16節 伝令は三度戸を叩く

 首尾よく闘技場を脱出した私たちは、目的の冒険者の宿へ急ぐため、デーゲンシュタットの街中を駆けていた。その最中、走りながら街の様子に目を向けていたらしいアレニエさんが、ぽつりと呟く。


「なんだか、浮ついてるね」


 その言葉に、私も周囲に目を配ってみる。

 街はもとより闘技場に合わせて祭りのような状態だった。浮ついた雰囲気は最初からあったとも言えるが、それを差し引いても住民たちの熱気は異様だった。口々に祖国を称える彼らからは、最後には決まってこの文句が口に上る。「帝国に勝利あれ!」。


 一方で街の中には、戸惑い、気落ちし、あるいは怒り、中には住民と喧嘩を起こしている人などもいた。その多くは私たちと同じく、他国から来た旅行者だろう。もしかしたら戦争に反対する帝国民もいるかもしれない。


「皇帝が発した宣戦布告が、既に民衆に広まっているのかもしれんな」


「人質は他国の人間だけって言ってたし、闘技場を出た帝国民がもう噂を流してるのかもね」


「闘技場だけではなく、街の出入り口も封鎖していると言っていたな。そちらでは暴動が起きているかもしれんぞ」


 そんな話をしている間に、私たちが泊まっている冒険者の宿、〈盾の守り人亭〉が見えてくる。


「あの店だよ」


 アレニエさんが先導し、宿に真っ直ぐ向かっていく。そしてもう少しで辿り着こうかというところで――


「すまねぇ、どいてくれ!」


「わっ、と」


 軽装の鎧を纏った若い冒険者が横から飛び出し、アレニエさんに先んじて〈盾の守り人亭〉に入っていった。少しの間様子を見ると、先ほどの冒険者はすぐに宿を出て、またどこかに全速力で駆けていく。


「なんだぁ、ありゃ?」


 急に止まったアレニエさんにぶつかりそうになったからか、ジャイールさんが少し不機嫌そうに呟く。


「もしかして……」


 アレニエさんもぽつりと呟くと、すぐに宿の中に入っていく。私たちもそれに続き、店内に足を踏み入れると……


「おぉ、お客人! いいところに帰ってきた! 急ぎの依頼があるんだが受ける気はないか!?」


 宿の主人がかなり慌てた様子で、突然依頼を勧めてきた。アレニエさんがなだめるように彼に話しかける。


「ちょっと待って、落ち着いて。依頼って、なんの依頼?」


「ん、おお、そうだな……すまん。……今さっき、物見に立ってた冒険者から報告が上がってな。北のほうから、魔物の大群が迫っていると」


「魔物?」


「ああ。その数、目視でおよそ一千体以上」


「一千……」


 さも知らない情報であるかのように自然に演技するアレニエさんの後ろでは、ヴィドさんとジャイールさんが「ほう……」「マジかよ」などと声を漏らしていた。本当に魔物が現れたことで、私たちを信じる気になってくれたのかもしれない。


「こんな規模の大群に遭遇したことは、わしの記憶にある限り一度もない。だというのに国は、守備隊に迎撃させず、街の南に軍を展開させたまま、動く様子がないという。それどころかこの状況で、皇帝がパルティールに宣戦布告したなんて噂も流れてきた。いったい何がどうなってるんだ?」


 店主は軽く頭を振り、なんとか自分を落ち着かせようとする。


「……すまない。お前さんたちに愚痴っても仕方なかったな。とにかく、わしらはわしらでできることをせにゃならん。軍が動かないのなら、冒険者をつのって街を護るしかない。先祖代々受け継いできたこの街を奪われるわけにはいかんからな。……それで、どうだね。要は魔物の討伐依頼なんだが、受けちゃくれんか」


