11節 背中合わせに手を合わせ

 城壁に囲まれた王都には、三か所に城門が設けられている。

 一つは中層から直接出入国できる北門。あとの二つは東門と南門で、共に下層の出入り口として活用されている。


 手早く朝食と旅支度を終えた私たちは、その日のうちに東門から王都を出た。

 出がけに聞いた噂では、勇者一行はすでに北門から出立したらしい。

 王都を出た彼らは、各国を経由しながら『森』を目指し、そこで……その命を落とす。

 私たちは、なんとしてもそれより前に辿りつかなければならない。


 慌ただしい出発になってしまったが、目的を果たすためには一日でも早いほうがいい。それに出発が遅れれば、例の賊による襲撃でお店にも迷惑がかかるかもしれない。


「うちにいる間は、多分襲ってこないけどね」


 お店の娘さんが呑気のんきに言う。確かに、腕利きが揃うという店に喧嘩は売りづらいだろうけど。


 無法と言われる下層だが、ここにはここの法があり、法を破れば罰を受ける。中でも私欲による殺人は大罪だ(これはどの国や街でも大抵そうだが)。


 死は、生物にとって最も普遍的な不幸だ。

 それまでこの手に伝わっていた温もりも、響いていた鼓動も遠ざかり、そして……二度と、動かなくなる。


 それは、〈黒の邪神〉が生み出した最悪のもの。

 女神が創り上げた完全な世界は、邪神のもたらした死という悪によって不完全におとしめられ、あらゆる命はいずれ滅びることが決定づけられた。神すらも。


 殺人が大罪とされるのは、そのためだ。他者に不幸を強制させる罪であり、邪神の悪に荷担する行為であり、さらに女神から授与されし生の権利の侵害でもあるそれを、私たちは忌避する。それに、穢れという物質的な問題もある。


 強い穢れは病毒になり、他者に蔓延まんえんさせる恐れさえある。正当な理由なく街中で発生させるのは下層でも重罪で、発覚すれば即座に騎士団に連行される(彼らがこちらに降りることはないが、こちらから罪人を引き渡すことは可能だった)。


 襲撃者がどこまで踏み込む気かは分からないが、仮にアレニエさんの命まで狙うとするなら、仕掛けてくるのはおそらく街を離れてから、というのが、彼女の見解だった。


「だとしても、なるべくお店に迷惑はかけたくないですから」


 ただしその見解は、相手がまともに襲撃してきた場合の話だ。

 昨夜の大男のように怒りで我を忘れた類なら、街中だとしても何をしてくるか分からない。下手をすれば、お店や隣家にまで被害が及ぶかもしれない。


 アレニエさんが、マスターや〈剣の継承亭〉を大切にしているのはなんとなく感じていたので、私もできる限り、被害を出さないよう動きたいと思っていた。

 私が思いつく程度の心配は、彼女も承知の上かもしれないけれど。


「……ありがと」


 ほんの少し驚いたような顔を見せた後、彼女はふわりと微笑んでみせる。……その不意討ちはずるいと思いますアレニエさん。




 私たちは門を出発し、次の街までの街道を歩いてゆく。

 徒歩なのは、襲撃者を警戒してのことだ。

 彼女によれば、今も監視は続いているという。人気が無くなれば、すぐにでも姿を現すと。


 当初は馬を使うつもりだったが、被害が出る可能性を考慮して断念した。

 育成、維持に多大な労力が必要な馬は、持ち主にとっても国にとっても貴重な財産になる。失う可能性が高い状況では使いづらい。


 まだ昼間なのもあり、始めは私たちと同じように王都を出る人、逆に王都に向かう人等がちらほらいたのだが、旅人の多くはそれこそ馬や馬車で移動しており、徒歩の私たちは取り残されていく。

 やがて王都から離れ、他の旅人も見えなくなったところで、アレニエさんと二人、背中合わせで警戒する。


 程なくして、細身の男がどこからか気配もなく現れた。旅用と思われるフードを目深に被っており、表情はよく見えない。

 そしてなんらかの合図があったのか、王国側から次々と、馬に乗った人影がこちらに向かってくる。一人、二人、三人、四人……


「……あれ、思ったより多い?」


 アレニエさんのそんな呟きが聞こえた。その間にも人数は増えていく。

 次々と現れた襲撃者は、総勢で八人。馬から降りて付近の木に停め、各々得物を手にし始める。


 配置は、私たちの後方に六人、前方に二人。これは王国側に逃がさないようにするためだろう。距離を空け、こちらをグルリと囲んでいる。


 全員が、少なくとも私より腕の立ちそうな、冒険者だった。

 そしてそのうちの一人は、昨日〈剣の継承亭〉にやって来た、あの大男だった。


「……誰だっけ?」


 えぇっ!?


