1-3 リインカーネーションの旅の始まり
外からはいまだに剣戟や怒号が聞こえてくる。
身の危険をはっきり示す無数の音がとても恐ろしく、リーリャは強く両耳を押さえて目を閉じた。
(こんなの、聞いてない)
リインカーネーションは、人々にとって滅びゆく世界を救う希望だと聞かされていた。
だから、リインカーネーションを狙う者は悪人の中にもいないと聞いていた――リインカーネーションに何かあれば世界が滅び、問答無用で全ての人が命を落とすことになるから。
実際に、これまでのリインカーネーションの旅路も悪人に襲われることなく、平和なものになったと聞かされていた。王城にいた頃に見せてもらった記録でも、リインカーネーションの巡礼の旅は安全に終わっていた。
なのに、なぜ。どうして。
答えの出ない問いかけがぐるぐるとリーリャの頭の中で巡り続ける。何度どうしてと考えても、答えてくれる声はどこからも聞こえなかった。
がたん。
何かが馬車にぶつかるような音が聞こえ、馬車全体も軽く揺れる。
その音と衝撃を最後に、ずっと聞こえていた剣戟も怒号も聞こえなくなった。
しん、と。不気味なほどの静けさが辺りを支配している。
「……騎士様……?」
はつり。呟くように呼びかけるが、返ってくる声が聞こえることはない。
誰かが話す声も聞こえなければ、気配も感じない。まるでリーリャだけが取り残されてしまったかのようで、自然と心拍数が上昇した。
(……どうしよう)
扉を開けて外に出れば、今、どのような状態になっているのかがわかる。
しかし、馬車から外に出るということは、直前の騎士からの言いつけを破るということだ。
言いつけを破って外へ出るか、それとも言いつけを守って騎士が戻ってくるまで待つか。
どちらにするか迷いながらリーリャが顔を上げ、伏せていた目を開く。馬車の出入り口を見て、両耳を押さえていた手もゆっくりと下ろした。
直後。リーリャの目の前で、馬車の扉がゆっくり開かれた。
「騎士様――」
よかった、無事だったんだ――!
安堵の色がリーリャの心を満たし、思わず表情が安心感で緩んだ。
しかし、扉の向こうに立っていた姿を目にした瞬間、わずかな安心感は一瞬で消え去った。
扉の向こうに立っていたのは、見覚えのない男性の姿だ。
旅人を思わせる服装に、巡礼騎士たちが身につけているものと同じ篭手や胴当てをつけている。これだけ見れば遍歴の旅をして修行を積んでいる巡礼騎士かと思えたが、彼が身にまとう外套に付着した血液がそれを否定していた。
ざっと血の気が引き、急激に体温が下がったような感覚がする。しかし、心臓だけは早鐘を打ち続けており、呼吸が自然と浅くなった。
それでも、目は相手がどのような人物なのか把握しようと観察するため、ゆっくりと上へと向けられた。
「お前が今代のリインカーネーションか」
静かな声で問いかけてきた男性は、ぞっとするほどに冷たい紫色の目をしていた。
深く被られた外套のフードの下に見える髪は少々くすんだ銀色。顔の半分は汚れたハーフマスクで隠されており、何を考えているのかが読み取りにくく、より強い恐怖感をこちらに与えていた。
何も言葉を返せずにいるリーリャへ、男はさらに言葉を続ける。
「俺とともに来てもらおう」
発された一言が物語っていた。この男こそが襲撃犯なのだと。
騎士たちがどうなったのかも大体予想ができてしまった。大勢いた巡礼騎士が一人も言葉を発さず、襲撃犯である男のみが立っている。そして、馬車の中にいたリーリャへ声をかけてきている。
直接己の目で確認したわけではないが、巡礼騎士たちがどうなったのか、察するには十分すぎるほどの材料が揃っていた。
「……こ、……断ったら……どうするおつもり、ですか」
言葉に詰まりながらも、リーリャは問いかける。
「断る選択肢がお前にあると思うのか?」
