5-3 慈悲の町 シャリテ

 馬が歩く音と、二人分の足音がシャリテの町の中に響く。

 トレランティアやアルズの町を歩いていたときは、常に大勢の人々の声や足音が聞こえ、歩いているだけでわくわくするような気持ちになった。

 生まれ育った農村も人が少なかったが、それでも外に出たら農作業に励む人の声や子供たちの声が聞こえていた。

 人が少なければ少ないなりに、穏やかな生活を送っているところばかりを目にしてきたせいか、シャリテの町はとても静かに感じられた。


(……人が全く暮らしていないわけではなさそうなんだけど……)


 考えながら、リーリャはシャリテの町並みをじっと見つめる。

 シャリテの町は、アルズよりも広く、トレランティアよりもほんの少しだけ小さい町だ。

 足元に伸びる歩道はインターロッキングブロックで鮮やかに彩られている。タイルの隙間からはわずかに草が伸びてきているが、手入れが全く行き届いていないほどではない。


 ずらりと並ぶ建物はどこか可愛らしい印象が強いが、ほとんどの店や建物の窓がカーテンでしめられて室内を見ることができないようになっている。

 いくつかの店や建物の前で足を止めて耳をすませてみても、中で誰かが動いている気配や音を感じることはできなかった。


「どうやら、多くの店は営業していないようだな」

「……そう……みたいですね。でも、どうして……?」


 はつり。アヴェルティールが顎に手を当て、何やら考えながらそういった。

 リーリャも同意を示しながら、くるりと周囲を見渡して息を吐く。

 ざっと見渡した範囲にも住民らしき人影は見当たらず、戸惑いや少しの心配が胸の中でぐるぐると渦巻いている。


(どうにかして、シャリテの町の人と出会えたら……)


 考えながら止めていた足を再度動かそうとした、そのときだった。


 ――……ぱたた。


 静寂に満ちた空気がほんのわずかに震え、視界の端で何かが動いたように見えた。

 はっと大きく目を見開き、リーリャは音が聞こえた方向へ視線を向けた。


「……リーリャ?」


 すぐ隣でアヴェルティールが訝しげな声を出すが、リーリャは彼のほうを見ずに道の先をじっと見つめる。

 聞き間違いでなければ、確かに誰かの足音が聞こえた。

 もちろんリーリャではない。隣にいるアヴェルティールも一緒に足を止めていたから、彼がたてたものではない。馬も同様にじっとしてくれているし、そもそも馬が歩く音は人間のものとは異なるため、すぐにわかる。

 この場にいる全員が立てたものでなければ、足音の主は自然と絞られる。


 リーリャたちではない、第三者の足音だ。


「……アヴェルティールさん。今すぐ、あの曲がり角の向こう側に私を連れていってもらうことってできますか」


 真っ直ぐ続いている道の向こうにある曲がり角を示し、アヴェルティールを見上げた。

 アヴェルティールがほんのわずかな時間、リーリャの目を見つめ返し、すぐにリーリャが示した方角へ目を向けた。

 すぅ、と紫の目が細められ、曲がり角を鋭く睨む。


「誰かいたんだな?」


 短い言葉での問いに、リーリャはこくりと頷いた。

 人影を目にしたのも、誰かの足音を聞いたのもほんの一瞬だ。

 気のせいである可能性も高いが、気のせいではなく確かに誰かがいたという確信に近い思いがリーリャの中で存在していた。

 アヴェルティールはちらりとリーリャへ視線を向け、言葉のない返事を確認する。


「……そうか」


 アヴェルティールがリーリャに手を伸ばし、そっと背中に触れてきた。

 次の瞬間、もう片方の手がリーリャの足をすくい上げるように持ち上げられ、ぐらりと視界が大きく揺れた。

 先ほどまで高い位置にあったアヴェルティールの顔がぐっと近くなり、横抱きにされているとすぐに理解できた。

 ふわりと彼がまとう香りがリーリャの鼻をくすぐり、心臓が大きく脈打った。


「誰かがいたのなら急ぐぞ」

「は、はい。……で、でも、あの、急ぐのはわかるんですけど」


 なんで私を抱き上げたのか。

 その問いかけをするよりも先に、アヴェルティールがリーリャを馬の背に乗せた。

 直後、軽やかな動きでアヴェルティールも馬に乗り、後ろからリーリャを支えるようないつもの姿勢で手綱を握った。


「地の利がない場所でお前を一人にするわけにはいかない。かといって、馬を残していくのも不安が残る。なら、こうして追いかけたほうが早いだろう」

「あ、それは確かに……わ、わ、きゃっ!?」


 アヴェルティールがそういった直後、馬がいなないた。

 軽やかに馬が走り出し、がくんと大きく視界が揺れてリーリャのバランスが崩れる。

 落馬する――焦りとわずかな恐怖がリーリャの心に生じ、何かに掴まろうととっさに手を伸ばす。

 けれど、リーリャの手が何かを掴むよりも先に、後ろからアヴェルティールの手が伸びて抱き寄せるような形でリーリャの身体を支えた。


「しっかり掴まっていろ。何なら一緒に手綱を握っていてもいい」

「は、はい」


 アヴェルティールへ頷き、リーリャもアヴェルティールとともにぎゅっと手綱を握った。

 リーリャの手が重なっていても、アヴェルティールは全く気にすることなく手綱を操り、リーリャが示した曲がり角を目指して馬を走らせる。

 人の足では辿り着くまでに時間がかかりそうな距離も馬を走らせればあっという間に縮まっていった。

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