1-2 リインカーネーションの旅の始まり

 この世界には、かつて神の怒りに触れたのだという伝説が存在している。

 どこまで真実かどうか今となってはもうわからない。だが、この日を境に、リインカーネーションと呼ばれる聖女や聖人が一人誕生するようになった。


 救国の聖女。救国の聖人。リインカーネーション。


 リインカーネーションと呼ばれる聖女、聖人は世界の滅びが間近に迫っているときに決まって現れるといわれている。新たに生まれる場合もあれば、それまで普通に生きていた人間に神の力が宿ってリインカーネーションとして覚醒する場合もある。


 世界が滅びの瞬間を迎えるまでに、リインカーネーションは各地に存在している神殿を巡る巡礼の旅を行う。そして、己の命を使って天上の国へ向かい、人々の祈りを神の下へ届けて世界の滅びを食い止める――神の怒りに触れてから、この世界は何度もリインカーネーションの奇跡で救われてきたと伝えられている。

 古くから語り継がれてきたこの伝説は、童話という形にもなり、誰もが知っている。

 世界と大勢の人々の命が失われぬよう、自らを犠牲にする奇跡の存在。


 ――そんな重大な使命を背負った、今代のリインカーネーションとして選ばれたのがリーリャだった。


「はあ……」


 がたがた、ごとごと。

 馬車の車輪が街路を通り、王都の門から外へと移動していく。

 窓の外から見えている景色も王都の風景から自然豊かなものへと移り変わり、たくさんの木々や植物など、リーリャにとって馴染み深い自然の景色へ移り変わった。

 街道から平原、平原から森へ、窓の外から見える景色は馬車が前へ進むごとに緩やかに移り変わっていく。

 ぼんやりとその景色を眺めていれば、自然とリーリャの唇からため息がこぼれた。


(……お父さん、お母さん。村のみんな、元気にしてるかな)


 リーリャの脳内に、故郷に残してきた家族や友人、村の仲間たちの姿が浮かぶ。

 王都から遠く離れた場所に位置する農村――そこがリーリャの故郷であり、リインカーネーションとして覚醒する前に暮らしていた場所だった。

 家族はもちろん、農村に住まう人々はリーリャが王都へ連れて行かれることになった日、ひどく反対してくれた。


 けれど、今代のリインカーネーションであるリーリャが役目を放棄すれば世界が滅ぶ。世界が滅びを迎えてしまえば、家族も、友人も、そして農村の仲間たちも命を落とすことになる。

 リーリャも生まれ育った故郷や、これまでずっと己を育ててくれた家族の下を離れたくないという思いはあった――だが、それ以上に世界が滅んで家族も、友人も、農村の仲間たちも、皆が一度に命を落としてしまうほうが耐えられなかった。


『わかりました。……私が……今代のリインカーネーションとして選ばれたのなら……聖女のお役目を果たします』


 故に、リーリャは王都から来た使者に頷き、聖女の務めを果たすことに決めた。

 故郷を離れて王都へ、そして王城で暮らす間に受けたリインカーネーションとしての教育は大変で、とてもつらいものだったけれど。

 家族を守るためにも、そして世界を存続させるためにも、リインカーネーションとして必要な知識を身に着けて役目を果たすのは間違っていない。


(そう。これは間違ってない。私はちゃんと正しい判断をした)


 ……間違っていない選択のはずだ。


 ――でも、本当に?


「聖女様」

「!」


 不安と憂いがリーリャの心を覆った瞬間、同乗していた巡礼騎士が声をかけてきた。

 はっとした顔をし、リーリャは隣を見る。隣に座っている巡礼騎士は、リーリャへと心配そうな目を向けていた。

 緩く首を左右に振り、リーリャは苦笑いを浮かべる。


「なんでもありません。無駄な心配をおかけしてしまい、申し訳ありません」

「そうですか? なんでもないのならいいんですが……」

「本当になんでもないから。どうかお気になさらずに」


 もう一度首を左右に振って言葉を重ねれば、巡礼騎士もそれ以上は何も言わなかった。

 リインカーネーションに何かあれば、世界が存続の危機に陥る――それもあり、護衛としてついてくれた巡礼騎士は皆リーリャの様子に注目しているのだろう。

 王城でリインカーネーションとしての振る舞いや知識を身に着けているときも感じたが、正直なところ息苦しくて仕方ない。


(私が世界の命運を握っている以上、周囲が私の反応をすごく気にするのはわかってるつもりなのだけど……)


 もう一度こぼれそうになったため息を飲み込み、もう一度窓の外へ目を向ける。

 瞬間。


「うわああああっ!?」

「!?」


 突如、御者の悲鳴が激しく空気を震わせた。

 間髪入れずに馬が激しくいななき、馬車全体が激しく揺れて動きを止める。馬車に乗っている誰もがバランスを崩し、座席に座っていたリーリャも床へ放り出されそうになった。


「聖女様!」


 リーリャの隣に座っていた巡礼騎士がすかさず手を伸ばし、座席から放り出されそうになったリーリャを抱きとめる。

 急停車の衝撃をなんとかやり過ごし、巡礼騎士は外で護衛についているであろう仲間へ大声で呼びかけた。


「何事だ!」

「てっ……敵襲です!!」


 ひゅ、とリーリャの喉から声にならない短い悲鳴があがった。

 外からの報告どおり、馬車の外からは剣戟や怒号、悲鳴などが絶えず聞こえてくる。

 嘘だと信じたかったが、御者の悲鳴も、外から聞こえ続ける無数の音も、リーリャが乗っている馬車が何者かの襲撃を受けているのだと物語っていた。


 車内にいる巡礼騎士全員の表情がこわばり、緊張感に満ちた空気に切り替わる。

 次の瞬間、騎士たちは剣に手をかけ、馬車から飛び出していった。


「聖女様はこちらで! 我々が安全を確保しますから、決して外へ出ないように!」

「ま、待って!」


 最後に、リーリャの隣に座っていた騎士がリーリャへ呼びかけ、返事を待たずに外へ飛び出した。

 引き止める間もなく戦いへ出てしまった騎士を見送り、一人残されたリーリャは馬車の床にへたり込んだ。

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