幕間5 ある勇者と魔物の軍勢

「――見えたぞ! あれだ!」


 騎士団長――ゲオルグさんが馬上から飛ばす声に、同じく馬にまたがったぼくら冒険者は前方を見やる。

 そこには、軍を示す旗を掲げ、大軍で街道を進む人々の影があった。


 軍の中央には、白いローブとベールを身に付けた神官たちと、黒いローブを着た魔術師たち。それを護るように、黒の甲冑に身を包み馬に跨った騎士たちと、白い兜と鎧をまとい徒歩で従軍する兵士たちが、周りを囲む。


 そして、帝国兵からは離れた位置で一定の距離を保ちながら、けれど歩調を合わせて、大小様々な異形の姿の軍団が、街道を闊歩する様子が目に飛び込んできて……


「(あれが……魔物の、大群……!)」


 あんな規模の魔物の群れは、これまで見たことがない。下級のゴブリンなどだけではなく、オークやトロールなどの大型のもの、グリフォンやワイバーンなどの空を飛ぶものまで混在している。

 もしあれがデーゲンシュタットの街を襲っていたら、尋常ではない被害が出ていたはずだ。通常通り軍が対処したとしても、多数の犠牲者は免れなかっただろう。


 とにかく、まずは帝国軍のほうを止めなければいけない。ぼくらは馬を急がせ接近し、後方の部隊に追いつく。


「止まれ! 止まれー!」


 ゲオルグさんが大声で呼び掛けると、ぼくらの存在に気付いた軍の後続が、一部動きを止めて応対する。


「なんだ、あんたたちは。我々は現在作戦行動中だ。邪魔は――……いや、貴方は……き、騎士団長……!?」


 多数の冒険者たちに初めは警戒した様子を見せていた兵たちも、声を掛けてきたのが誰であるかに気づいた途端、態度が急変する。


「貴方は、陛下をいさめたとがで投獄されていたはずでは……それに、その軍旗は……」


「私はこの軍旗を陛下からお借りしてきた。その意味が分かるな?」


「そ、それは……」


「この軍の指揮官は誰だ? 話がある。連れてきてくれ」


「は、はっ!」


 受け答えしていた兵士が敬礼し、慌てて伝令に走る。

 しばらく待つと、軍全体の動きが止まった。予定にない進軍の停止に、多くの兵が動揺しているのが分かった。やがて、一人の若い男性の騎士が馬に乗ったまま、人の波をかき分けてこちらに近づいてくる。


「団長! ご無事だったのですか!」


「クラウス。お前が指揮官か」


「はい。団長が拘束された後、指揮権は私に移譲されましたから。しかし、この状況はいったい……それに、それは陛下の軍旗では……」


「陛下は勇者殿が打ち倒し、捕縛した」


「なっ……!?」


「安心しろ。御身はご無事だ。だが、陛下は悪魔の声に耳を傾けていたことに気づきながら、自身では止まることができない状態だった。よって力尽くで止めるほかなかった……お前も気づいていただろう? この戦には、正当性も利益もない。あるのはただパルティールへの負の感情と、人類を裏切ったという汚名だけだ」


「では、戦は……」


「中止だ。そのために陛下は、この軍旗を私に託してくださったのだ。自身は命を下した責任を引き受け捕縛され、なおかつお前たちを止めるために」


「……陛下……」


 ゲオルグさんの部下と思しき騎士――クラウスさんは、感じ入ったように言葉を途切れさせる。

 と、そこへ――


「なぜ止まっている人間共! これはなんの騒ぎだ!」


 魔物の側から動きがあった。同調して進軍していたはずの帝国軍が停止したことに気づいたのだろう。一人の魔族が、二本角の生えた馬のような魔物に乗り、ゲオルグさんたちのほうへ詰め寄ってくる。


「貴様ら人間は夜間の行軍も覚束おぼつかないのだろう! 日があるうちは足を止めるな!」


 肌の青い、男の魔族だった。耳は奇怪に尖り、目には白目がなく、赤い瞳孔だけが黒い眼球の上で輝いている。

 この魔族が、群れを率いる指揮官だろう。見れば魔物たちも行軍を停止し、彼の動きを注視しているように見える。


「それとも、今になって同族に弓引くことに怖じ気づいたのか? だが忘れるな。これは貴様らの皇帝からの勅命ちょくめいで――」


「その陛下が、賊に襲われ捕縛されたそうだ」


「……何?」


 クラウスさんの言葉に、魔族の指揮官はいぶかしげな表情を見せる。


「もしもそれが真実ならば、他国に攻め入っている場合ではない。我らは急ぎ帝都に帰還し、事の真偽を確かめねばならぬ」


「ふざけるなよ人間。貴様らが皇帝から命じられたのは、我らと共にあの忌々しい王国を攻め滅ぼすことだろう。その命令に背く気か?」


「優先順位の問題だ。我らの本分は陛下を、そして帝都を守護すること。その陛下の安否を確かめるのは、何よりも重視されるべき案件だ。捨て置くわけにはいかない」


「ぬ……大体、何者だ、そんな報せを持ってきたのは! 後からやって来たそいつらか――……」


 そう言ってこちらに視線を向けた魔族の男は……


「……その剣、もしや神剣……貴様、勇者か!」


 ぼくを、いや、ぼくが背負う神剣を目にして、憤怒の表情を浮かべる。

 顔を知らなかった様子なのにぼくが勇者だと気づけたのは、魔覚(注:魔力を感じる感覚器官)に優れていると言われる魔族ゆえだろうか。神剣に宿る魔力を感知したのかもしれない。


