45 青の肯定
その日の夜中、あたしは屋敷の人間が寝静まった頃を見計らって縹悟の自室に向かった。
縹悟には夕飯のときに、話がある、と言ってある。それ以上のことは、ふたりきりになって話すつもりだ。
嘘偽りのない、縹悟の本音が、聞きたかった。
「縹悟、あたし、涼音だけど」
「入りなさい」
縹悟の自室の前に着いて、あたしはふすま越しにそっと声をかける。中から小さく返事が聞こえた。
ふすまを開けると、部屋の照明をつけたまま、布団の上で寝巻きの縹悟があぐらをかいていた。
あたしは急に緊張してしまって、ふすまをそっと閉めて縹悟の正面に黙って正座する。
縹悟がいぶかるように口を開いた。
「話とは……なにかな」
「…………」
いざとなると、胸が詰まって言葉が出ない。あたしが黙りこくっていると、縹悟は眼鏡を外した目を瞬かせた。
「そういえば、練が謹慎部屋を抜け出したと聞いたけど。また、君によからぬことでも吹き込んだかな」
「そんな……感じ」
「なにを言われたんだい?」
「っ……」
縹悟の声はあくまで穏やかで、なにを言われようと揺らがないという自信が伝わってくる。だから逆に怖い。この話を、肯定されるのが。
でも、本人からきちんと聞きたいと思ったのはあたしだ。勇気を出せ、涼音。
あたしはひとつ息を吸って、震えそうになる声を絞り出した。
「縹悟が見ているのはあたしじゃない。縹悟が好きなのは母さんで、だから、あたしがいくら歩み寄っても無駄だ……って」
「……!」
縹悟が明らかに息を呑んだのが聞こえた。ああ。
あたしは縹悟の顔が見られなくてうつむく。膝の上で手をぎゅっと握って、返事を待った。
しばらく沈黙が落ちて、縹悟が口を開く。
「私が、桑子さんのことを好きなのは、たしかだよ」
心の中を整理するような口調。淡々と、色が薄い。縹悟はそのまま言葉を続けた。いや、もっと冷たくなっていく。
「君を手に入れようとして、実際こうして連れてきたのも、桑子さんの面影を探してのことだった」
あたしは自分で自分の体をかき抱く。そうでもしないと、みっともないほど震えてしまいそうだったから。
「この間話した、『私情』の部分は、これだよ。いつ話すかもわからない、一生話さないかもしれなかったが、別口で耳に入ってしまったなら、仕方ないね」
今度こそ事実として、縹悟があたし自身を見て、欲していたわけではないことが突きつけられる。
あたしは涙が盛り上がってくるのを感じた。想像していたより何倍も、胸が痛い。
ふと、縹悟のまとう空気が柔らかくなる。あたしは顔を上げた。
困ったような、哀しげな、歪んだ微笑みが、そこにあった。
「私のことは、嫌ってくれて構わないよ」
さっきとは裏腹に、優しい声音。そんな哀しいことを、そんな声で、言わないで。
「君には当然その権利があるし、私はそれだけのことをした、身勝手な人間だ」
下手に貼り付けたような縹悟の微笑みは、涙が溢れて見えなくなる。
嫌いになりたいわけじゃない。そう言っても、きっと縹悟には届かないんだろう。
「それでも……私は君を手放せない。それは、申し訳なく思っているよ」
縹悟の手が伸びてきて、長い指が少しさまよってからそうっとあたしの涙をぬぐっていく。
あたしは、一生そばにいる存在として、縹悟と思い合いたいと、それが恋愛感情じゃなくたって構わないって、そう思っているだけなのに。
縹悟はあたしを通して、母さんにまだ恋をしているのだ。
それが痛いほどわかって、どうしようもなく苦しくて、辛かった。
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