1-6 リインカーネーションと旅の始まり
リーリャの様子を無言で見つめたのち、アヴェルティールの足が再び動き、宿へ近づいていく。
扉を数回ノックしてから、ドアノブにアヴェルティールの手がかけられ、そっと開かれる。
アヴェルティールの後ろからそっと顔を出して店内を覗き込んでみれば、カウンターの向こう側にいる女性が大きく目を見開いているのが見えた。
「巡礼騎士様!? 聖女様も……お二人だけでどうなされたんですか!?」
女性が大きく声をあげ、がたりと音をたてて立ち上がった。
いつもなら多くの巡礼騎士がリインカーネーションの護衛としてついているはずが、今回は一人だけ。おまけに、その巡礼騎士が身にまとう外套には血痕が付着している。宿の人間を驚かせるには十分すぎるほどだ。
ちらりとアヴェルティールが背後へ軽く目をやったのち、リーリャの手を強く引いた。
「え、わ……っ!?」
突然手を引かれ、リーリャの足が自然と前へ数歩進んだ。
それでも上手くバランスをとれず、そのまま転倒するかと思いきや、アヴェルティールの腕が素早くリーリャを抱き寄せるようにして自分のほうへ引き寄せた。
わずかに存在していた距離がゼロになり、アヴェルティールが身につけている胴当ての冷たさがリーリャの額に伝わってくる。彼がうっすらと身にまとっている香りなのか、シダーウッドの香りに混ざり、かすかな血の臭いがリーリャの鼻をくすぐった。
リーリャを引き寄せた姿勢のまま、アヴェルティールが空いている片手で扉を閉め、宿屋の女性へ向き直る。
「驚かせてすみません。道中、何者かからの襲撃を受けてしまい……なんとか聖女様をお連れして、ここまで逃げることに成功したのですが」
他の巡礼騎士たちは……と言葉を途中で止め、アヴェルティールがわずかに表情を曇らせた。
リーリャたちリインカーネーション一行が襲撃を受けたのは事実だ。だが、その襲撃犯はアヴェルティールであり、逃走に成功したわけではなく彼がリーリャを連れ出したのが真実である。
唯一の不審点といえば外套に付着した血痕だが、アヴェルティールが身につけている篭手や胴当ては巡礼騎士たちが身につけているものと同じだ。さらに、今代のリインカーネーションであるリーリャと一緒にいる。これらの情報が揃っている状態でこのような話を聞かされれば、襲撃犯との戦闘時に付着した血痕だと考えてしまう。
嘘の中にほんの少しの真実を織り交ぜた言葉は、完全な嘘をつくよりも力を増す。アヴェルティールもそのことを知っていて、このような言葉を紡いだに違いない。
(……この人、すごく、嘘をつくのが上手だ)
助けを求めるなら今かもしれない。
しかし、先手を打たれた今の状態でリーリャが真実を口にしても、気が動転していると思われて終わってしまう可能性が高い。
自分が不審がられないようにしつつ、リーリャの逃走を封じてくる――おそらく、リーリャが思っている以上にアヴェルティールという人物は実力者だ。
リーリャの眉尻も自然と下がり、物憂げに目が揺らぐ。
その反応からアヴェルティールの話が真実なのだと信じたのだろう。宿屋の女性も表情を曇らせたのち、こちらを元気づけようとするかのようにわずかに微笑んだ。
「そうでしたか……お二人がご無事で本当によかったです。特に、聖女様に何かあったら……」
一度言葉を切り、女性は首を左右に振ってから再度緩く笑みを見せた。
「聖女様も騎士様もお疲れでしょう。どうか、ゆっくりお身体を休めてください。神殿へ向かうのは明日にされますか?」
「そうですね……襲撃があった直後です。今日のところはそうさせていただきます。聖女様も、今は心穏やかに祈ることができないと思いますから。聖女様にはすぐに安全なお部屋で休んでもらいたいと思っているのですが、可能でしょうか」
「もちろんです! 誰か! 聖女様をお部屋へご案内してさしあげて!」
アヴェルティールへ返事をしたあと、女性が手を叩きながら宿屋の奥へ呼びかける。
すると、ぱたぱたと軽い足音をたてて奥から一人の少女が姿を現し、リーリャの傍へ駆け寄ってきた。
「お待たせしました、聖女様! お部屋にご案内しますので、どうぞこちらへ!」
そういって、リーリャよりも少し下に見える少女はこちらへ片手を差し出してきた。
シンプルなエプロンドレスを身にまとった少女だ。柔らかな茶髪を三つ編みにしており、きらきらとした笑顔をリーリャへ向けている。
ちらり。リーリャがアヴェルティールへ視線を向けると、彼の手がそっと離れた。
「先にお部屋へどうぞ。私は宿屋の主人とまだ少しお話することがございますので」
「……わかり、ました」
リーリャへ向けられた声は柔らかく、視線も労りに満ちている。しかし、目の奥ではわずかな冷たさがいまだにちらついている。
アヴェルティールへ小さく頷き、リーリャは宿屋の少女へ自身の手を重ねた。
優しく手を引いてくれる少女の後をついていきながら、こちらへ向けられた目と声を思い出し、心の中で小さくため息をついた。
優しい人なのか、それとも冷酷な人なのか。
アヴェルティールと名乗る彼のことが、わからなくて不安で仕方なかった。
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