10節 笑顔の仮面

 ユティルさんのお店で買い物を済ませ、私たちは〈剣の継承亭〉への帰路についていた。


 私が買ったのは、主に傷薬や包帯などの医療品。

 神官が行使できる法術には他者の傷を癒すものもあるので、必要ないといえばないのだけど……


 法術の行使には神への供物として、信仰を込めた祈りと共に、魔力を捧げる必要がある。身体に蓄えた魔力を使うという点では、魔術と同様だ。

 尽きれば当然術は使えないし、過度な魔力の消耗は精神の衰弱、意識の喪失などを招く。そうなれば、他人の傷を癒すどころではない。


 それに私は、高位の法術を使えない。

 仮にアレニエさんが重傷を負うようなことがあれば(そんな事態に陥った時点で私も無事ではないと思うが)、私の術では手に余るかもしれない。もしもの備えは、一つでも多い方がいい。


 ……なんで露店で医療品まで入荷してるんだろう。と、一瞬疑問には思ったものの、彼女の薦め通り、ありがたく安値で買わせてもらった。

 アレニエさんも、先刻薦められた品を中心にいくつか購入していた。ちなみにまけてはもらえなかった。


「――……それじゃあ、アレニエさんはお店のマスターに剣を教わったんですね」


 宿へ帰りつくまでの短い時間ではあるが、私は彼女との会話を試みていた。

 昨夜は半ば勢いで依頼を頼んだ結果……なぜか友達という形に落ち着いたが、まだお互いなにも知らないに等しい状態だ。

 これから旅を共にするからには、少しでも距離を縮めておきたい。正直、世間話は不慣れだけど。


「うん。ああ見えてとーさん、元冒険者だからね」


「えーと……どちらかというと、見たままな気がしますけど」


「そう?」


 マスターの、見た目の年齢にそぐわない落ち着きや威圧感を思い出す。元冒険者と聞いて、むしろ得心がいったくらいだ。


「わたしは、ああやってお店に立ってる姿、もう見慣れてるからかな。今のほうがしっくりくるんだよね」


 そういうものかもしれない。


「この街は、もう長いんですか?」


「住み始めたのは、十年くらい前かな。まあ、それだけ住んでれば地元かもしれないけど」


「じゃあ、元々は別の国の出身なんですね」


 初めて彼女の名を聞いた際に思った通り、他国からの移住者のようだ。


「実は、アレニエさんのリエスという姓、この国ではあまり聞かないな、と思って気になっていて……」


「あー……そうだね。かーさんがずっと北のほうの出身で、その辺りの姓らしいから、この国で聞く機会はないと思うよ」


 覚えがないはずだ。私は国外に出たことがないし、接した経験があるのも近隣国の人ばかりだった。


「上の名前も気になる?」


 少し控えめに、コクリと首肯する。


「別にたいした由来はないんだけどね。うちのかーさん、蜘蛛が好きだったんだって」


「それは……その、珍しい方ですね」


「ね」


 一般的には苦手な人のほうが多いと思う。とはいえ、感性は人それぞれだろう。


「蜘蛛の呼び方色々調べて、この国の『アレニエ』が一番響きが良かったから、これに決めたんだって」


「本当に好きなんですね……そのお母さんも、お店で一緒に住んでいるんですか?」


 こちらのつたない会話に乗ってくれたのが嬉しくて、私は話題をさらに膨らませようと話を続けた。そういえば昨夜は見かけなかった――


「ん? いないよ? わたしの両親もう死んでるから」


「――」


 ――そして膨らませた話題とわずかな嬉しさは、彼女の言葉で即座にしぼんでしまう。


 もう、亡くなって、る……?

 でも、両親、どちらも、って……? お店の、マスターは……?


「とーさん――本当のとーさんは、わたしが物心つく前に。かーさんは、わたしが子供の頃に。そのあと、今のとーさんに拾われて、この街に来たんだ」


「……そう、だったん、ですか……、……」


 ……やってしまった……他人に簡単に触れられたくないだろう部分に、不用意に……魔物に家族を奪われる人も少なくないと、分かっていたはずなのに……


「ぁ……っ……」


 ……こういう時、私は、相手にどんな言葉をかければいいのかが分からない。簡単に謝るのも、わざとらしく話題を逸らすのも、どこか違うように感じてしまう。

 かといって、咄嗟とっさに気が利く言葉が思い浮かぶわけでもない。沈黙し、うつむいたまま、私は……


「……リュイスちゃん?」


 彼女の呼び掛けに、ふと我に返る。


 何をしてるんだ私は……不躾ぶしつけな質問をしておいて、結局何も言えないまま黙り込むなんて……!


「う、あ……すみません! 不快に思われたなら……!」


「いや、そんなことないけど。それより、こっちこそごめんね。昔の話だし、あんまり気にしないで」


 彼女は微笑みながら、こちらを気遣ってすらくれる。

 けれど浮かべた笑顔は、ぎこちないと感じた昨夜と同じ……いや、昨夜よりも一層作り物めいた、仮面、のように見えて……


「…………私は……私も……両親はもう、いないんです。私が幼い頃に死別して、その後、司祭さまに拾っていただいて……」


 彼女が被るその仮面に、無性に胸の奥が締めつけられるように感じて、知らず私は口を開いていた。


 私の事情を知っている人の多くは、家族に関する話題自体を必要以上に避ける。

 知らなかった人も、それを告げた途端ひどく申し訳なさそうに謝罪し、慰めようとする。

 どちらにしても、私は罪悪感を感じてしまう。

 そして同時に、そっとしておいてほしい、とも思ってしまう。


 私の現状はただの事実で、謝罪も、慰めも、同情も欲していない。与えられても、なにも返せない。

 だから、彼女へ掛ける言葉が思いつかなかった。なにを言えばいいのか、分からなかったから。

 ……いや、それは言い訳だ。彼女が私と同じように感じるとは限らないのに。


「――……だからリュイスちゃん、『上』の人っぽくなかったんだね。そっか……うん。そっか……」


 納得したように呟き、柔らかく微笑むアレニエさん。

 だけど今度のそれは、先刻までの仮初めのものとは、かすかに違うように感じられて――


 その笑顔に、また胸を締め付けられるような……けれど、先ほどとは確かに違う気持ちが湧き上がる。

 内から溢れる衝動に押され、なにを言うべきか分からないまま口を開きかけ……ちゃんとした言葉になる前に、彼女に遮られる。


「ごめん、ちょっと待ってね。あ、後ろ振り向かないで歩き続けて」


「……?」


「さっきから、誰かに見られてるみたい」


 彼女が言うには、少し前から誰かが後をつけてくる気配、監視されているような視線を感じていたというのだけれど……


「私たちを監視なんて、一体誰が……」


「えーと……多分わたし目当てだから、先に謝っとくね」


「……はい?」


「ほら、わたしあちこちで色々やらかしてるから……昨日みたいな」


 そう言われ、つい納得しかけてしまう。

 マスターが彼女について、「揉め事が絶えない」と言っていたのも思い出した。


「たまにあるんだよね、こういうの。ちょっと久しぶり」


 いつ襲撃されるかも分からないのに、アレニエさんは気楽に言う。さっきまでの気まずい空気は、もうどこかに霧散してしまっていた。


「さすがに街中で仕掛けてはこない、かな。とりあえず、一旦うちに戻ろっか」


「はい……」


 本当にこの人で良かったのだろうか、と、今になって若干の不安を覚えつつ、私たちは宿までの帰路についた。

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