「さてははかったな貴様ら! 勇者の身柄を渡すつもりなど初めからなく、我らをここで騙し討つ腹積もりか!」


「いや、待て。それに関しては偶発的な――」


 クラウスさんが抗弁するが、魔族は聞く耳を持たなかった。


「いいだろう。貴様らがその気ならば遠慮する必要もない。ここで貴様の部下共々始末してくれる! ……魔物共! こいつらを――」


「おっと、やらせるかよ!」


 そう叫んで魔族に側面から躍りかかったのは、いつの間にか馬を降りて背の大剣を引き抜いていたジャイールさんだった。


「ぬぅ!?」


 魔族は咄嗟に馬から飛び降り、大剣の一撃をかわす。代わりに斬られたのはその場に留まった馬の魔物だ。胴を両断され、前後に分かたれる。おびただしい血が辺りに広がる。


 このあたりで、ぼくらも慌てて馬を降り、いつ襲われても対処できるよう武器を構える。ぼくはいつもの長剣ではなく神剣を引き抜きながら、二人の戦いを目で追った。


「ヴィドぉ! もうやっちまってもいいよなぁ!」


「ああ、存分に暴れろ」


「よっしゃあ!」


 ストッパー役のヴィドさんからお墨付きを貰ったことで、ジャイールさんは活き活きと躍動する。そのまま魔族の指揮官に突進しようとするが……


「ちっ! 舐めるなよ、人間風情が!」


 魔族が前方に右腕をかざすと、今さっき両断されたばかりの馬の死体から血液だけが浮かび上がり、誘導され、その手に集まってゆく。血を操るのが彼の魔術なのだろう。次第に細長い剣の形状になったそれを掴み取り、魔族はジャイールさんを迎え撃つ。


 ギィン!


 重量差のありそうな大剣の一撃を、血の剣は互角に受け止める。魔族の膂力りょりょくと魔術の強度が為せる業だろう。彼らはそのまま正面から力比べをするように、互いの剣をぶつけ合わせる。


「まさか、貴様らに先に裏切られることになるとはな!」


「先にってことは、てめぇらも裏切る気満々だったんじゃねぇのか!」


「当たり前だ! 契約とは対等の立場で結ぶもの! 貴様らごときと我ら魔族が対等なわけがあるまい!」


「ハっ! やっぱ魔族はクソだな!」


 剣を打ち合いながら罵り合う二人。やがて何度目かの交錯の後、一層強く剣をぶつけ合ったところで、互いに後方に仰け反り、距離を取る。


 そこで、魔族が奇妙な動きを見せる。剣を持っていないほうの左手の指先に魔力を集め、その指を自身に招くようにクイっと動かす。が、見た目には何も起こらない――


「ジャイール! 後ろだ!」


 ヴィドさんの叫びが飛ぶ。彼が言う後ろには、馬の魔物の死体がまだ横たわっていた。そこから――


 ビシュシュ!


 魔術によって操られた血液が複数の矢のように飛び、背後からジャイールさんを襲う。


「うぉ!?」


 ギギン!


 事前のヴィドさんの注意のおかげか、ジャイールさんは寸前で背後からの攻撃に気づき、振り向きざまに大剣で血の矢を防ぐ。


「ちっ……人間のくせにやるじゃないか」


 わずかに残念そうに呟いた魔族は、次には切り替えて強い口調で命令する。


「魔物共! 構わん、奴らを殺せ! 愚かなアスタリアの眷属共に、我らをたばかった罪を思い知らせて――」


 そこまで口にしたところで、ジャイールさんが再び魔族に斬りかかる。


「どこ見てやがる!」


「ちぃ! うっとおしい人間め!」


 そのまま二人は戦闘を継続し、こちらからは離れていってしまう。

 そして指揮官の命令を受けて、それまで待機していた魔物の軍勢がゆっくりと、まるで恐怖を煽るようにじわじわと動き始める。


 アスタリアの被造物を攻撃する。その単純な本能で動く魔物たちと違い、人間は恐れや戸惑いで容易に身体が動かなくなる。

 帝国軍の多くはまだ、進軍が停止した理由もわからず混乱している状態だった。行軍の途中だったため、戦闘の準備も整っていない。


 そこへ、これまで歩調を合わせてきた魔物が突如牙をむき、襲い掛かってくる。距離はまだ離れているが、一千を超える魔物の大群の圧力は、兵の精神に極度の負担を与える。やがてそれは限界を迎え、恐慌状態に――


狼狽うろたえるな!!」


 戦場と化した街道に、ゲオルグさんの力強い声が響き渡った。


「お前たちは誇りある帝国の兵だ! 魔物退治はお手の物だろう! いつもの仕事をこなすだけだ! 武器を取れ! 構えろ! 連中に目にものを見せてやれ!」


「「「お……おぉぉぉ!」」」


 ゲオルグさんの激励に奮い立った兵たちは雄叫びを上げ、一斉に戦う準備に取り掛かる。手に手に武器を取り出し、盾を構え、迫る魔物の大群に負けじと己を鼓舞する。


「クラウス。この軍の指揮官はお前だ。後は任せる」


「団長は……」


「今の私にはなんの権限もない。だからお前の指揮下に入ろう。好きに使え」


「……はっ! それでは、僭越せんえつながら私の指揮の下、この戦にお付き合いいただきます! ……総員、戦闘準備! 密集陣形だ! 固めた盾の隙間から槍をぶち込んでやれ! 騎士団は両翼から遊撃! 補給部隊は後方に下がれ! 神官、魔術師は術の詠唱準備!」


 クラウスさんの号令の下、兵たちが一斉に動き、定められた陣形を形作っていく。けれど……


「(このままじゃ、間に合わない……!)」

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