「ほら、昨日来たあの人ですよ! アレニエさんが蹴り飛ばした!」


「え? …………ああ~うん、憶えてる憶えてる。なんとなく」


 昨日の今日なのに、アレニエさんはほとんど憶えてなかったらしい。……あぁ、ほら。あの人見るからに怒ってるし。


「てめぇ……よくもそこまでおちょくれるもんだな……!」


「いやー、寝起きでまだぼんやりしてたから、顔まではちゃんと憶えてなくて」


 むしろ寝起きでどうしてあんな動きできるんですかアレニエさん……

 当たり前だが、男ははたから見てわかるほどに激昂している。報復に来たのに当の相手が憶えていないなんて、むしろ怒る以外の選択肢がないだろう。私が同じ立場でも多分怒る。


「少し落ち着け。お前の悪い癖だ」


 今にも跳びかかってきそうな大男だったが、仲間の一人、最初に現れたフードを被った細身の男が、それを制止する。


「今回は腕試しじゃない。なんのために人数を集めたと思ってる。包囲して確実に叩くためだろう。一人だけ先走るな」


「……ああ……ああ、そうだな」


 諭され、大男はいくらか冷静になったようだった。他の襲撃者から数歩下がった位置まで下がり、待機する。背の大剣で仲間を巻き込まぬようにするためだろうか。


「まあそういうわけだ。こいつらは君を倒すために集めた。恨みを持つのが半分、分け前狙いが半分というところか」


 既に勝利を確信しているからか、男はご丁寧に狙う理由を説明してくれる。


「神官のお嬢さんもいるとは思わなかったが、運が無かったと諦めて…………君は……もしや、リュイス・フェルム、か?」


「え?」


 どうして、私の名前を……


「これは僥倖ぎょうこうだ。まさか標的が二人揃って行動しているとはな。柄にもなく、巡り合わせに感謝したくなる」


 標的は……二人? アレニエさんだけじゃなく、私も……?


「〈黒腕〉を討ち取ったとなれば、それだけで名が売れる。神官のお嬢さんも、生死は問わずに連れて来いという話だ。それに生け捕りにできれば、別の楽しみもある。幸い、君らは共に器量がいい」


 フードの男は平然とそんな台詞を口にし、周りの男たちも好色そうな笑みを浮かべている。

 それは、正しく噂で聞いた通りの、下層の冒険者の姿だった。

 狙われる恐怖も、下劣さに対する憤りもある。が、今は私なんかを狙う理由がなにより気にかかっていた。フードの男を問い詰めようと――


「一応聞いておきたいんだけど」


 ――する前に、アレニエさんが言葉を挟む。


「ここで引く気はないかな」


「……まさかとは思うが、命乞いか?」


「ううん、その逆。死にたくない人は、今すぐここで回れ右してほしいな、って」


 アレニエさん……?


「……驚いたな。この状況でそんな台詞が吐けることもそうだが……悪名高い〈黒腕〉が、まさか他人の命を気に掛けるとは」


「いや、あなたたちの命には欠片も興味ないんだけど」


 さらりとひどいことを言うその表情を、ちらりと覗き見る。

 彼女はいつもの笑顔に少し困ったような色をにじませていたが……不意に、その表情が消える。――背筋が粟立あわだつ。


「わたしさ、一応、必要ない時はなるべく殺さないようにしてるんだよね。けど、それでも襲ってくる相手も結構いるから、そういうのには遠慮しないことにもしてる。〝斬る〟って決めたら、ほんとに斬るよ。だからそれが嫌なひとは……こんなところで『橋』を渡るなんて馬鹿らしい、って少しでも思うなら。このまま、なにもしないで帰ってくれないかな」