「ごめん。実はわたしたちも急ぎでやらなきゃいけない依頼があってね。これ以上引き受けるのは難しいんだ」


「別の依頼……そうか。いやしかし、街は今、軍によって封鎖されてると聞いたぞ? そんな状況になってまでやる必要のある依頼なのか?」


「うん。とっても大事な、やらなきゃいけない依頼なんだ。だから――」


 と、そこへ――


「――報告! 報告だ!」


 店の扉を勢いよく開き、新たな人物が息を切らせて店内に入ってくる。先ほど報告に訪れたのとは別の冒険者だ。彼はしばし呼吸を整えると、店主に向かって声を上げる。


「接近していた魔物の大群はこの街を襲わず素通りし、そのまま南下する模様!」


「はぁ? 素通り?」


 と、これはジャイールさんの声。


「だがしばらく警戒は続けられたし! 報告は以上! 俺は別の店にもこの情報を伝えに行く! それでは!」


 来た時と同じくらいの忙しさで、報告に来た冒険者は去っていった。

 後に残された私たちは、しばらく全員で唖然あぜんとしていたが、やがてアレニエさんが沈黙を破って声を上げる。


「依頼は、必要なくなったみたいだね」


「どうやら、そのようだ……騒がせてすまなかったな、お客人。しかし、どうなっているんだ……?」


 そう語る店主は狐につままれたような表情で、冒険者が慌てて閉めていった扉に視線を注いでいた。他の生物を襲うよう本能に刻まれていると言われる魔物が、目の前の餌に食いつかなかったことが信じられないのだろう。実際これまで、この街が襲われ、そして撃退することによって、他の街や村が無事で済んでいたのだから。


「だが、放置しておいていいのか? この街を襲わなかったというだけで、魔物自体が煙のように消えたわけではあるまい。南下した先で別の場所が襲われるだけではないのか?」


 ヴィドさんの疑問に、店主が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。


「ううむ……確かに、そのおそれはある。しかし街の南に向かったというならば、さすがに展開していた帝国の軍が対処するだろう。この状況を放って他国に攻め入るほど、皇帝の目も曇っては――」


「――報告! 報告に来た!」


 三度、店の入り口から報告者が現れる。これまでとはまた別人、三人目の冒険者だ。おそらく交代で物見台に立っているのだろう。


「魔物の動向についての続報だ! デーゲンシュタットを素通りし、南に向かった魔物の大群は、そこに展開されていた帝国軍と接触! だが――」


「……だが?」


「――軍は魔物と交戦することなく南に進軍を開始! それに同調するように魔物も再び移動を始めた!」


「はぁぁぁ?」


「なんだと……?」


 ジャイールさんとヴィドさんがそれぞれ驚きに声を上げる。けれど私とアレニエさんは冷静に事態を受け止めていた。まさしくそれは、先刻〈流視〉に見えていた流れだからだ。


「信じ難いが、オレには帝国軍と魔物が協調して動いているように見えた……もし、このままルーナに攻め込むようなことがあれば……」


 三人目の報告者は、そこから先は口にしなかった。けれど全員が理解したはずだ。魔王が蘇り、全ての国が協力して魔物に対処しなければならないこの情勢で、突如帝国と魔物の混成軍に攻め込まれるルーナ王国がどうなるか、想像に難くない。


「……すまない、取り乱した。ひとまず、オレはこの事実を他店にも警告に行かなきゃいけない。また何か情報が入れば報せるよ」


 そう言って彼は、他二人の報告者と同じく、慌てて店を出て行った。


「……」


 二人目の報告者が去っていった時を再現したように、しばらく場を沈黙が支配していたが……その沈黙を破ったのもまた先刻同様、アレニエさんだった。


「とりあえず、店からの依頼はなくなったんだよね? わたしたちはさっき言ったようにやることがあるから、もう行くね。ほら行こ、リュイスちゃん。あなたたちも」


「あ、ああ……」


 私たちはアレニエさんに追い立てられるようにして、店を後にする。あとに残されたのは呆然とした様子の店主一人。


「……本当に、どうなってるんだ?」


 扉を閉める間際に聞こえた彼の呟きが、なぜか耳に残っていた。

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