第四話 逃亡と真実の断片
4-1 逃亡と真実の断片
走っている。必死に走っている。
何故こんなにも必死になって走っているのかわからない。
ただ、感じる。追ってきている何かに掴まれば、自分は死ぬのだという確信にも近い予感をはっきりと感じていた。
(とにかく、逃げなきゃ、逃げなきゃ――)
焦る気持ちに背中を押され、リーリャは息を荒げて真っ暗な道を走り続けていた。
ここがどこなのか、何故自分は何かから逃げようとしているのか、一つ一つ考えれば気になるはずなのに、今はただひたすらに逃げなくてはならないとそのことで頭がいっぱいだった。
リーリャが走り続けるたびに周囲の景色が移り変わり、また暗闇に包まれては違う景色へと変化していく。
生まれ育った故郷、王城から眺め続けた城下町、アヴェルティールと最初に出会った森の小道、トレランティアやアルズの町。
くるくる移り変わる景色は、どれもリーリャが今代のリインカーネーションに選ばれてから目にしてきたものだ。
(あれ……そういえば、アヴェルティールさんは)
今回の旅の引き金となった彼が、傍にいない。
ふとそのことに気づいた瞬間、リーリャの足がぴたりと止まった。
一度も足を止めて振り返る気が起きなかったのに、見えない何かに誘われるかのように振り返る。
真っ暗な世界の中、スポットライトがあたっているかのようにぽつんと人が座っているのが見える。座ったまま、ぴくりとも動かない。
不自然な明かりに照らされた髪は、少々くすんだ銀色。身にまとう衣服は赤黒く染まり、外套にも同様に本人のものらしき血がべったりと付着している。
その人物が誰なのか。理解した瞬間、リーリャの喉から声にならない悲鳴があがった。
リーリャは思わず傍に駆け寄ろうとしたが、何者かに腕を掴まれ、ぐんと後ろへ引き戻された。
いつからそこにいたのか、リーリャの腕を掴んでいるのは巡礼騎士たちが装着している篭手をつけた大きな手。
『世界に救いを!』
無数の声が叫ぶ。叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ。
救いを求める大合唱を背に、リーリャの腕を掴んでいる騎士が剣を抜き――。
「――!!」
急激に意識が覚醒し、ばっと飛び起きた。
夜の静けさに包まれた部屋の中で、リーリャの呼吸音だけが大きく聞こえる。
は、は、と荒い呼吸を繰り返しながら、リーリャはゆっくりと周囲に視線を向けた。
時間帯が異なるため、また違った印象を受けるが、あの少年に案内してもらった部屋の中だ。休む前はさまざまな家具や調度品をはっきり見れた室内も、夜闇に包まれた中では薄ぼんやりとしか見えない。
だが、窓から差し込んでくる月明かりが室内に静かな明るさを入れており、真っ暗闇というわけではなかった。
「……夢……」
ベッドに入る直前の記憶と変わらない、宿の一室。
その様子を目にし、先ほどまで自分が見ていたのは悪い夢なのだと理解し、リーリャは胸をなでおろした。
(……よかった……)
心臓はいまだにうるさく跳ね、指先は体温を失って冷えている。呼吸も浅く、息苦しさがある。
悪夢の影響はいまだに残っているが、それも次第に落ち着いていくはずだ。
月明かりが差し込む宿の部屋の中、リーリャはふらりとベッドから出て、できるだけ静かに隣で眠るアヴェルティールの傍へ近づいた。
あれが夢だとわかっている。わかっているが、どうしても彼の無事を確認したくなったのだ。
ひた、ひた。静かな足音とともにわずかな距離を詰め、隣のベッドを覗き込んだ。
アヴェルティールはベッドに身を横たえ、静かに寝息をたてている。
昼間はリーリャをまっすぐに見る紫色の目も、今は瞼の下に隠されている。顔の半分を隠しているハーフマスクも取り払われ、昼間はなかなか目にできない彼の素顔が月明かりの下にさらされていた。
(……この人、こんな顔だったんだ……)
ぐ、とリーリャの眉間に少しだけシワが寄った。
これまで行動をともにしてきたが、己はアヴェルティールという人物のことを何も知らないのだと痛感した。
彼の目的や騎士団長だったことなどは知っているが、知っていることといえばそれくらいだ。
彼がどんな顔をしているのかも、リインカーネーションの伝説に疑問を持つようになったきっかけも、どんなことが好きなのかも――アヴェルティール個人のことを、リーリャは何も知らないままだ。
(……知りたい)
この人のことを知らないのだと自覚すれば、今度は知りたくなってくる。
これっきりの付き合いになる可能性もゼロではないが、たとえそうなったとしてもアヴェルティールがどのような人物なのか知りたいという気持ちが消えることはない。
静かに眠り続けるアヴェルティールへ手を伸ばし、リーリャは指先で彼の頬にそっと触れた。
瞬間。
「……ん……」
「!」
静かに眠っていたアヴェルティールがわずかに身じろぎをした。
リーリャの心臓が驚愕で大きく跳ね、頬に触れていた手を反射的に引っ込める。
しかし、リーリャの手が完全に引っ込められるよりも早く、ベッドの中から伸びてきた手がリーリャの腕を掴んだ。
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