもあった。彼女たちは――


「あっ! 師匠ー!」


 こちらを、というよりアレニエさんの姿を見つけ、嬉しそうに声を上げるのは、オレンジ色の髪をポニーテールにまとめ、二本の剣を背負った小柄な少女。当代の勇者、アルメリナ・アスターシアその人だった。

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