幕間4 ある勇者は質問する②

 剣を取り落としたぼくに向けて、皇帝が笑みを浮かべる。武器を拾う間に、あるいは背負ったもう一本の剣――神剣を抜こうとするより早く、皇帝の剣がこちらを切り捨ててしまうだろう。だから、ぼくは――


「――でやあああっ!」


 ぼくは、まだ痺れる腕に力を込め、拳を作り、ぎらつく笑みを浮かべた皇帝の顔面を、思い切りぶん殴った。


「ぐぶぁっ!?」


 苦悶の声だけを残し、皇帝が後方に吹き飛んでいく。

 わずかに宙に浮いた後、彼の身体は地面に落ち、何度か転がってから、やがて勢いも止まり、動かなくなる。


「はぁ……! はぁ……!」


 拳を振るった姿勢でしばらく荒い息をつきながら静止していたぼくは、相手が起き上がってこないことを確認し、ようやく腕を下ろした。


 この頃には、周囲の戦いも大勢たいせいは決していた。皇帝側の騎士や兵士は投降し、捕縛されていた冒険者も解放される。


 観客は動揺していた。当然かもしれない。宣戦を布告した皇帝とその配下が、突如何者かに襲われ、挙句敗れたのだから。ただ、観客の何割か(おそらく、他国からの旅行者)は、封鎖されていた闘技場が解放されたことに気づき、安堵の声を上げているようだった。


「勇者さま! 流石です、勇者さま!」


「ちょ、ちょっと待って、アニエス」


 感極まり抱き着いてくる神官の少女を押し止め、前方の皇帝を見やる。


 皇帝は動かない。地面に仰向けに倒れたまま、ピクリともしない。まさか死んでないよね?と不安になったため、警戒しながら近づき、確かめてみる。すると、起き上がる気配はまるでないが、わずかに呼吸しているのが分かる。


「(よかった、生きてる……)」


 安心し、その場で立ち上がり周囲を見回すと、こちらに駆け寄ってくる影が二つある。


「「アルム!」」


 シエラとエカルだ。戦いを終え、こちらの様子を見に来たのだろう。


「よかった、無事のようですね。こちらでも様子は見ていたんですが、ハラハラしましたよ」


「全くだ。だが、なんとか生け捕りにはできたみたいだな」


「うん。二人も無事みたいでよかった」


 ぼくらは互いの無事を喜び合い、安堵の息をついた。


 目的だった闘技場の解放には成功した。捕縛された冒険者も解放され、今はヴィドさんたちが、魔物の掃討に協力してくれないかと依頼を持ちかけている。

 いよいよ、帝国軍と魔物の混成軍をなんとかしなきゃいけない。なら、次にやるべきことは……



   ***



「う……む」


 短く呻く声が聞こえ、ぼくらは一斉にそちらを見やった。気を失っていた皇帝が目を覚ましたのだ。


「ここは……」


 彼は辺りを見回し、状況を把握しようと努める。前後の記憶があやふやなのかもしれない。


 今の皇帝は、自身の武器である大剣を没収され、後ろ手に拘束された状態で地べたに座らされている。周りにはぼくら勇者一行と共に、ヴィドさんとジャイールさん。それに、収容所で助けた騎士団長が立ち合い、皇帝を見下ろしていた。


「……そうか。オレは、負けたのか」


 わずかに俯き、皇帝が呟く。


「まさか、かの国の走狗でしかない勇者に、それも、こんな小娘に力で敗れるとはな。耐え難い屈辱だ」


 そう口にする割には、彼の反応は存外落ち着いたものだった。もっと怒り狂うかと思ったけれど。

 ぼくは彼に向き直り、口を開く。


「皇帝さん」


「なんだ? 勇者殿」


「お願いがあります」


「今のオレに望むこと、か。まぁ、大方の予想はつくがな。布告を撤回し、兵を退かせろというのだろう?」


「はい」


「――断る。……と言ったところで、こうして拘束されている現状では意味がないか。お前が解放されているのはそういうことだろう、ゲオルグ」


 皇帝はそう言って、投獄されていたはずの騎士団長に視線を向ける。


「陛下……この戦は、決して我が帝国の益にはなりません。たとえ一時勝利し、パルティールを降したとしても、その後は世界の全てが我らの敵に回るでしょう。そして……魔物との契約は、そもそも成り立ちません。それが奴らにとって、なんの価値もないものだからです。いずれ奴らは陛下を裏切り、この国を攻め滅ぼそうと――」