つぃ、と。男が片手でリーリャの足を指差す。
「その靴では遠くまで移動できない。お前を守る巡礼騎士は一人もいない。王都に引き返すにも、ここは何が襲ってくるかわからない森の中だ。お前一人だけで逃げられるとでも?」
返された言葉に、リーリャはぐっと押し黙った。
確かに、リーリャがはいている魔法ガラスの靴は長距離の移動に適していない。通常のガラスよりはるかに耐久性に優れているが、この靴で走ったり長時間外を歩いたりすれば最終的に砕けてしまうだろう。
王都に引き返せれば無事でいられるが、そもそも馬車で移動してきた距離だ。リーリャ一人だけの足でこれまでの道を引き返すのは時間がかかりすぎる。
それに何より、護身用の武器も何も持っていない状態で外の世界を歩くのは非常に危険だ。
「聖女、様……」
「!」
ふいに、リーリャのものでも、目の前にいる男のものでもない声が空気を震わせた。
は、とリーリャは弾かれたように声が聞こえた方向へ目を向ける。
馬車の出入り口に男が立っているため、非常に見えにくいが、男の背後で倒れていた巡礼騎士がわずかに身じろぎしたのが見えた。
かけられた声にも覚えがある――襲撃の報告が入った際に、リーリャへ外に出ないよう忠告した巡礼騎士だ。
「聖女様、どうか……お逃げください……」
リーリャへ逃げるよう訴える声はか細く、襲撃者を撃退できるほどの力が彼に残されていないことをはっきり物語っている。
男も騎士の声に気づき、ゆるりとした動きで彼のほうを見た。余裕を感じさせる足取りで倒れている騎士のほうへ近づいていき、無言で剣に手をかけた。
ひゅ、と。リーリャの呼吸が一瞬だけ詰まる。
「ま、待って、ください!」
とっさに大声をあげる。
すると、男はぴたりと動きを止めて再度リーリャを見た。
こちらへ向けられる紫の目はどこまでも冷え切っていて、リーリャに底冷えする恐怖を与えてくる。しかし、それに負けるものかと己を奮い立たせ、リーリャは口を開いた。
「あ……あなたに、同行します。ですから……その人には、手を、出さないでください」
「聖女様……!」
リーリャを止めようと、巡礼騎士が再度声をかけてくる。
けれど、リーリャが何もしなかった場合、襲撃犯である彼はきっと騎士へ牙をむく。何の迷いもなく剣に手をかけたのが大きな証拠だ。
男は言葉を返すことなく、無言でリーリャを見つめる。
はたして数秒か、それとも数分か。いくらかの時間が経ったあと、男が短く息を吐きだした。
「いいだろう」
男の手が剣から離れる。
そして、巡礼騎士へ近寄ったときと同じようにゆったりとした歩調でリーリャの傍へ戻ってくると、男は片手をリーリャへ差し出した。
来い、というように。
「……」
ごくりと唾を飲み、リーリャは伸ばされた手へ己の手を重ねた。
世界の命運を握る者として、目の前に立つ男の手を取るべきではないとわかっている。
けれど、倒れているあの巡礼騎士を守るための方法は、もうこれしか思いつかなかった。
「……私を、殺しますか?」
「殺すわけがないだろう」
男の手がリーリャの手を握る。
乱暴な力加減で握ってくるかと思いきや、男の手はリーリャが痛がらないよう、適度な力加減でリーリャの手を覆い隠した。
「お前を殺したら、俺の目的が達成できなくなるおそれがある」
ぐいとリーリャの手を引き、男は自分のほうへリーリャを引き寄せる。一気に距離が近づいたリーリャの身体へ空いている手を回し、ふわりと優しくリーリャを抱き上げた。
「俺の目的を達成するためにも、リインカーネーション。お前には生きてもらわなければならない」
発する声も、こちらに向けられる目も、どこまでも冷たい。
なのに、リーリャを抱き上げる腕と彼から感じられる体温は優しかった。
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