1-4 リインカーネーションと旅の始まり
馬が走る軽やかな音が空気を震わせる。
馬車を襲撃した犯人は、リーリャを抱き上げたあと、馬に乗せてその場を逃走した。傷ついた巡礼騎士と馬がいない空っぽの馬車のみが襲撃場所に残され、襲撃犯本人に繋がりそうな痕跡はほとんど残らなかった。
背後から襲撃犯の男に支えられるような形で馬に乗っているリーリャは、落ちないように気をつけながらちらりと彼を見上げる。
先ほど言葉を交わしていたときよりも、ぐっと近づいた距離で見ると、男はまだ若い年齢のように見えた。具体的な年齢はさすがに本人に聞いてみないとわからないが、大体二十代前半辺りだろうか。
(……この人の目的は……一体、何?)
リーリャを殺したら目的が達成できなくなるおそれがある。
確かにそういっていたため、リインカーネーションへ直接害を与えるつもりはないのだろう――彼が嘘をついていなければ、だが。
ならば、リインカーネーションを誘拐して国から金を巻き上げようとしているのか――だが、それにしては巡礼騎士が身につけているものと同じ篭手や胴当てを彼も身につけているのが気になる。
(同じ巡礼騎士ではないと思うし)
じっと彼の顔を見つめながら、ひたすらに思考を巡らせる。
だが、男に関するほとんどの情報がない現状では、いくら考えても彼の正体について答えが出ることはなかった。
無言で馬を走らせている男の唇がわずかに開かれる。
「……何か言いたいことでもあるのか?」
びくり。
わずかに肩が跳ねるが、ずっと見ていたのはこちらだ。誰だって無言で見つめられれば、何か用でもあるのかと気になるだろう。
一回、二回、深呼吸をする。彼への恐怖を心の中へ押し留め、リーリャは答えた。
「……あ、……あなたの、目的と正体について、お聞きしても……よろしい、ですか」
とぎれとぎれになりながらも、リーリャはなんとか音を紡ぎ、彼へ問いかける。
男はわずかにリーリャへ視線を送ったが、すぐにまた正面を向いた。
「今すぐに答えるのはできない。もう少し待て」
やはり答えてはくれないのか。
誘拐犯が素直に何らかの情報をこちらに渡してくれるとは思っていなかったが、いざこうして情報を隠されると困ってしまう。
もう一度深呼吸をしてから、リーリャはさらに言葉を返す。
「……なら、せめて、あなたの名前……だけでも」
一体彼が自分をどこへ連れて行こうとしているのか、目的地も非常に気になる。
だが、目的地を聞いたところで素直に教えてくれるとはあまり思えなかった。それに、目的地を聞いても馬の上にいる以上逃げられない。
ならばと考え、目的地の次に気になっている彼自身の名前について尋ねた。
「……」
男の唇が真横に引き結ばれ、沈黙に包まれる。
馬が森の中を駆ける音のみが空気を震わせていたが、少しの間のあと、男の唇が再度ゆっくり動いた。
「名前を聞いてどうする?」
「……名前を、教えて……もらわないと、あなたのこと、お呼びできません」
再び男が唇を閉ざす。
再度、沈黙が場を支配する。しかし、今度は先ほどよりも早く男の唇が音を紡いだ。
「アヴェルティール」
「……アヴェルティール?」
はつり。
男の口から紡がれた名前をリーリャが復唱する。
今度は声に出さず、アヴェルティールと彼の名前を舌の上で転がせば、それはすとんとリーリャの胸の中に落ちてきた。
「そう呼ばれていた。今ではほとんど呼ばれなくなったが。……呼びたいなら好きに呼べばいい」
その言葉を最後に、男の唇は再び真横に引き結ばれた。
今度こそ完全に沈黙がリーリャとアヴェルティールの間を満たし、馬が駆ける音のみが場を支配した。
揺れる馬上でもう一度だけアヴェルティールの名前を口の中で転がし、リーリャは一人、首を傾げた。
(……アヴェルティール。どこかで聞いたことがあるような気がするけど……)
記憶の片隅に何か引っかかるようなものがある。
だが、いくら考えても違和感の正体に辿り着くことはできず、どこで耳にしたのかも思い出すことはできなかった。
あるのは、自分はどこかでアヴェルティールという名前を聞いたことがある気がするという漠然とした感覚のみだ。
(……また、思い出せるかな)
ぼんやりと考え、リーリャは小さく息を吐く。
そのとき、アヴェルティールがくんと手綱を引いた。
ずっと走っていた馬がだんだん減速していき、最後には足を止める。
気づけば先ほどまで広がっていたはずの森の景色はなく、開けた土地が広がっている。眼前には強固な門と、外敵から何かを守るように築かれた壁が存在していた。
リーリャが少し考え事をしている間に、どうやらいつのまにか森を抜けていたらしい。
こんな状況だというのに、はじめて目にする故郷と王都以外の町に、リーリャの目がわずかに煌めいた。
「ありがとう。無理をさせてすまなかったな」
アヴェルティールが手を伸ばし、ぽんぽんと馬の首辺りを優しく撫でた。
柔らかい声で紡がれた言葉は、ずっと走り続けていた馬を労るもの。撫でる手つきにも乱暴さはなく、馬への労りと感謝の思いがあった。
馬車を襲撃してきたときには冷酷さすら感じたが、そのときに抱いた印象とは異なる様子。どちらが本当のアヴェルティールなのか、少しだけ混乱してしまいそうだ。
つ、と。アヴェルティールがリーリャへ目を向ける。
「降りるぞ」
一言告げ、まずはアヴェルティールが馬の背から降りた。
リーリャも急いで馬から降りようとするが、それよりも早くアヴェルティールの手が伸び、リーリャを優しく抱き上げた。
そうすることが当然であるかのように。
何度も繰り返され、身に染みついたことを行動に移したかのように。
流れるように抱き上げて馬から降ろされ、リーリャは思わず目を丸くして固まってしまった。
驚くリーリャに気づいていないのか、アヴェルティールはリーリャを優しく地面に降ろし、手首を掴んで歩き出した。
手首を掴む手の力は乱暴なものではなく、踏み出す足もリーリャの歩調に合わせたもの。リーリャのことを完全に無視して歩くこともできるだろうに、合間合間にこちらに合わせてくる様子からは、やはり手慣れた気配を感じさせた。
「あの。……この町は……一体……」
はつり。小さく呟くような声量で、リーリャはアヴェルティールへ問いかける。
門へと向かう足を止めずに、リーリャを一瞬だけ見て、問いかけに答えた。
「トレランティアだ」
短く、けれどはっきりと告げられた町の名前。
己の耳に届いた町の名前に、リーリャの目が大きく見開かれた。
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