「あぁ、あぁ、分かっている。投獄する前にもお前に散々聞かされたことだ。確かにオレは悪魔の声を聞いていたのだろう。この戦に理も益もないことも承知している。だが――」


 彼は一拍置いて言葉を続ける。


「だが、それでもパルティールへの憎しみは消せなかった。そしてそれを受け入れたうえで、最終的に決断したのはオレ自身だ。今さらオレが簡単にひるがえすわけにはいかない。それでは、オレの命に従った兵たちにも申し訳が立たん」


 そう語る彼の表情は、まさに憑き物が落ちたようだった。ささやいていた悪魔が彼の元を離れたのかもしれない。


「だからお前が命じろ、ゲオルグ。この愚かな皇帝を打ち倒した英雄として、お前が責任を持って兵を退かせろ。オレの軍旗も持っていけ。進軍を止めるのに多少なりと役立つだろう」


「……はっ! 必ずや、兵たちを連れ帰って御覧に入れます!」


 皇帝は満足げに頷くと、次にぼくに目を向ける。


「魔物の処理は、お前に任せる」


「ぼくに……?」


「進軍を停止させた段階で、おそらく兵には動揺が走り、即座に魔物を討つ準備は整えられないだろう。その時、率先して魔物と戦う者が必要になる」


「何を偉そうに言ってやがんだこの皇帝。お前が招いた事態だろ――」


「よせ、ジャイール」


 文句を言うジャイールさんを、ヴィドさんが押し止める。皇帝はそれを受けて、皮肉げに顔を歪めた。


「その通りだ。この状況はオレが招いた。だからこれは命令ではなく、頼みだ。我が軍の兵が状況を把握し、己を鼓舞し、魔物と戦えるようになるまで。その時間を稼いでほしい。――頼む」


 そう言って頭を下げる皇帝に、内心でギョっとする。

 あれだけ嫌っていたぼくに――パルティールの象徴である勇者に頭を下げるのは、並大抵の屈辱ではないはずだ。それほどに彼は、自国の民を大事に思っているのだろう。


「分かりました。ぼくにできる範囲で、兵の皆さんを助けてみせます」


「……助かる」


 まだ少しわだかまりがあるのか、皇帝のお礼には躊躇ちゅうちょが残っていた。彼は続けて、こちらに注意を促す。


「魔物の群れには、統率する指揮官が――魔族がいる。そいつを討てば、奴らも組織立っては動けんはずだ」


「やはり存在したか、指揮する者が」


 皇帝の言葉に、ヴィドさんが読みが当たったとばかりに頷く。


「ああ。そしてもう一人。勇者の引き渡しを要求してきた魔族がいる。早ければ既に、指定された取引現場に現れているかもしれん。今回の騒動を終息させるには、そいつも討つ必要がある」


 もう一人、魔族が……!? と、驚くぼくを尻目に、ヴィドさんが淡々と口を開く。


「ああ。そちらに関しては、既に対処に向かわせてある」


「何……?」


 怪訝な顔を見せる皇帝。ヴィドさんはそれを素知らぬ顔で受け流し、同意を求めるようにジャイールさんに視線を送る。


「そうだな。そっちは、あいつらに任しときゃ問題ないだろ」


「あいつら……?」


 って、誰のことだろう。

 しかし教えてくれる気はないらしく、二人はそのまま話を進めてしまう。


「ともかくこれで、収容所と闘技場の解放は完了し、布告の撤回も道筋はついた。我々の仕事もあと少し。次が最後というわけだ。さあ――」


 一拍空け、ヴィドさんがわずかに決意を込めて宣言する。


「――戦争を、止めに行くぞ」

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