 それは、普段と変わらない、穏やかな口調。

 けれど、普段とは違う、底冷えするような声音。

 男たちもなにかを感じたのか、先刻まで浮かべていた笑みが消えていた。しかしいち早く気を取り直したフードの男が、仲間に声を掛ける。


「……いくら腕に覚えがあっても、この人数差だ。しかも向こうには、経験の乏しい神官のお嬢さんもいる。臆することはない」


 私の経験の浅さを見抜かれている。事実、実戦はこれが初めてだった。

 武器を持った相手と向かい合うのは、想像以上に恐怖が伴う。異性に性的な目で見られるのも初めてだ。

 神殿で訓練は積んできたけれど、その成果をきちんと出せるかも分からない。今も、足がすくんでいる。


「……やっぱり、引かないか」


 アレニエさんは諦めたように小さくため息をつく。

 先刻の発言は、無事にこの場を切り抜けるための、ただの駆け引きだったのだろうか。

 けれどあの時の彼女からは、口先だけに収まらない冷たさ、酷薄さが感じられた。殺人という禁忌を、本当に躊躇ためらっていないような――


 いや、それよりも。仮にアレニエさんが全力で戦ったとして、それでこの人数差がなんとかなるのだろうか。確かに彼女は腕利きの冒険者だが、相手もそうなのだ。

 しかもこちらには、私というお荷物までついている。フードの男が言う通り、勝ち目自体が薄いように思える。

 思わず足を引いてしまう。アレニエさんの背が近くなる――


「リュイスちゃん」


 先刻より近づいた背中越しに、彼女の声が耳に届く。


「突破口作るから、そこから逃げて。思ったより数が多いし、わたし、守りながら戦うの苦手で」


 そうだ……昨晩そう聞いたばかりだった。

 確かに、包囲を突破して私一人が逃げることは可能かもしれない。

 けれど、その後は? 彼女だけが取り囲まれて、なぶり殺しにされるのでは?


 それにその場合、彼女も相手も、お互いに殺すことをいとわないのだろう。……こんな状況で何を言っていると思われるだろうが、私はできるならどちらにも、死者を出してほしくない。


 なら、どうすればいいか。自分の中ではとっくに答えが出ている。

 それをすぐ口に出せないのは、初めて触れる実戦の空気に萎縮いしゅくしているせいだ。けれど、もうそんな場合じゃない。怯える自分を心の中で殴り倒し、背後のアレニエさんに返答する。


「……後ろの二人は、私が相手をします。すぐに倒して、アレニエさんに加勢します。それなら、相手を殺さずに、無力化できませんか?」


 言いながら、しかし私の手は震えていた。


「あぁ、神官だもんね。目の前で穢れが生まれるのは避けたいか」


「……それも、確かにあるんですが……。……」


「でも、この状況で誰も殺さないのは難しいかなぁ。下手するとこっちが死んじゃうし」


「それも、分かっています……だとしても、私は…………」


 言った通りにできるかは分からない。下手をすれば彼らの慰み者に、あるいは物言わぬ死体になってしまうかもしれない。神官が無益な闘争で穢れに満ちたむくろを晒すなど、醜聞しゅうぶんどころの話ではない。

 それでも、他人が……彼女が死ぬことに比べれば、断然マシだ。


「私が、止めます。止めてみせます。少なくとも、アレニエさんのところには死んでも通しません。だから……」


 しばしの沈黙。

 そして不意に、震える私の手を、温かいなにかが包み込んだ。


「……!」


 ほのかな温もりを感じるそれが――アレニエさんの手が。私の恐怖を解きほぐすように、指を絡めてくる。


「意気込みは嬉しいけど、『死んでも』は無し。……いい?」


 絡めた指にほんの少し力を込めながら、彼女はこちらに振り向き、いつものように微笑む。


「それだけ約束してくれるなら、ちょっと頑張ってみるよ。……後ろ、任せていいかな」


「…………はい!」


 返答に満足気に頷き、彼女は指を解く。震えは、いつの間にか治まっていた。

 命も危うい状況だというのに、私は彼女に背中を任されたことに、自分でも不思議に思うほどの嬉しさを感じていた。


 寄りかかっていた身体を離し、弱気を追いやるように息を吐き出す。

 すくんでいた足に力を込め、私は自分から一歩を踏み込んだ。

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